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第7話 白の巫女

 イギリスの中でも北寄りにあるこの地域では短い夏が終わり、そろそろ冬の準備が始まる季節になってきた。

 楓などの広葉樹は葉を赤く染めて風が吹く度にその身を落としている。全ての生物が活動をゆっくりと停滞し始める気配がこの地を包み込みつつあった。


 俺は朝の眠気を振り払うために中庭を散歩していた。吐く息が白く曇る。淡い靄がかかる中庭は幻想的な雰囲気を醸し出していたが、一方でそれを台無しにする芝刈り機の音が独特のリズムを刻んでいた。

 庭師のトムが芝刈り機を中庭の芝に丹念にかけていた。いつもの紺色の作業着の上にジャンパーを着込んで、茶色の手袋をはめていた。

 60歳近いのに庭仕事で体を毎日動かしているためか、その動きにはよどみがない。


「やあ、おはよう、トム。朝から庭の手入れとは熱心だな」


 俺が声をかけるとトムは芝刈り機を止めて帽子を取り挨拶をした。


「アーサー坊ちゃん、おはようございます。普通の芝なら、これだけ気温が低いと成長しないんですがね。どうも中庭の芝は違うようで今でも芝が伸びるんでさぁ」


 芝刈り機の中を除くと刈り取られても青々としている芝が小山になって、そこにあった。


「へえ、中庭の芝だけなのか?前庭にも芝生が植えてあったと思うが中庭とは違う種類の芝だったのか?」


 トムはくしゃりと笑って首を横に振った。庭の植物の話になると子供のように嬉しそうに話をした。


「前庭とここの芝は同じ種類ですねぇ。去年まではこんなことは無かったのですが、ここの芝だけ突然変異でも起こしたんでしょうかねぇ」


 どくん、と心臓が鳴った。

 中庭は丁度ユキを閉じ込めている地下室の上にあたる場所だ。去年と今年では違う芝の成長。ユキがその原因としたら彼女は白の巫女の可能性がある。巫女の力の一つである再生の力で芝が成長していたとしたら……。


 ユキに会って確認しなければ――。

 はやる心を抑えてトムに労いの言葉をかけてから、書斎に向かって早足で歩き出した。僅かな距離がひどくもどかしく感じられる。

 書斎に入るとドアに鍵を掛けカーテンを閉める。本棚に偽装した隠し扉を開けると地下へ降りる階段が現れる。ひと二人分の横幅しかない階段は、8メートルほど地下に伸びている。地下の突き当たりのドアにマスターキーを差し込んで開けると地下室のリビングに出た。


 一刻も早くユキに会いたいと思っていたはずなのに、寝室の方から聞こえてくる彼女の切ない歌声に俺はリビングから動けないでいた。

 二度と会えない愛しい人への扇情的で悲しげなバラード。それは、ユキの帰りたいという心情と想い人への恋情を余すところなく表現していた。


 俺は彼女の心の慟哭を聞かされた気がして、白の巫女を見つけたかもしれないと浮かれていた十数分前の自分を殴りつけてやりたくなった。

 ユキが白の巫女だった場合、この陽光が射さない地下室に彼女の意志を無視して一生閉じ込めておくのか? 幾多の犠牲者を死に追いやっておいて彼女を自分に縛り付ける権利などあるはずもない。

 そう思う一方で、唯一の救いが欲しい。どんなことをしてもユキを俺の腕の中に絡め取ってしまいたいと願っている自分が確かにいた。


 ははっ、何て浅ましいのだ。今まで救われることを諦めかけていた俺が、僅かでも希望を見出した途端にこんなに心が揺らぐとは。

 ともかくユキに会って確認するのが先だ。


 俺があれこれ思い悩んでいる内に歌はいつの間にか終わっていた。ゆっくりとユキの寝室の前まで歩いて行きドアをノックした。

 中から返事があり、暫くしてからユキが躊躇いがちに寝室のドアを開けた。もうすぐ寝るつもりだったのかユキはパジャマ姿だった。泣いていたのかユキの目は少し充血していた。

