届かぬ想い
検非違使長官として人斬りを追いながら、時があればここ、宮中楽所に顔を出して稽古を続けること。それが兼の日課になりつつあった。
もっとも、「陵王」は若いころに舞った経験があったからその手順をおさらいしただけでもあったが。
その舞い姿の美しさは当代を代表する舞い人達でさえ感嘆せしめたほどに、優雅かつ勇壮な舞であった。
「まこと・・「陵王」を舞うためにお生まれになられたようなお方よな」
「あれで、朱色の衣装を着けられれば、そのまま「陵王」が出来上がりましょうの・・」
そのささやく声を、薫子は聞いていた。
(あのお人と、とてものこと張り合うなぞとは、考えられぬ・・)
あの夜のこと以来、薫子には監視がついた。
中宮さまへとりなしの文を書いてくれたのは春宮さまで、そのおかげで何とかもとに収まってはいたが、監視がつくことは仕方がない。
ただその監視人が何故か「勾当内侍」ということには困った。
しかも、もう一つ、中宮さまがお望みになられたことがあった。
それが、今、薫子がこうして楽所で兄の舞いを見ている成り行きであった。
そばで、身じろぎもせず冬子姫が見ている先にいるのは、舞い人の兄である。
「そなた、右舞を務めよ」
そう言い渡されて左舞を舞う兄と共に右舞を務めることになってしまったが、左舞の経験は多少あっても兄には遠く及ばない。ましてや、右舞である
、雅楽というのは左舞と右舞の番舞である。「陵王」の場合左舞が朱色、右舞が緑の衣装で舞われ、右舞は左舞の答舞である。
稽古が一段落したころに、検非違使庁から迎えが来る。職務優先であるために、兼は楽所を辞してゆく。あの夜、兼にそれはこっぴどく叱られた。
が、どういうわけかあの夜いた白拍子の館が何やら兼の勘に触れたらしく、その日以来何か動いているようなのだ。
迎えに来た配下の者に少し指示を与えて出て行った。そのあとを勾当内侍が追った。
廊下に立ち止まりすこし考え事をしていた兼は、突然、背中から抱きしめられて戸惑った。自分の体に回されている細い手。わずかに漂う香・・
「・・ご迷惑でございましょうか?・・」
泣きそうな声が誰かを教えた。冬子姫・・
久しぶりに会ったときに、普通にあいさつを交わし、薫子のことを頼みそれ以上でもなく過ごしているものの、その人が自分を見つめていることは、舞いながらいやというほど感じている。
「いえ、迷惑をおかけしているのはこちらです」
背中に内侍の暖かさを感じながら兼はその手を握って振り返った。
「わたしになぞ関わりあったために、あなたを不幸にしてしまったのでしょう・・どうぞ、ご自分のお幸せを見つけてください。わたしなぞよりずっと良い男を・・」
それは、内侍を決定的に打ちのめした。心の深い所にずっと秘めてきた思いを、この人はあっさりと他の男を見つけろと言ったのだ。
大きな瞳いっぱいの涙が頬を伝ってこぼれおちる。
(俺は・・地獄へ堕ちるだろうな・・)
再び呼びに来た部下とともに去って行く人の後ろ姿を見送って、その場に崩れ落ちた。声を出さずに泣くだけで精一杯だった。室内からは薫子の舞う楽の音が聞こえてくる。
勾当内侍・冬子ひめ、届かぬ想いにただ一人で肩だけを震わせて泣いていた・・・
「陵王」は男性が舞うときは龍頭の仮面をつけますが、女性が舞うときは仮面は付けないということです。双龍舞とも呼ばれるそうです。兼が冬子さまを振ってしまいました。そんな言い方ないやろ~!!書いていてはら立ちました!思わず冬子ちゃんに肩入れして、「そんな男、はり倒してやれ!」と言ってしまいそうになりましたが、冬子ちゃんやさし過ぎ・・一人で泣くんかい?・・恋って一人で泣くものなんだよね・・だから孤悲って書くんだよね。遠い日を思い出してしまいました・・・




