守り、守護られ
そんな頃のことだろうか・・
ある日、片付けものをしていた薫子は中宮さまに呼ばれて、その御前へすすんだ。
ひどく迷ったご様子のその方の口から発せられた言葉に薫子も戸惑う。
「そなた、如月の家へ戻れ・・」
「はあ?」
突然に言われて、自分がやったことのあれこれが浮かんだが、いずれも追い出されるには充分な案件である。
女房達と喧嘩したことも、抜け出したことも、認めるしかない。
「小宰相、兄上がそなたを、貸せと言うて来られたのじゃ。ここから出すつもりはなかったが、どうしようもない・・」
「叔父うえが、わたくしに何か?」
「であろうな・・ただ、あのお方のこと故、そなたの身に何もなければよいが・・」
中宮様でさえいやな予感がしているのなら、薫子の身に何かが起きても不思議ではないということだ。てっきり追い出されるのだと思っていたのに、家へ帰されると言うのはどういうことなのだろうか?
「わたくしは、そなたち兄妹の母でもあると思うてまいりました。兼はああいう子ゆえ、決して人に頼ろうとはせぬ子であった。姉上が亡くなられた時も、一人で哀しみを抱え込んでしもうて、それが不憫で、守ってやりたかったのじゃが・・」
前で頭を下げている薫子の頬を細い指が挟んだ。
「見かけとちごうて、あれは気性が強い。それが母譲りで兄上のお気に召さぬのやもしれぬ。あの子が生きてきた道は平坦ではなかろう・・その子が守りたかったのは、そなた一人よ・・わかるか?」
母代りのこのお方が知る兄の生きてきた道・・おそらくのことは、薫子にも想像はできている。子供ではないのだから・・
「あの、兄上が、そなたをどうしようとしているのかわからぬ。もしかしたなら、兼の身にも災いが及ぶやもしれぬ・・」
その言葉が薫子には一番こたえる。しかし、あの権力者に対して自分に何ができるのか?見つからないのも確かなことだ・・
「・・中宮さま・・お言葉心より感謝申し上げます。なれど、幼いころより兄に大切にされて育ってまいりました薫子ができうることは、ただ一つでございます」
中宮様の手をたいせつに押し包み、薫子は笑った。
「兄を、守りまする・・太刀をもってしても、守りまする」
後は、この身を以てしても・・その言葉は言うことはなかったが・・
「守ってやれなんだわたくしが言うのもおこがましいやもしれぬが、何かの時には必ずわたくしを頼れと兼に伝えよ・・」
その言葉が、どれ程心強いか、それを知るのはまだあとのことではあったが、その日のうちに薫子は中宮御所を出て久しぶりに我が家へ帰ることになった。
その薫子につけられたのはひとりの護衛。
「わたしを、まいて消えようなぞと、くれぐれもお考えになりませぬように」
そんなことを言う人に薫子は笑うしかなかったが、それでもこの人を自分に付けてくれた中宮さまの心に深く感謝した。
「わたくしに、まかれるようなお方ではありますまいに・・基之さまは・・」
本来の職責は春宮付き武官。藤原 基之。
この人の存在には心が少し軽くなったような、そんな温かさを持って、つかず離れず基之はこの日、如月家へ薫子を送り届けた。




