迷子
ゆっくり歩いていた薫子が、不意にきなこの足音が消えたことに気がついて振り向いたとき、その腕を突然強い力で引かれた。
「何をする?!」
言いかけて自分の腕を掴んでいる相手の顔に見覚えがあって、一瞬身構えた。
きなこは口をふさがれて屈強な男に抱きかかえられている。じたばたもがいているがそれはどう見ても無駄な抵抗でしかない。
「・・おまえ・・雷丸・・か」
自分の腕を掴んでいるのは間違いなく雷丸・・
「この・・きなこを放せ!」
いつから付けられていたのか、うかつさに唇をかむ。人が大勢行きかう都大路の真ん中で、まさかの出来事である。見た目にはおそらく何の不審も持たせない、知り合いが出会って話をしているように見えるのかもしれない。
それほど自然に雷丸は薫子に並んで歩いていた。薫子の二の腕を掴んでいる力だけは振りほどけるものではない。
「おとなしゅうすれば、わらべは放してやろう・・」
耳元でささやくような声に、薫子は抗うことをあきらめた。きなこの無事だけをこの際望むことに切り替えたのだ。
声を封じられたきなこは必死に薫子の方へ手を伸ばそうとしている。
「はよう、放さぬか!!」
顎だけで下せと命じたとおりおろされたきなこはいきなりその男の腕に噛みついた。それが精一杯のことだった。噛みついたきなこを振り回すようにして引き剥がした男が道端にころがった小さな体を蹴ろうとした。
「きなこを放せというたはずよ!それ以上のことをやれば、この場でおまえと斬り合うことを選ぶが、どうする?」
這うようにして薫子に近付いて来たきなこを抱きとめて、乱れた髪をなでてやる。
「おまえの望むようにしよう・・童に用はない。はよういけ!」
本気できなこを放す気があるのかどうか、不安はあったがそれを信じるしかない。
「ひめしゃまは?・・ひめしゃまは?」
「わたしのことはよい、無事に帰れ・・できれば、お吟さんの処へ行け」
さり気ない顔をしてはいても雷丸は人斬りである。立ち上がったきなこが後ろ向きに少しずつその場を離れようとしているのを、薫子は見守るようにして時折、鋭い視線を雷丸に向けていた。
ただ、きなこがお吟の館を知っているのかどうか、それがいささか、不安であった。話のついでにあのあたりとは言ったことがあったが、はっきりしたことは知らないはずだ。子供の足で行けるかどうか・・いくら賢い子といってもまだ五歳である・・離れたところの角にきなこの姿が消えたのを確認して薫子は雷丸の前に立ちあがった。
「そのような顔をしてくれるな。おまえに危害を加えるつもりはないゆえ」
「あたりまえだ!おまえ、茜をかどわかしたろう?無事であろうな?」
「今のところはな・・」
「今のところ?・・あれに無体なまねをしたなら、その首、胴から斬り離してやる!!」
「まったく、その顔でそれを言うか?気の強い奴だな」
並んで歩く二人を誰も不審には思わない・・貴公子二人が仲良く歩いているように見えただけかもしれないが、そのふたりを離れた所から付いて行く影のような存在があった。
そして、薫子から離れたきなこは自分の位置を見失ってしまい、泣きべそをかきながら、広い大路をさまようことになってしまったのであるが・・・




