第34話 クリスマス
イギリスの上流階級のパーティがどういうものかは、作者は詳しくありません。
想像で書いている部分もありますので、間違っている箇所があるかもしれません。
夕方になるとクリスマスに招待された客人達が本格的にリーフ侯爵家に集まり始め、客室から見える車道を通り過ぎる高級車の数が増えてきた。
私はリーフ侯爵家のメイド、シーラさんに手伝ってもらってイブニングドレスを着ているところだった。
昼間はスカーフで首元を隠していたが、イブニングドレスを着用する際は、ペンダントを見せるために胸元を開けておいた方が良いとシーラさんからアドバイスされた。まだほんのうっすらと首筋に残っているアーサーの暴走の痕跡はコンシーラーで隠す事になった。
アンジェラさんが夜会用に作ってくれたイブニングドレスは、若草色のサテンがふんだんに使われた物だった。裾が踝まであるAラインのスカート部分には、ドレープが多く取り入れられていて、動きやすいように配慮されていた。
シーラさんが背中のファスナー肩甲骨の上あたりまで引き上げ、後姿を確認も兼ねて私に鏡で見せた。
「さあ、これで準備ができました。お綺麗ですよ」
「着替えを手伝って頂いて、ありがとうございます」
「お礼には及びません。仕事ですので。さあ、アーサー坊ちゃまがお待ちですよ」
彼女は居間に通じるドアを開けて、アーサーに私の支度ができた事を告げた。燕尾服に身を包んだアーサーが颯爽と寝室に入ってくる。
アーサーが正装した姿は初めて見る。黒のジャケットとスラックスに白いシャツと白い蝶ネクタイが良く映えている。育ちの良さと気品が溢れ出しているようで、普段よりも眩しく見えてしまう。きっと着慣れているのだろう。
それに対して私は完全に服に着られている状態だ。手触りの良い生地は馴染みがなく、どこかに引っ掛けて破いてしまわないか心配になってくる。
ヒールのあまり高くないパンプスを履いているせいか、イブニングドレスの裾が床に擦れそうになる。裾が汚れないか気が気でなく、スカートをつまみあげておっかなびっくり歩いていたら、その様子を見ていたアーサーに笑われてしまった。
「その手のドレスは裾が床に当たるのを前提で作ってある。マリは普通に歩けばいい」
あ、そうなんだ。普通に歩いていいのね。このタイプのドレスを着るのは初めてだから分からなかった。
アーサーの言葉通りに、普通に一歩を踏み出したら見事に裾を踏んでしまい、前につんのめりそうになった。
「うわっ」
「危なっかしいな」
とっさにアーサーが手を伸ばして私を支えてくれた。私の体重が掛かっても揺るがない力強い腕が私を引き起して立たせる。
慣れてないのに普通に歩けると思った私が間違っていた。こんな状態でパーティに参加して無事に終われるのだろうか……。
「会場までは俺がエスコートするし、パーティ中もできるだけマリの傍にいるから、安心してクリスマスを楽しむといい」
さりげなく私の腰に手を回して、アーサーはパーティ会場まで案内してくれるのだった。
「いってらっしゃいませ」
シーラさんが絶妙なタイミングで廊下へと繋がるドアを開いて、私とアーサーを見送ってくれた。
会場の入り口では、リーフ侯爵が次々と到着する招待客を出迎えていた。時々、内ポケットから懐中時計を取り出して時間を気にしていた。
アーサーに言わせると、クリスマスパーティにはリーフ侯爵家の親族ばかり40人ほどが集まる小規模なもので、ドレスコードが正装である事以外は、楽しく食事をしながら近況や昔の思い出を語り合う気楽なパーティなのだそうだ。
リーフ家の一員であるアーサーは気楽に楽しめるだろう。しかし、私は彼の婚約者だけれども日本人で、ある意味部外者だ。
クリスマスというから家族だけの集まりだと思っていたけど、リーフ侯爵家の親族が大勢集まるって、どうしてアーサーは教えてくれなかったのだろう。
何だか半分騙された気分になりながら会場に入った。
会場に入ってなかった招待客は私とアーサーが最後だったようで、暫くすると、リーフ侯爵の短い挨拶があり、「メリークリスマス!」との掛け声と共にパーティが始まった。
親族しか集まらない席に見慣れない顔があるのは目立ってしまうのか、好奇心の目が周りから私に向けられているのが感じられた。
早速、あからさまに私に詮索の目を向けていたご婦人がアーサーへと近づいてきた。
「お久しぶりね、アーサー坊や。たまには私が主催するパーティの招待にも応じて欲しいものだわ」
栗毛の髪と瞳を持つ中肉中背の女性が両腕を背中に回してアーサーを抱擁した。彼も同じように抱擁を返す。
「ご無沙汰しています、アン叔母さん。仕事で都合がつかず申し訳ありません。いずれ都合がつけば伺わせて頂きます」
