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第5話 キツネとタヌキの化かしあい

 アーサーに許可された品物は、私が三度睡眠を取って目を覚ますまでに、全て用意されてここに運び込まれた。その中にはボールペンとノートが含まれていた。

 ここにはカレンダーもなく、日にちの感覚が曖昧になりがちなるのを十分予想できたので、日記を付ける事にした。


 ここで初めて目を覚ましてから気絶を含めて三回は睡眠を取っているのだけど、拉致されてから本当は今が何日目なのか分からない。

 ロビンソン・クルーソーは木の板に線を刻んで日数を記録していったらしいけど、無人島には太陽と月が空を巡っていたから日が過ぎるのは容易に確認出来ただろう。でも、ここは窓が一切ないから今が昼なのか夜なのかも確認することはできない。


 結局、頼りにせざるを得ないのは、正確さにはほど遠い私の体内時計のみか――。

 日記に日付をどう書こうかと悩んで『拉致覚醒後四日目』と書くことにした。私が眠さに耐えきれなくなって眠った時を一日の終わりとすることにしよう。


 拉致覚醒後四日目

 アーサーにお願いした品物は、今日で全部揃った。今まで暇で仕方なかったので、これから料理をいろいろ作ってみよう。

 レアチーズケーキは失敗が少ないから、おやつ用に作ってみようかな。今度アーサーが来たらフレッシュチーズとサワークリームも食材としてお願いしよう。

 食材のリストに『米』と書いたら、細長い形のインディカ米が届いた。日本で米と言えば、ジャポニカ米が当たり前なのに! でも、インディカ米をどうやって食べようか? パエリアにするには、サフランがないし、ピラフにするには小海老がない。うーん、何とかして消費しよう。

 『お米一粒には七柱の神様が宿る』って言うから。


 万が一アーサーに読まれても差支えのない内容を書き連ねていく。アーサー以外には喋る相手がいないから、書くことはいいストレス解消になる。

 ここ三日間の観察で分かったこともあった。「暇で」と日記には書いたが、時間の許す限り寝室の壁か床に体と耳を押し付けて振動と音を拾っていたのだ。傍から見ると不貞腐れて寝ているだけに見えたかもしれない。

 人が動くと何かしらの振動か音が僅かに発生する。個性が人によって違うように歩き方も人によって違ってくる。それを把握することで私の監禁に関わっている人数を割り出そうとしていた。


 ここに入ってくるのはアーサー以外にも何人かいるようだった。しかも、どこからか遠隔操作で各部屋のドアの鍵が開閉できるらしく、二時間ほど寝室に閉じ込められたことがあった。その間に居間あたりで二人分の足音がしたので、たぶん荷物を運び込んでいたのではないかと思う。

 アーサー以外の人はまだ姿を見ていない。極力私との接触を避けている感じがする。

それが分かっても行動パターンが読めた訳ではないので、今のところ、どうしようもないのだけど……。



 台所へ行き黄緑色のエプロンを着けると早速調理に取り掛かった。ここにあるコンロは全て電磁調理器で火の気がない。だから、ボヤ騒ぎを起こして外へ通じるドアを開けてもらう方法は残念ながら取れない。


 今日のブランチのメニューは、ポトフ、サーモンのムニエルとインディカ米のご飯。

 野菜を切ってベーコンと共に圧力鍋に入れ、水がひたひたになるまで満たし、コンソメと塩、胡椒で味付けして電磁調理器にかけた。一時間前にインディカ米を研いで水の調整をした鍋も電磁調理器にかけた。


 サーモンの切り身に塩と胡椒(こしょう)をふって下ごしらえをしているとアーサーが台所にやってきた。

アーサーは薄灰色のパーカーに茶色のスラックスというラフな服装をしていた。いつもはスーツ姿が多いのだが今日は休日なのだろうか?


