第4話 資質
お話の区切り上、今回は短くなっています。
ユキのいる地下室から地下階段を通って書斎へ戻ると、執事のマックスが待っていた。
マックスは俺が幼い時からの教育係であり、成人してからは執事を務めてくれている。医師の資格を持ち、MI6(イギリス情報局秘密情報部)の勤務経験もある有能な人材だ。
書斎のデスクに回り込んで、ひじ掛けのある黒革張りのイスに座った。まだ、陽は高く夏の日差しが中庭に降り注いでいるのが窓から見える。
マックスは地下室への隠し扉を閉めると俺に向き直った。
「アーサー様。犠牲者の所へ行かれていたのですか」
「ああ。状況説明ついでに生気も食べてきた」
「毎回お疲れ様です。今回も犠牲者が混乱して、手が付けられなかったのではありませんか」
マックスが濃い目の紅茶を入れてくれた。今日の茶葉はダージリンのようだ。一口飲んで一息つく。
「いや、そうでもなかった。条件は出してきたが、ほぼ状況を受け入れてくれた。表向きは、な」
「左様でございますか。珍しい事もあるものですな。それで、条件とは?」
マックスの言う様に、こんな事は珍しい。初めてのケースかもしれない。ほとんどの場合、犠牲者は自分が置かれた状況を受け入れるまでに、一悶着あるものなのだ。
俺のような化け物の餌になるのだから、それも仕方ない。
「生気を取る場所は背中限定。ユキが食べるものは彼女自身が調理する事を認める。この二点だ。何でもユキには食物アレルギーがあるらしい」
ジャケットのポケットからメモを取出し、マックスに渡した。
「物品の提供についてはいつも通りだな。これはユキが要求してきた品物だ。二本線で引いたものは、俺が提供を拒否した品物だ。マックス、日本語は読めたな?」
「はい。在日イギリス大使館の勤務経験もございますので一般的な文章なら読めます」
マックスからそれまで浮かべていた笑みが消え、無表情になる。彼の頭の回路が情報局員のものに切り替わったようだ。
「そのメモの内容を見て、どう思う?」
「料理や日常生活に必要なものが書き連ねてあるようですが、外部への連絡手段となり得るものと、時計の代わりになりそうなものが含まれています。後者については、アーサー様が全て拒否されたようですね。もしも、彼女が意図して、このメモを書いたのなら、是非、我が国の情報局員としてスカウトしたいところです」
「ほう。その理由は?」
マックスが珍しく他人を褒めている。俺にとっては単なる偶然のように思えるのだが、プロの目から見ると、違った面が見えてくるのだろうか。
「監禁環境下から抜け出す作戦を立てるには、まず監禁に関係する者の行動パターンを把握することが重要になります。彼女が監禁されている地下室には自然光が差さず、時計以外では時間軸を認識することは、ほぼ不可能です。このメモが意図されたものなら、彼女は逃亡を諦めていないと思われます。困難な状況下にあっても失われない精神の強靭さは、情報局員の重要な資質の一つなのです」
「資質があったとしても、無防備で注意力散漫な、か弱い女性が情報局員に向くとは到底思えないがな……」
着替えが無かったとはいえ、初対面の時バスローブ姿でいた事や、背後から近寄った時はこっちが声を掛けるまで全く気が付いてなかった事を思えば、ユキに適性があるとは俺にはとても思えなかった。
俺の言葉に、マックスはにっこり笑って答えた。
「日頃の習性なぞ、訓練次第でどうとでもなります」
「そういうものなのか?」
「そういうものです」
マックスは自信たっぷりに請け合った。
マックスがユキを情報局員にスカウトすることはできないだろう。何しろ犠牲者は、俺が生気を食べることで、いつかは衰弱死するか、ショック症状を引き起こして死んでしまうのだから。
「ともかく、メモの品は早急に手配してくれ。特に、調理に必要なものは急いでもらえると助かる」
「承知しました。あと、侯爵様がアーサー様に今回の犠牲者についてどうだったかと聞いておられます」
マックスにとっては、こちらが本題なのだろう。
俺の親父がリーフ侯爵家に残された怪しげな伝承と星占術に頼って『白の巫女』を探し出そういるとしている事は俺も知っている。ただ、その努力は一度も報われた事がない。
白の巫女は自然界の力を自在に取り込み治癒と再生の力を分け与える存在だと、リーフ候爵家に伝わる古文書に書いてあるらしいが、少なくとも俺はお目にかかったことがない。
「ユキの生気の色は白。量は豊富にある。今までの犠牲者の中では、質・量ともに最高だと思う」
ユキが白の巫女かどうかは、今は分からない。通常、人は生気量の回復が殆ど出来ないが、白の巫女はそれが出来るらしいのだ。だから、実際に俺が生気を食べ続けて数か月後に生気の量が減っていなければ、ユキが白の巫女である可能性が初めて出てくる。
マックスが黒いファイルを開いて、俺の発言を書きとめている。後で親父に報告するのだろう。
「いつまで彼女は保ちそうですか? 前回の犠牲者は二ヶ月しか保ちませんでしたが……」
「一年から一年半といったところだと思う。これだけ豊富に生気を持った人には今まで会ったことがないから、正確には俺にも計算しきれないな。もしかしたら、もう少し引っ張れるかもしれない」
「そうなりますと、監禁状態が長期化しますので、彼女の精神面に対するケアも考えなくてはなりませんな。発狂して自殺でもされたら、次の犠牲者の手配が間に合わない事態が生じかねませんので」
「ああ、頼むよ」
マックスはパタンと黒いファイルを閉じると、一礼をして書斎を出て行った。
いつも犠牲者が死ぬと、新たな犠牲者が親父の指示で俺のもとに送り込まれる。その度に繰り替えされる質問。もう何回目なのかも忘れた。それほどの犠牲者を潰して、俺の人としての生は成り立っている。
俺は深く椅子の背もたれに沈み込んで瞑目する。
誰でもいい。誰か俺をこの闇から救ってくれないか――。
2012.05.10 初出
2012.09.11 改行追加