生きるために
目隠しを解かれ、光に目が慣れるまでどこにいるのかが不安ではあった。
が、慣れてきてそこが見覚えのある場所であったことが、薫子にとって幸いであったのだろう。
つい先日ここにきていた・・白拍子・小督として。
ここは間違いなく母の生まれたあの邸である。この邸の広さは知っているが、なぜ、従兄弟である義康達住人の姿がないのだろうか?
「今、この邸の者たちは方違えでな、主だったものたちは誰もおらぬ」
この時代方違えというものがあった。占いによってこの方角が悪いとなれば、あちこち移り歩くという行動である。今考えればあほくさいことかもしれないが、あの時代は真剣だったのだろう。
方違えでやって来た男のことを馬鹿といったのは式部であったような?
そう言うことで、この広い邸内が異様に静かなのだ。
こんな奥まで誰も来ぬとわかっていて、雷丸はここを根城にしていたのか
雷丸は薫子を一室へ導いた。薄暗さに目を凝らして室内に人の気配を感じた。部屋の隅に壁に寄り掛かりうつむきがちな人の影・・
乱れた髪が顔半分を隠していたがそれは、薫子の知るひと。
「・・あかね?・・茜か?」
呼びかけに少し身じろぎをして貌を上げたのは茜。そこに薫子がいることが信じられないようであった。
飛び込んだ薫子の腕が茫然としている茜を抱きしめたが、それでもまだ信じられないでいる。
「・・ひめさま?・・かおるのきみ?」
「そう・・薫子よ・・わかるか?」
その声でやっと薫子を認識したの無言のままで茜は泣き始めた。
「茜に何をした?!言うたはずよな、茜に無体なことをすれば、その首飛ばしてやると!!」
「何もしてはおらぬ!この娘、食わぬのよ。それゆえこうなった・・」
改めて部屋の中を見回せば、確かに、膳に乗った食事らしきものがある。
いつのものかわからないが、間違いなく茜は自ら食を断っていたのだろう
「廚を借りる」
「何する気だ?」
「男は鈍い!この状態でこのようなものは食べられぬ。粥にする。逃げはせぬゆえ付いてこい!」
茜を抱えながら薫子が歩くのは勝手知ったる邸である。この邸に残っていた家人たちがどこからか出てきた三人に驚愕して後ずさりしていた。
「すまぬが、なべを借りる」
竈の火を確認してから水の入ったなべをかける。その手際の良さに雷丸はは首をかしげた。
「おまえ、並の姫ではないのだな・・」
「我が家は貧乏学者ゆえ、水仕事は慣れておるだけよ」
「丞相の血筋と聞いたが・・」
「母方はな・・なれど、関係なしじゃ。わたしも兄さまも、食えぬ辛さは知っている」
「あの、兼がか?」
「で、なくば、あの兄さまがあのようなことを選ぶはずがなかろうが?わたしを餓えさせぬためよ・・」
それを知ったのはいくつの時だったろうか・・
「お前とは違って、世を拗ねることさえできなんだ・・生きることに精いっぱいで」
「説教じみたことを言うな・・」
炊きあがった粥を椀に入れ、力なく座っている茜の許へ運んでやるとやっと少し落ち着いたように笑った。
「ゆっくり食べよ・・」
泣きながらゆっくり匙ですくい口へ運ぶ茜を見守っていた薫子の側にいた雷丸の耳許へ、仲間の一人らしい男が何かをささやき表の方へ聞き耳を立てた。
「来たらしい・・世を拗ねることもできずに、検非違使になった奴が・・」
自分が囚われの身であるのに、薫子はこれが兄と雷丸の最終戦になる予感がして唇をかみしめていた。