「いい匂いがしているね。これから食事か?」

「まだ作っている最中ですから、あと30分位はかかります。生気を食べに来たのでしたら、10分ほど待ってもらえると助かります。急ぐのでしたら、すぐに準備してきますけど」


 お米が炊けるまでは電磁調理器の前から離れる事が出来ない。火加減を誤って焦がすのは嫌だ。それに電磁調理器でご飯を炊くのは初めてなのだ。少しでも早く電磁調理器を使うコツは掴んでおきたい。

 素っ気ない口調で答えると、アーサーは右手を上げて私を制した。


「いや、今日は時間があるから食事ができてからでいいよ。そうだ、俺の分も用意してくれないか。一緒に食べよう」


 う、食事が終わるまで居座るつもりか。拉致監禁犯人と一緒に食事しても楽しくない。でも、私には拒否権はない。絶賛監禁中の身だし。

 心の中で小さなため息をつくと、アーサーにカフェのバイトで鍛えた営業スマイルを向けた。


「では、居間で待っていて下さい。お茶でも出します。紅茶で良いですか?」

「ああ、いいよ」


 やかんにミネラルウォーターを勢い良く注ぎ、お湯を沸かす。ポットにティースプーン二杯の紅茶の茶葉を入れ、お湯を注いでポットに布巾で包んで蒸らす。しばらく待ってから、温めたティーカップに紅茶を注ぎ入れて、砂糖ビンと共にトレーに載せてアーサーの元へ持って行った。


「どうぞ」

「ありがとう」


 アーサーが一口紅茶を含んで、口元を綻ばせた。


「美味しい」


 紅茶の茶葉は良質なものだったし、店長直伝の淹れ方だから美味しくないはずがない。でも、褒められるとやはり嬉しい。

 トレーを胸に抱きしめながら、ほんの少し気分を良くして台所に戻った。


 サーモンの半身から大きめに一切れ切ってムニエルの下ごしらえを追加した。

 アーサーは背も高く――190cmはあるんじゃないだろうか――抱き上げられた時の感触からすると、体格はがっしりして引き締まった体をしている。きっと食べる量も多い。

 フライパンにバターを十分溶かし込んで小麦粉をまぶしたサーモンを乗せる。ポトフとご飯を食器に盛り付けながら、時々バターの油をすくってサーモンに上からかけていく。衣がカリッと狐色になった頃を見計らって、電磁調理器の電源を切ってサーモンのムニエルをお皿に盛り付けた。


 テーブルにできた料理を運ぶと、アーサーがどこからかワインと二つのワイングラスを取り出してきた。

 どこから持ってきたのだろう? 私が要求した品物の中には、料理用のお酒しか頼んでなかったはずだけど……。

 アーサーはワイングラスをテーブルに置いてワインを注ごうとした。私は自分の側に置かれたワイングラスに手をかざし、飲まない意志を示した。


「私には飲酒の習慣は無いのでお酒は飲みません」

「1998年物ブルゴーニュ産の白ワインだから、美味しいと思ったのだが……残念だな」


 アーサーはそう言うと手元にあるワイングラスにだけワインを注いだ。白い液体が彼のワイングラスに満たされるとワイン独特のフルーティーな香が鼻孔をくすぐった。

 何年物と教えられても下戸の私にはお酒に興味が全く沸かないので価値が分からない。それに飲み会で日本酒を小さなコップ一杯飲んだだけで、全身が真っ赤になり前後不覚に陥った醜態をここで晒す気は毛頭ない。

 食事の準備ができたので私とアーサーは席についた。


「いただきます」


 私が両手を合わせて食事前の挨拶を言うのを、アーサーは不思議そうに見ていた。


「それが日本の習慣なのか?」

「そうですよ。生きるための糧を与えてくれた植物や生き物に感謝して、料理してくれた人に感謝するための言葉です。イギリスでは食事の前に神様に感謝する祈りを捧げるんじゃないのですか?」


 キリスト教の敬虔な信者はそうすると思っていた。違うのかしら。


「……この世に神など居ない。存在してないものに祈って何になる」


 アーサーはワイングラスを揺らしながら、冷ややかに自嘲した。

 私の発言がアーサーの地雷を踏んだのだろうか? 途端にアーサーの機嫌が悪くなった気がした。もう、この話題はしないでおこう。


「料理が冷めてしまわないうちに食べて下さいね。ポトプはお代わりがありますから必要なら言って下さい」


 私はお箸で、アーサーはナイフとフォークで食べ始める。さっさとこの気まずい雰囲気から抜け出そうと機械的に食事を口に運んでいると、アーサーが私の手元をじっと見ていた。


