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この子が抱けない

 大学病院なので、普通の出産をした美加は相部屋になるのだが、無理を言って個室に入れてもらった。

 出産の翌日、看護師が気まずそうに入ってくる。母乳指導で、同じ日に出産した人たちが集まって、母乳のやり方や搾乳の仕方などを習うという。


 しかし、私は断った。あの子が自分の子だと確信が持てないのに、母乳なんかあげられない。抱くことさえできないのに、どうやったら母乳をあげられるのだろう。


 その次の日も私は息子に会いにいくこともせず、病室で一人ぼんやりするか、涙を流していた。一度だけ私の両親が見舞いに来たが、子供に関することは何も言わずにそそくさと帰っていった。


 これから私はどうなるのだろう。真司さんも顔を見せない。もちろん、義父母も。たぶん、友人にも出産のことを伏せているのだろう。

 地域に顔が利く桜林家の嫁が、黒人の子を産んだということが知れ渡ったら、格好の噂話になってしまう。


 たぶん、離縁されるだろう。退院しても私の帰るところはない。あの子を一人で育てていかなくてはならない。どうやって?


 生まれる前は真司さんと一緒にベビーベッドを買ったり、男の子でも女の子でもいいように白い服を用意したりしていた。気の早い義父は三輪車まで買ってきた。

 皆が幸せと感じられる一瞬だったのだ。

 

 出産三日目になると胸が張り始めてきた。看護師が初乳を搾り、息子に飲ませてくれるとのことだった。 しかし、私にはどうでもいいことだった。


 私の病室の前を、他の新米ママたちが楽しそうにおしゃべりしながら通りすぎるのが聞こえた。本当なら今頃は私もその中の一員としていたはずなのに。

 そう思うと、また涙がこぼれるのだった。


 その日の夕方、婦長が厳しい顔で言ってきた。

 出産から部屋にずっと閉じこもっている私に、食堂で他の人たちと一緒に食べろという。それなら食べないつもりだったが、夕食の時間になると婦長が迎えに来た。

 しぶしぶ、食堂へ行く。端の方で一人で食べた。


 他のママたちは学食のように集まって食べていた。彼女たちの夫や友人が面会に来る。いたたまれなくなった私は、早めに切り上げて席を立った。

 食堂を去る時、ひそひそ声の中、「ああ、あの黒人の・・・・」という声が聞こえ、逃げるようにして病室へ戻った。


 出産以来顔を見せなかった姉がひょっこりやってきた。

 身に覚えのない私がなぜ、黒人の子を宿したのかわかったという。添乗員をしている友人のツテから、現地の人にいろいろ調べてもらってわかったのだそうだ。


 真司さんと私が宿泊していたホテルの従業員が、ドラッグを飲み物に混ぜて宿泊者の女性をレイプしたということで、捕まっていたことがわかった。その従業員は黒人だった。彼は私たちが泊まっていた日も仕事をしていたという。


 そういえば、海で日焼けした私たちは無性にのどが渇き、ルームサービスで飲み物をオーダーした。そして、その後は二人ともそのままぐっすりと寝入ってしまったのだ。

 翌朝、確かに私は身に覚えのない性行為の違和感を覚えていた。しかし、夫と一緒に寝ていたのだ。もしかすると私がぐっすり寝ている間に、真司さんがコトが済ませたのかと思っていた。なにも寝ている間に・・・・と疑問を抱いたのを覚えている。


「そのドラッグはレイプドラッグとも言われていて、無味無臭らしいの。バーとかで気に言った女の子に声をかけて、その子がトイレに立った時、彼女の好みの飲み物を注文し、ドラッグを入れて、奢りだよと言って飲ませる。すると熟睡したように眠ってしまうそうよ。彼女が酔ったみたいだから送ると行って、車にでも引きこんでレイプするという事件が外国であったって。その従業員は新婚カップルばかりを狙って、ルームサービスの飲み物に入れていたみたい」


 浮気をした疑いは晴れても、今度はレイプされて生まれた子ということに変わっただけだった。真司さんも義父母たちの血は全く受け継いでいない。

 また、涙が出てきた。こんなことならまだ、浮気をした子供の方がよかったかもしれない。

 みじめだった。ワ―ワ―泣いていると、姉が声を荒げた。

「父親が誰であろうと、母親はあなたのはず、あの子のためにもしっかりしなさい」


 それでも抱くことができない。抱けないのだ。

このレイプドラッグは事件になって以来、バーなどの従業員がそんなことが起こらないように見張っているそうです。

ある大学の寮で、男の子たちが女性の飲み物にこれを入れて、しかも数人が密かに入れていたため、ドラッグを飲みすぎて死亡したという事件も起こっています。

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