川の手前
父と母と高校3年生の女の子の家庭だった。
毎朝、
「早く起きなさい、遅刻するわよ。」
「あなたも新聞、もういいでしょ。早く食べて。」
と、どの家にも共通の戦争が始まる。
で、娘も父親も時間ギリギリに家を出る。
「あと10分、いや5分でも早く起きればいいのに。」
それが母親の口癖だった。
母親も片付けを済ませるとパートに出た。
いわば典型的な家族だった。
娘は、教室では後ろの端の席だった。居眠りができてラッキーだと思った。
出入り口に近いからか、みんなが声をかけてくれた。
彼女は彼女なりに楽しい学校生活を送っていた。
但し、ある時から、関節の節々がいたくなり、部活に入れないようになり、それが残念だった。
母親はパート先のスーパーのレジで「大変だったわね。頑張ってね。」と声をかけられることがたまにある。彼女は笑って返した。
父親は会社で「もう心の整理はついたかね」と上司に尋ねられる。「はい、とっくに」と答えている。
夕方になると、まずパートの母親が帰ってくる。その次に娘。最後に遅れて父親。
もう何年も変わらないパターンだ。
今日は娘が大好きなすき焼きだった。しかし娘は箸をつけなかった。
「どこかわるいの?」
と母親が尋ねたが返事はなかった。
「今はおなか一杯なんだろう。そのうち食べるさ。」
と父親。
娘は自分の部屋に上がっていった。
「最近、元気がないわね。」
「受験も近いし、そういう時期なんだろう。」
「そうかしら。」
最近は休みの日にも友達と遊ばなくなった。
よく庭いじりをしている。何かを作っているみたいだがすぐに壊してしまうので何を作っているのか母親にも父親にもわからなかった。
そんな彼女が学校で「仏教」の授業があった。そこで彼女は意を決した。
次の休みに、彼女は両親にもみえるように隠すことなく何かを作った。
「ちょっと、あなた。」母親が腰を抜かすほど驚いた。
「ああ。」父親も言葉が出なかった。
それは、賽の河原にあるという積み石だった。
「ああ。確かにケアンだ。」
「ケアンって鬼が壊しに来てくれるのよね。壊してくれなきゃ、あの子、三途の川を渡っちゃうじゃない。」
「ここは現世だ。きっと鬼は来ない。可哀想だが私たちが壊すしかない。」
彼女は日没になると作業をやめる。まだケアンは完成していない。
夜、彼女が寝たのを見計らって、父親がケアンを壊しに行った。
次の休みも彼女は壊れたケアンを積み上げた。
そして、父親に壊された。
これを何ヶ月も繰り返した。
「もういいわ。」母親が言った。
「あまりに不憫ですもの。もう行かせてあげましょうよ。」
「そうだな。彼女の意思は固い。これ以上彼女を引き留めるのは我々のエゴにすぎないな。」
とうとう彼女のケアンは完成した。
両親は彼女のために白装束と六文銭を用意した。彼女は旅支度をととのえた。
ちょうどその頃、学校の友達がやって来た。
「いよいよ行くんだね。」
「さびしくなるよ。」
「むこうにいっても元気でね。」
父親は不思議に思った。
「君たちには娘が見えていたのかね。」
「見えてはいませんが、気配は常に感じていました。」
「じゃあ、今は。」
「白装束の彼女がきれいに見えますよ。」
「みんな。今までありがとう、さようなら」
「お父さん、お母さん、ご恩は忘れません。どうか長生きしてください。」
そういうと賽の河原の方に去っていった。
数年前、こんな記事が載った。
居眠りのトラック高校生をはねて死亡。死亡したのは△△高校1年生の○○○○さん。
こんな1行の文章で娘の一生が片付けられるのが、どうしても我慢出来なかった。
両親の思いがつくった2年間の出来事だった。