わかれ道
それから数日後のこと、叔父「四条内府」の呼び出しを受けて出て行った兼が大層難しい顔で帰ってきた。館の家人たちも「触らぬ神に崇りなし」と言いながら誰もが近づくことをためらっている。
「何かございましたか?」
夜遅くに帰って来た兼の着替えを手伝いながら、こそっと聞いてみたものの食事をしている間もその表情は変わらなかった。意を決したようにそのことを兼が口に出した時、その原因が自分にあることを知って、薫子は大きなため息をついた。
「おまえ、中宮様の許へ上がれ」
その一言は忘れていた以前のことを思い出させる。
とうとう来たか・・・
それは以前の事件で春宮に約束したことでもあったのだ。
あのとき、二人の女房の命乞いをした薫子に、春宮は交換条件として母君中宮様の側へ上がることを出してきた。あのときは必死だったのだから、薫子としてはどのような条件でものむつもりであったのだ。
それが務まるはずないことくらい自分が一番知っていて飲んだことなのだが、いい加減忘れているだろうと思っていたことがここへきて現実になってしまうとは、
(あらあ・・困ったわ・・)
で済む問題ではない。
「まさか、兄さま、そのお話受けられたのではありませんでしょうね?」
「俺に言うか?おまえが春宮さまに受諾の返答をしたと聞いたぞ」
「あれは、ああでも言わねば、話が先へ進まなんだゆえでございます」
(まあ、たしかにそうでも言わねば話が進まなかったのですがね・・ごめんよ、薫子ちゃん・・・作者)
「明日にでも叔父上の館へ行ってまいれ。直接引導を渡されてこい!」
兼にしたところで、薫子に宮中女房が務まるとは思ってはいない。そのようには育ててはこなかった。
そして、もう一つ、叔父は兼にとんでもないことを言ったのだ。
「おまえが薫子を育てるためにやったことを咎めることも、蔑むこともせぬ。ただ今一度、わたしの頼みを聞いてはもらえぬか?」
思い出したくもない過去を知るこの人は、おそらくそれで自分を飼い殺そうとするつもりなのだろう。
あの事件からみごとに復権して、今や恐れるものなぞ何もない。
最大の権力者の一人である。しかし、兼とてもうあの頃のなんの力もない少年ではない。都に名高い検非違使長官である。
「のう・・小督・・」
笑いながら、その名で呼ぶのは明らかにこちらの反応を楽しんでいるのだろう・・
「その名は遠に捨て去りました。俺にはもう関わりなきことでございます」
「薫子は知るまい?それを知ればあれのこと、どれ程己を責めるであろうな?」
「薫子にちょっかいは出させませぬ。たとえ、あなたであろうとも・・」
正面から睨みあう兼を見て、叔父は笑った。
「その顔、そなたの母に生き写しよ。我がいもうとなれどあれほど美しく生まれついたものをわたしは知らぬ。そなたは、憧子によく似ている・・」
この人が本気になれば薫子は簡単に消されるかもしれない。それをさせぬためには、叔母である中宮様に預けることが最善ではないかと、この時に兼は決めたのだ。ただあの気性ゆえ長くは持たない。いつまで続くかは薫子次第だが、それが、最善であると兄としては信じたかった・・・