おそらく一年ぶりの再会に一通り挨拶を済ませた後、アンさんはちらりと私を見てアーサーに紹介を求めた。
「ところで、こちらの可愛いお嬢さんは、どちらの方かしら?」
アーサーは私の肩に手を置いて、親密さを見せつける様に私をより近くに引き寄せた。
「彼女は、マリ・ナカガワ。俺の婚約者です。マリ、このご婦人はアン・フォーカス。俺の叔母にあたる」
「初めまして」
挨拶をする私を見て、アンさんは少し驚いたような顔をしていた。私にとっては今まで散々見慣れた反応に、つい自己フォローしてしまう。
「イギリスの方には何歳に見えるのか知りませんが、これでも21歳なんです」
自分で言っていて虚しくなるのはいつもの事だ。もう少し背が高ければ幼く見られる事はなかったのだろうか。無い物ねだりしても仕方ないけど。
アンさんは私の説明を聞いて表情を緩めると、立て板に水を流すような勢いで喋り始めた。
「まあまあ、そうなの。アーサーもようやく年貢の納め時が来たのね。嬉しいわ。この子ったら一生独身で通すのかと親族で心配していたのよ。親族の適齢期の女性と見合いさせようとしたのだけど、悉く断ってしまうし、意中の女性がいるようでもなかったから……」
いつまでもお喋りが続きそうな気配に、アーサーは少々強引にアンさんの話を打ち切った。
「お話はまた後で。他の親族へマリを紹介しないといけませんので、この辺で失礼します」
「あら、残念ね。マリさん、いつかお茶会にお招きするわ。若い人とのお喋りは楽しいし、アーサーの幼い頃のとっておきの話を教えて差し上げてよ」
お茶会のお誘いの場合、どう返事をすれば良いが分からなくて曖昧に微笑んでいると、アーサーが速攻で断ってしまった。
「駄目です。アン叔母さんの家は息子が三人もいる。そんな所にマリを一人で行かせられません」
「えー、娘がいないから我が家には潤いがないのよ。少しぐらい貸してくれても良いじゃないの。ケチ」
アンさんは傷ついたふりをしてアーサーから譲歩を引き出そうとしたが、彼は譲歩するどころか開き直って、彼女の願いをすげなく却下した。
「何とでも言って下さい。マリに関しては髪の毛の先ほども譲るつもりはありません」
「はいはい、ごちそうさま。では、マリさんまた後で」
彼女は呆れたように肩を竦めると、黒いイブニングドレスを優雅にさばいて他の談笑の輪へと溶け込んでいった。
アーサーに連れられるまま、リーフ侯爵家の親族の方々の紹介を受け、紹介されるのを繰り返すうちに、私の脳の許容量は限界を迎えつつあった。
来年のクリスマスに招かれたとしても、今日会った親族の方の顔と名前が一致するか大変あやしい状態だ。
意外な事に記憶喪失の日本人である私を、親族の方々はすんなりと受け入れてくれた。誰か一人ぐらいは婚約者として相応しくないと言い出す方がいるのではないかと思っていたので、どこか拍子抜けした感じがしていた。
『案ずるより産むがやすし』
どうなるかと思っていたが、何とか無事にパーティを終れそうだ。
私がほっとしていると、リーフ侯爵がこちらへ近づいてきて、八つ折りにされている白い紙が沢山入っている人の掌ほどの大きさの小箱をアーサーに渡した。
「恒例の余興が始まるぞ。くじを招待客へ配ってきてくれ」
「了解。親父殿、マリを頼む」
アーサーはリーフ侯爵に私を預けると、小箱を右手で持って招待客の間を縫うように歩いて行った。
「紳士淑女の皆様。これより恒例のクリスマスプレゼントの交換を行います。甥のアーサーが皆様の下に番号のついたくじをお持ちしています。おひとつだけくじを引いて、ご自分の番号をご確認下さい。何が当たるかは運次第。番号を呼ばれた方は、ステージに上がって頂きプレゼントをその場で開けて頂きます」
会場に響いたマイク音に釣られてステージの方を見た。そこには所々白髪が混じった栗色の髪とダークブルーの瞳を持つ初老の男性が司会をしていた。
「あの方はアーサーの叔父さんなのですか?」
まだアーサーから紹介されていない人だ。裏方を手伝っていてパーティに出ていなかったのだろうか。
リーフ侯爵に聞いてみると、肯定の返事が返ってきた。
「そうですな。名前はライアン・リーフと言って、私の異母兄弟にあたります。いつもこの余興の司会をしてもらってましてな。パーティのホスト役はすることが多くあって、とても司会を兼任できませんので」
異母兄弟なんですか。リーフ侯爵家には複雑な家庭の事情がありそうだ。
リーフ侯爵はふと寂しさをにじませて、私の胸元を飾っているチョーカーを見ていた。
「そのチョーカー良くお似合いですよ」
「ありがとうございます」