「ユキはそんなに少ない量しか食べないから小さいままなんだな。俺が生気を食べると必要以上にユキは体力を消耗するから、もっと食べないと体が保たないぞ」


 私が気にしている事をアーサーに指摘され、ぴくっと口角が吊り上るのを顔に営業スマイルを貼り付けて誤魔化した。

 ええ、小さいですよ。どうせ童顔ですよ。年相応に見られたことないですよ。今はアーサーが用意してくれた服のせいで余計に幼く見られそうですね――――。


「日本人はもともと小食で、この量は普通です。小さいのは、たぶん遺伝的なものです。生気をこれまで三回は取られましたけど、最初を除けば取られた直後に体のだるさと軽い眩暈がある事以外は、体調の変化はありません。だから、この量で大丈夫です」


 アーサーは納得していないようだったが、私にだって食べれる量には限界がある。


「それよりも、アーサーはどうして生気が必要な体になってしまったのですか? 生まれつきではないのでしょう?」


 食事中の話題としては微妙だったが、原因を知りたくて私はアーサーに問いかけた。

 もし、アーサーが生気を食べる必要が無くなれば私の解放に光が見えてくるかもしれない。


「話してもいいが、到底信じられないような内容だぞ」

「構いません」


 信じるか信じないかは話を聞いてから決めればいい。今は、少しでも情報が必要だ。

 アーサーはワイングラスに残っていた液体を喉に流し込むと、どこか遠くを見つめながら話し始めた。


「俺は一人っ子でね。いずれ家を継ぐことになるのだが、それを快く思っていない叔父と従兄弟がいる。俺が死ねば家を継承するのは彼らになるから、気持ちは分からないではないけどね。不思議なことに、幼少の頃から俺の周りと俺自身によく事故が起こり続けていてね。電車のホームから線路に突き落とされそうになったり、乗馬の最中に馬を撃たれて大怪我しそうになったり、ワインに毒を仕込まれたり……いろいろあったな。24歳の冬のある日、俺はスキーを楽しみにペンションに泊まった。そうしたら眠っているところを三人組の男に襲撃されてね。薄氷の張る湖に手足を縛られて投げ込まれ、その時に死んだ。水の冷たさ、水を飲んだ時の苦しさ、よく覚えているよ。死んだ直後に地元の人間に発見されて、すぐに母が駆けつけてくれた。母は俺の死を悲しんで体に縋り付いて泣いてくれた……。俺はその様子を天井からぼんやり見ているだけだった。日本ではこの現象のことを幽体離脱とか言ったかな。母はハンドバックからチョーカーを取り出して俺の首にかけ、自分の指をナイフで浅く切って血をチョーカーの水晶になすりつけて言った。『アーサー、あなたは生きて』って。チョーカーの呪いを発動させた代償で母は死に、俺は魂を体に留めるこの呪具のおかけで生き返ることができた。それからだ、生気が必要になったのは」


 アーサーが指で示した先には、銀の鎖に繊細にカットした水晶を連ねたチョーカーが首元にぴったりと纏わりついていた。水晶は透明ではなく、赤黒く石の中まで染まっていた。

 後悔、無力感、自責、そんな感情がないまぜになったアーサーの表情を見て、彼は本当の事を言っていると直感した。それは、大震災で肉親を亡くした人達が還らぬ人について語る時に共通するものだったから。


「どう? 信じられない話だろう?」

「あなたの話を信じます」


 アーサーの視線を正面に受けて即答した。彼の目は驚きで見開かれていた。


「あなたに辛い話をさせてしまって、ごめんなさい。お母様が亡くなられていたとは知りませんでした。悲しい思い出を語らせて、すいません」


 目を伏せてアーサーに謝罪した。彼は戸惑った様子で視線を落とした。今まで誰にも信じてもらえなかったのだろうか。


「いや、いいんだ。ところで、ポトフお代わりしていいかな?」

「はい、入れてきますね」


 大き目の食器にアーサー分のポトフを入れたのだけれど、足りなかったか。体が大きいから、よく食べるのは仕方ないか。余った分は冷凍して保存しようと思ったけど今回は余らないかもしれない。