 俺の姿を認めるとユキは一瞬だけ黒い瞳に怯えを走らせた。だが、すぐにそれを抑え込んで曇りのない強い意志を宿した眼差しを俺に向けた。


「また、生気を食べに来たのですか? 確か昼食の後にあげたばかりだと思うのですが……」


 やんわりと非難するような口調でユキは俺の用件も聞かずに言った。俺がここに来る用件の七割は、ユキから生気を貰う事なので、そう思われても仕方ないのかもしれない。


「いや、今日は君に確認したいことがあって来た」

「確認したいこと?」


 ユキは怪訝そうに眉を(ひそ)めた。ユキは既に短くはない期間ここに囚われているのだ。確認しなければならない事なんてとっくに終わっているはずだと、彼女の思考が手に取るように分かった。


「すぐに済むよ。そのままでいい」


 俺はユキの両肩に手を置き、彼女が動かないようにしてから、目に力を回して彼女の生気の流れを見た。

 ユキの生気は以前よりもずっと輝きを増して、体の中に納まり切れずに太陽が放つフレアのように体から溢れ出していた。特に背中から湧き放たれた生気は、左右に分かれて白い羽を思わせる形をとっていた。それは、まるで大天使が大空へ舞うために大きく翼を広げているかのようだった。

 ユキから初めて生気を食べた時よりも、彼女の体内を巡る生気の量は格段に増えていた。巫女が例外なく備える資質である生気の回復を確認して、俺は信じられない思いで立ち尽くしていた。


 ――彼女は白の巫女だったのか――


 枯れる事のない生気の泉。俺と並び立って共に生きていける奇跡の存在。俺の唯一の救い。それが、今、この手の中にある。

 全ての躊躇(ためら)いが、この時吹き飛んだ。


 ユキ、君の心が他の男に向いていたとしても俺は君を離さない。イギリスと日本、普通なら触れ合うはずも無かったユキと俺の人生。出会いは望んだものではなかったが、こうやって君がここに居るのはきっと運命なのだろう。


 心の奥底から止めどなく溢れる愛しいという想い。ユキは犠牲者で、いつか俺の手で死に追いやる存在だから無意識の内にこの想いを心の奥底へ追いやってきた。でも、もうそんな必要はない。彼女に触れて抱きしめて、思うままに愛の言葉を囁きたい。

 今は想いをユキに伝えても怯えて拒否されるだけだろう。だから心の中に留めておこう。必ずいつか君の心の壁を取り払って、俺を受け入れさせてみせる。


「アーサー、痛い。骨が折れる。離して」


 ユキのか細く震える声で、気が付かないうちに俺が彼女を腕の中に抱き込んでいた事に気づいた。ユキは束縛の力が強すぎて上手く呼吸が出来なかったのか、浅い息を繰り返していた。


「ああ、すまない」


 慌てて腕を解くと彼女は二歩下がってから頬を赤く染め涙目で俺を見上げた。その姿に俺の嗜虐心が煽られて甘い疼きが背中を走ったが、これ以上警戒されるのは得策ではないと理性で抑え込んだ。


「確認はもう終わったの?」

「終わったよ。ユキ、寝る寸前だったのに協力してくれてありがとう。おやすみ」

「おやすみなさい」


 ユキは礼儀正しく礼をしてから寝室のドアを閉じた。


 ユキは俺に対してまだかなりの警戒感を持っている。ユキのテリトリーである寝室には絶対に俺を入れようとはしないし、生気を食べられる時以外は俺の手の届く範囲には可能な限り近づかないようにしている節がある。

 これは前途多難だな。


 だが、時間だけは十分にある。焦ることはない。今、ユキを独占しているのは他でもない、この俺なのだから。


 これからは時間を作ってユキに会いに来よう。生気を必要とする時だけでなく、そうでない時もここに来て彼女の存在を感じたい。彼女の心を俺に引き寄せられるなら、ストックホルム症候群だって、何だって利用してやる。手段など選ばない。

 これから起こるであろう俺とユキの心理戦を思いつつも、マックスと親父に白の巫女が見つかったことを伝えるべく地下室を後にした。


2012.05.13 初出

2012.09.11 改行追加


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