勾当内侍(こうとうのないし)
先ほどから立て続けに二度、あくびをしてしまった。
「小宰相、眠いか?」
笑いながら中宮さまが呼びかけた。
見られていた・・まずった・・
中宮さまの側へ上がって早十日、「小宰相」という呼び名を与えられてはいたものの、何せ勝手の違うところで、毎日が緊張の日々であった。
おまけに、ここでは考えられないほど人々は、宵っ張りの朝寝坊なのだ。
日々の祭祀と和歌を詠むこと、あとは女同士の「いけず」・・・
それしかないのか?!薫子には理解できない世界であった。
中宮さまが母親代わりという噂はすぐに広がったらしく、妙に近づこうとする者たちもいる。その中で薫子のことを案じてくれているのは
「勾当内侍」こと、冬子姫であった。
中宮さまの許で久しぶりに会ったその人は、相変わらず美しかったが勤めにも慣れたのか有能な女房になっていた。
これほど喜んでくれるのかと思えるほどに歓迎してくれて、ここでの暮らし方の手ほどきをしてくれる。
「おいおいに慣れて行かれませ・・」
そう言って、薫子の手をとり、泣きだしそうな顔で笑った。
「あの・・お元気でおられましょうか?」
本当はそのことを一番に聞きたかったはずなのに、それを聞いたのはようやく薫子が務めにつき始めたころのことだった。
誰が・・とは言わない。
「はい、相変わらず洛中を飛び回っておりますよ」
「そう・・お元気なのですね・・」
そう返しただけでうつむいてしまった人に何とも申し訳のない気持ちにさせられる。
中宮さまに「薄情者」と呼ばれた人は、この人をここに置いたままでどうするつもりもないらしい・・儚げなほどのこの人は、ここにおいても貴族達の注目の人であるという。聞いただけでも届く文の数は知れず、妻に望む人もまた、数多いとか・・そんなこの人の想い人は・・・
「薄情者」・・・である!
二人の時は「冬子さま」「薫子さま」と呼び合うが、薫子は浮いている。
それを勾当内侍は気遣ってはくれるのだが、いつもそばにいられるわけではないので新参者の薫子には色々なことが起きたりする。
そんな頃に、薫子は意外な人に出会った。この人が何故ここにいるのかと立ち止まったまま、近づいて来る人を見ていた。
その人の笑顔は久しぶりに見た。
「案じていました・・あなたがここへ来るとは、思いもよらぬことでしたから」
「基之さまこそ、何故ここに?」
問いかけにいたずらっぽい笑い方をしたのは藤原 基之。
確かこの人は、春宮付き武官であったはずだ。
「いや、あなたの護衛、です」
思いがけないことを言われて怪訝な顔の薫子に、端正な顔立ちが向けられる。
「半分はね。期限付きでこちらに移動中です」
「よく春宮さまが、基之さまをお手放しになられましたこと・・」
「優秀な奴が参りましたゆえ、わたしはお役御免なのですよ」
この人に代わる人が現れるとは、よほどの切れ者ではないのか?
小声でひそひそと話す二人が誰に見られていたのかは分からない・・
中宮さま、お気に入りの新参女房と噂の切れ者との「密会」は妙な尾ひれがついてひそかに広がって行った・・それが話がややこしくなって行く始まりでもあったのだが・・・




