二人小督
それより少し前に話は戻る。
狭い竜胆の家に人があふれた。
雅貴から連絡がきたという検非違使庁から副官が自ら迎えに出向いてきて、
「もう、肝がつぶれました・・このようなことはもう二度とごめんでございます」
顔を見て安心したのか、橘 実明はため息とともに告げ、側にいたお吟と綺羅に頭を下げた。ここ数日の検非違使庁のひっくり返るような大騒ぎは聞かずともわかるだけに、二人とも神妙な顔をして頭を下げ返す。
お吟の情報網に引っかかったのは昨日のこと。すぐに行くつもりが薫子に呼び出しがかかり、「四条内府」の魂胆が読めていただけに手の打ちようを探していたさなかに、兼の居場所が知れた。
何やら、一目で検非違使とわかる連中が出入りする家はすぐに分かった。
遠巻きで人々が恐る恐るのぞいている。それらの人々に迷惑がかかることを気にかけたのか周囲にいる検非違使達を皆ひきあげさせ、薫子の今置かれている立場をお吟から説明されて、少し考え小さく笑った。
「この身の因果が薫子に及んだか・・」
体の痛みはまだ残るが、動けぬわけではない。兼は覚悟を決めたように竜胆に耳打ちし、それを聞いた竜胆は一瞬何を言われたのかわからないような顔をしたが、二度言われて承知したのか兼を伴って隣の部屋へ移った。
その意味に気がついたのはお吟だけであったが・・
何が行われているのか聞こえるのは衣づれの音・・かちゃかちゃという軽い音。まさかと思いながら綺羅はお吟を見ていた。その視線に気がついたのかお吟はうつむく。橘 実明にしてみればもっと理由がわからない。隣の部屋に閉じこってしまい、いったい何をしているのやら?聞きたいような・・・恐ろしいような・・
しばらくして、隣の部屋の戸が開いた。開けたのは竜胆。身を傍らに下げて誰かの動きを待つようにして奥の方を見ている。その陰から、
最初に見えたのは、緋色の袴。それと同時に白い水干姿が現れた。
立烏帽子はなかったが、手には飾り太刀を握って立つ白拍子。
背に解き流した黒髪が美しい、紅い唇、目元の朱・・
「誰?」
と、問おうとして綺羅は声で正体がわかった。泣きそうな顔でお吟が見ていた。
「このなりの俺でなければ、あのお方には用がなかろう・・」
「それでええのん?」
「薫子を取り返す。そのためよ・・」
紅い唇から出た言葉が間違いなく兼であることを確信したものの、橘 実明はひどく狼狽していた。仮にも上司である。これをどう判断してよいものか?
「橘・・これは俺の恥ゆえ内密にしてもらいたい。これが許せぬと言われればいつでも、職を退く」
これが、世の並みならば「痴れもの」として斬り捨てればよかったがこれはケタが違いすぎた。これほどに美しい女がこの世にいたのかと・・はっきり言えば、そこにいる今売れっ子の竜胆さえも霞むほどの、圧倒的なその存在感である。
「これに比べれば、やはり薫子はまだ押しが弱いな」
「小督」と呼ばれた昔を知ってはいても、実際見たことはない。
これに比べれば、薫子は線が細い。同性に騒がれるであろう種族と、会うものすべてを惑わせて行く種族との違いかもしれない・・
「あれが、俺と同じなら、世の女達の恨みをすべて背負うことにもなる。女に生まれてきたのは、幸いなことよ」
その姿のままで、表へ出てゆき繋いで会った馬に身軽に飛び乗る。
洛中を疾走してゆく馬上に美しい白拍子が乗っていたという噂が広まったのはこの後のことであった・・