オパールを四本の銀の百合が守護するように取り囲んでいるペンダントトップ。その左右に配置された宝石は、アーサーの瞳と同じ色合いのサファイアだ。
チョーカーの銀の鎖の部分は装飾も兼ねているのか、しっかりと太めの物が使われていて、そう容易くは引きちぎれないようになっていた。
「マリさんに合うようにアーサーが手直ししたみたいですな。そのオパールのペンダントトップは、ナント伯爵家に代々伝わる女主人しか身に着けれないものでしてな。ソフィアによく由来を聞かされたものです。懐かしいですな」
「そんなに大事な物をアーサーは何故私に?」
私は驚いた。リーフ伯爵の話が本当だとすると、このチョーカーはアーサーの母ソフィアさんの形見という事になる。アーサーはそんな事一つも教えてくれなかった。
「一番可能性が高いのは、マリさんとの婚約が真剣な物であると、この場でリーフ一族に知らしめるためでしょうな。この会場にいる大半の招待客は、ソフィアがそれを着けてクリスマスパーティに出ていたのを覚えているでしょうから」
何の緊張感もなく、リーフ侯爵はのほほんと言ってのけた。私の知らない内に、また一つ外堀が埋まっていくような気がして思わずため息が出た。
最近、アーサーの掌の上で良いように転がされている気がする……。
突然横からくじ引きの箱が目の前に出された。その箱の中にはくじが二つしか入ってなかった。
「ほら、くじを引いて。くじを配る役が真っ先にくじを引くのは何かと問題があるからな。残り物になってしまう」
私はアーサーの言葉に従って、箱の右隅に残っているくじを手に取った。広げてみると18番と番号が振ってあった。
「アーサー、日本ではね、『残り物には福がある』って言うのよ。だから、きっと良い物が当たると思う」
「そうか。それは楽しみだ」
くじの箱を空にしてアーサーがリーフ侯爵に返すと、プレゼントの引き渡しが始まった。
最初は司会を務めるライアンさんからだった。最初にプレゼントを受け取れるのは、この後集中して司会を務める為に司会に与えられた特権なんだとか。
ライアンさんが獲得したプレゼントは女性用の香水。奥さんとは死別し、息子さんしかいないためプレゼントの使い道がなく、困られていた。
プレゼントの贈り主に感謝の言葉を述べた後、香水と交換を希望される方、プレゼント交換しましょうと宣言して司会へと戻って行った。
私は自身の身長の三分の二はあろうかという巨大ティディベアが当たった。
ぬいぐるみのもふもふ感が気に入って、ステージの上でぎゅっと抱きしめて頬ずりしていると、アーサーから刺すような視線がぬいぐるみに向けられているのを感じた。
ぬいぐるみにまで嫉妬するなんて大人げない……。
プレゼント交換が一段落すると、近隣から来ている招待客は家路につき始め、私達のように遠方から来ている招待客は宛がわれた客室へと戻り始めた。
シーラさんが客室まで巨大ぬいぐるみを持ってきてくれた。置き場をどうしようかと迷ったが、とりあえずソファーの上にティディベアを置いてもらった。
「旦那様がアーサー坊ちゃまと久しぶりにお酒を酌み交わしたいとおっしゃってますが、如何されますか?」
「すくに行くと伝えてれないか」
「はい、旦那様は書斎でお待ちです」
彼女は用件か終わると静かに客室から出て行った。親父に付き合うと長いんだよな、と誰にともなくアーサーは愚痴ると、私に先に寝るように言ってから正装のまま部屋を出て行った。
そろそろイブニングドレスを脱いで、シャワーでも浴びようかと思っていたら、部屋のドアがノックされた。
アーサーが忘れ物でもしたのかと思ってドアを開けると、そこにライアンさんが姿を現した。
彼は私を突き飛ばすように部屋の中に押し入ると、私の口を手で塞いで、もう一方の腕で私の首を掴み壁へと乱暴に押し付けた。
後頭部ががつんと容赦なく壁にぶつけられて一瞬意識が飛びそうになる。そのタンミングをライアンさんは狙っていたのか、首を掴んでいた手を放したかと思うと、重い拳を私の鳩尾に叩き込んだ。
息ができなくなり、意識が曖昧になってくる。意識が途切れる寸前に見たものは、ライアンさんの悪魔の様に歪んだ笑顔だった。
2012.08.20 初出
2012.09.15 改行追加
クリスマスの開始時刻について
一般的な家庭の考えでは0時をもって日付が変わりますか、キリスト教の考えでは日没を境に日付が変わるらしいです。
クリスマスイブの日没がクリスマスの始まりとなるようです。リーフ侯爵家もナント伯爵家も歴史ある由緒正しき家柄なので、たぶんキリスト教的な考えが採用されているだろうと思い、クリスマスイブの夜にクリスマスパーティをしているという場面設定になっています。