 食器を受け取ると私は台所へ向かった。台所の圧力鍋からアーサーの食器にポトフを取り分けると再び彼の元へ戻った。


「どうぞ」

「ありがとう」


 ポトフをアーサーのもとに置いて食事を続けた。インディカ米のご飯は粘り気がなくパサパサしていて、ジャポニカ米に慣れている日本人の私には食べにくい。私はポトフのスープとご飯を交互に口に含みながら、ご飯を胃の中へ流し込んだ。


「今度はユキの事を聞かせてほしいな」


 アーサーが器用にフォークにご飯を乗せながら口へ運んだ。


「私の事を聞いても面白くないですよ。自己紹介でもすれば良いの? 具体的に聞きたいことを指定してもらえると、答えやすくなるかも」


 こっちの情報はアーサーには可能な限り渡さないに限る。情報量の多さが交渉の優劣を決めることだってあるのだから。


「そうだな……。ユキには、恋人とか気になる男性はいたのか?」

「むぐっ」


 あまりにも唐突なアーサーの質問に、口にしていたご飯を喉に詰めてしまい、慌ててコップの水をあおった。

 二口飲んだところで、それが水でない事に気づいた。口の中に広がるフルーティーな芳香とアルコールの匂い。口当たりが良く上品な味がする液体の正体は、アーサーが持ってきた白ワインだった。

 アルコールはダメだと思ってコップを口から離そうとしたときには、三口目が喉を通過したところだった。


 確かにさっきまで私のコップには水が入っていたはずなのに!

 ポトフのお代わりを取りに席を立った時に、アーサーが中味を入れ替えたに違いない。

 睨みつけると、アーサーは怯むことなくにっこりと微笑みを浮かべた。


「どう? この白ワインは口当たりも良くて飲みやすいだろ」


 確かに美味しいワインだけど。そこは同意できるけど。私はアルコール自体がダメなんだってば。


「人をネタにして遊ぶのは止めてもらえませんか」


 椅子から勢いよく立ち上がり、アーサーをテーブル越しに正面から見下ろす。冷静だが怒気がこもった声でアーサーに言い放った。

 ここで言いたいことは言ってしまわないと、何も言えずに前後不覚になる事は経験上分かり切っていた。


「私、アルコール類は飲まないのではなくて飲めないんです! 最初に飲まないって断ったじゃないですか! 騙してまで飲まそうとするなんて信じられない。アーサーの腹黒、いじめっ子、意地悪。嫌がらせばっかりすると、生気なんて分けてあげないんらからね。わかっひぇるの(分かっているの)!?」


 アルコールが体に回ってきたのか本格的に感情のコントロールが効かなくなり、ろれつが回らなくなってくる。全身の熱が酒精に煽られて強制的に上げられていく。視界が霞かかったようにぼやけて呼吸が早くなる。


「おい、ユキ。体が真っ赤になっているぞ。まさか、アレルギーか?」


 アーサーが少し慌てたようにコップを手に私の横に立った。


「水を飲んでおけ。気分が悪いなら吐かせてやるから」


 どっちも嫌だ。彼の手にあるコップの中の液体が水である保証はない。また、この状態で吐くのは危険だ。上手く吐けなかった場合、誤嚥して窒息するか肺炎になるかもしれない。

 私は首を横に振って嫌だとアーサーに答えた。


 床が視界の中で左右に揺れだした。ああ、これは酔って眠ってしまう直前の状態に似ているなと冷静に分析していると、私の体はぐらりと傾いだ。次の瞬間、アーサーが左腕で私を抱き込んで支えてくれていた。

 酔いのせいで眠くなっていたので、私はそのまま眠りに身を任せた。


 こうなったのはアーサーのせいなのだから、ソファーに運んでくれるぐらいの事はしてもらえるだろう。

 アーサーが「立ったまま寝るな」とか言って慌てているのを他人事のように聞きながら、私は眠りに落ちた。


2012.05.11 初出

2012.05.11 段落修正

2012.09.11 改行追加


 日本で食べられるお米はジャポニカ種がほとんどですが、世界の米生産量からみると15%程しかありません。

 世界で一番生産されているのはインディカ種で、生産量の約80%を占めています。だから、その辺の事情を知らないアーサー達は、インディカ種のお米をユキに渡してしまったという設定になっています。

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