「鬼の子」
あの日、白拍子姿のままでお吟と綺羅に連れられて戻って来た如月家の騒ぎは、思い出したくもなかった。
自分一人が送り届けられて、兼はあのまま母の実家の邸に残ったらしい。
邸内の後始末がある。検非違使も出ているらしい・・それらの中にあの人はあのなりで指揮をとっているのだろうか?
どうしたものか?理解の範疇を超えている。
「小督」と自ら名乗った美しい白拍子・・あれは本当に、兄・兼であったのだろうか?しかも、その噂はすでに洛中に広がっていると聞く。
最も、兼の正体までは知られてはいないらしいが・・
あの「白拍子・小督」が帰って来たと・・
「四条内府」の想い女になっていたらしいと・・
噂は勝手な尾ひれをつけて、広まるもの。
着換えを届け連絡を待つが、何もない。おまけに、
何か手持無沙汰だと思えば、「薫風丸」が手元にないのだ。
乱闘の中、太刀は兼の手に渡った。それから戻っては来ない。
ため息をつく薫子の側にいるのは、きなこ。
白拍子姿で帰って来た女主人にどこか憧れのような目を向ける。それが決してよいことではないことを知るだけに、まずかったと反省している。
竜胆が幼いきなこを奉公に出したのも、自分のような身に堕したくなかったからだと聞いた。所詮は遊び女・・人から蔑まれる・・
せめて、人として扱ってもらえるのならば、それ以上は望まぬとも。
小さな体で精一杯の仕事をこなすきなこは「鬼の子」と呼ばれて生きてきたという。難産で自分を産んだために、命と引き換えた母のことを随分と言われてきたのだと、それで「鬼の子」といわれる。
あまりに幼すぎて、それほどの役には立たないことがかなり重荷になっていたらしく、きなこは情けなくて泣いていたことがあった。
「きなこは、鬼の子ゆえ、ひめしゃまのお役には立ちましぇぬ」
「困ったな・・きなこが鬼の子ならば、われら兄妹とても鬼ぞ」
泣きじゃくり汚れた顔を覗き込んで薫子は言うしかなかった。
「兄さまが何と呼ばれておるか知っているか?あのお方はな、悪党から「鬼」と呼ばれる、検非違使ぞ。このわたしとても同じよ。人の口から呼ばれるのは「鬼姫」じゃ。「夜叉姫」ともいうらしい・・なれど、われらは呼び名なぞどうでもよい、われらは我らゆえな。何を泣くことがある?強い子ゆえ生まれてきたのよ。鬼であることを、誇りに思え」
無茶言っているとは思うが、なまじの人であるよりも強く生きられるのならば、「鬼の子」上等ではないか?!
邸の中を軽い足音を立てて走りまわりながら、小さな仕事をこなしてゆくきなこを見守る薫子の足元にいきなり矢が一本突き立った。
油断していた・・完全に気が抜けていた。きなこが驚いて目をまん丸にしている。矢が飛んできたのは塀の上。薫子が気づいたことを確認したようににっと笑うと、そのまま通りの方へ飛び降りた男が一人。
庭先にいた家人が後を追う。足元の矢には結び文がついていた。
気付いた家人たちがわらわらと薫子の許へ集まり周囲を守るかのようにして廊下へ出てゆく者もいる。
「騒ぐでない!傷を負ったものはおらぬな?」
矢から外した文を受け取った薫子の言葉に皆の無事が重なって届く。
「・・申し訳ございませぬ。逃げられました・・」
後を追った若者の報告を聞きながら文を読み下した薫子の顔から血の気が引いた。
そこにあったのは「雷丸」の名。
そして、刀工の孫娘・茜を預かったという内容であった・・・




