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第17話 振り回す上司、振り回される部下

パワハラっぽい上司が出てきますが、作者はこれを推奨する意図はありません。

 あの貴族様は胡散(うさん)臭い。

 外務省の外交官である石坂さんと一緒に、ナカガワ・マリさんの記憶喪失についてアーサー・リーフ伯爵から聴取した私が彼に持った印象は決して良いものではなかった。


 ナカガワさんとリーフ伯爵から聴取した内容に矛盾点はないのだが、リーフ伯爵の聴取のときに、まるで聴取がある事が分かっていたかのように、要点が良く整理できた情報が彼の口から語られるのが私の勘に触っていた。

 思い出しながら話す場合は、時系列が多少前後になったりする場合があるのだが、リーフ伯爵には全くそれが見られなかった。余程頭が良いのか、予め模範回答を用意していたのかどちらかだろう。


 ナカガワさんが記憶を失う切っ掛けになった誘拐事件にしても警察に届けずに自力で解決してしまっている。彼女が救出されるまでに負った頭部外傷は、聴取した限りでは強く頭を打った事が窺えるのに、CTやMRI等の検査設備がある病院へ搬送せずに彼女を館で治療している。

 リーフ伯爵は何かを隠している。

 私の直感がそう告げていた。隠し事が何かは分からないが、良からぬ物である気がしてならなかった。



 悶々(もんもん)と考え事をしながら二人分の聴取内容をパソコンに入力していると、頭を薄いファイルの腹で軽く叩かれた。頭の上に手を伸ばし、ファイルを受け取った。


「おい、ひよっこ。このファイルはヨーロッパを中心に活動しているマフィアとテロリストどもの情報をまとめた物だ。後で目を通しておけよ」

「痛いですよ、葉山さん。それに、ひよっこ、と呼ぶのは止めて下さい。私には小林俊之という名前があります」


 葉山さんは外事捜査の大先輩で、二年前までインターポール(国際刑事警察機構)へ三年間出向していた経験もあるベテランだ。年齢からすれば、とっくにデスクワークが中心となる管理職へと出世していてもいいはずなのだが、生涯現場を目指しているらしく、出世には全く興味がないらしい。少し変わったおっさんだ。


「で、お前さん、今日はややこしい案件に当たっただろ? 石坂さんが教えてくれたよ」

「ええ、記憶喪失の日本人かもしれない女性ですから、外事事件になるのか微妙なのですが、葉山さんが出かけていたので、私が聴取させてもらいました」


 まさか、海外に初めて赴任したからと言って、聴取を一人でしてはならないと思っているのではないだろうな。私にも聴取の経験は多くあるのだ。これ位は任せてくれても良いのではないか。


「日本人でなければ俺達は手出しできないからな。まずは、調書を見せてみろ」


 葉山さんに促されて、入力が終わった調書を印刷して渡した。10頁はあるA4の書類をパラパラと物凄い勢いでくっていく。その間、(わず)か20秒も経ってない。

 本当にちゃんと読んでいるのか? その速さで内容が頭に入ったとしたら化け物だ。二人分の調書の入力に一時間ぐらい掛かったんだぞ。

 葉山さんは調書を私に突き返すと、低く呻くような口調で私に詰め寄った。


「おい、ひよっこ。ナカガワ・マリの調書はともかく、リーフ伯爵の調書はズタボロじゃねぇか。リーフ伯爵が知っているはずのナカガワさんの過去を全然聞き出せてないぞ」


 思いっきり内容把握されてます。……化け物認定していいですか?

 しかし、リーフ伯爵の調書の内容が穴だらけなのは私のせいじゃない。


「リーフ伯爵の聴取の途中で丹後大使が入ってこられて、聴取を中断させられました。何でも日本にとって重要な話があるからと部屋を追い出されたのです」


 丹後大使は中堅都市銀行の元取締役で、民間人から任命された在英日本大使だ。菅原総理大臣の親友で、政権交代の原因となった選挙で菅原総理の多額の選挙資金を提供している。その時の選挙協力の功績で大使に任命されたというのが専らの噂だ。

 会社という組織の中で長年働いてきたはずなのに、組織の動かし方を知らず、この大使館の業務を何かと掻き回してくれる困った御仁である。


「奴の言う重要性がどれほどの物かあてにならん。聴取の機会があれば情報は全て搾り取るのがプロの仕事だ。リーフ伯爵に聴取できる機会は、お前さんがやったその一回だけかもしれないのに、あっさり引き下がるとは何やってるんだ……」


 そりゃあ、私だって赴任早々に大使に睨まれたくはありせんから。決定権を握る上司と対立しても何一つ良い事は無い。「長い物には巻かれろ」って(ことわざ)にもありますしね。


「で、どこまで調べた?」

「名前を頼りに海外失踪者リスト上で検索をかけてみましたが、該当者はいませんでした。ナカガワさんから指紋の提供を受けていますので、犯罪者の指紋情報とも照合してみたのですが、ハズレでした」


 犯罪者の指紋データベースにヒットしていれば、日本人であるか否かだけでも分かるというのに。


「海外失踪者リストは、性別、年齢、身長、失踪時期等でも検索をかけれたはずだが、それはやってみたのか?」

「いえ、やってません……」


 尻すぼみに返答の声が小さくなっていく。

 心なしか葉山さんの周囲の気温が数度下がったような気がした。冷ややかな目で見下されて、そこで初めて自分が何か失敗した事を悟った。

 やっぱりな、とでも言いたげに葉山さんは軽いため息をつくと、隣のデスクの椅子を引き寄せてドカッと腰を下ろした。


「パソコンの画面上でいいから、ナカガワさんの顔写真を出してくれ」

「はい」


 マウスを操作してナカガワ・マリさんの顔写真をパソコンの画面に表示させた。葉山さんはナカガワさんの顔写真を一瞥した途端、手にしていたドキュメントファイルの角を私の脳天に容赦なく叩きつけた。目玉から火花が飛びそうになるぐらい痛い。


「痛ってぇ――!!」

「この女性は海外失踪者リストに二ヶ月ほど前に追加された北島由紀さんじゃねぇのか。昨日リストを頭に叩きこんでおけと言ったばかりだと思ったが、まだ頭に入ってないのか。この脳筋(のうきん)!」

「二百人ほどの情報を一日や二日で全部覚えられる人なんていませんって」


 プラスチックのファィルとは言え、厚みとそれなりの重みを持った硬質なそれは、私を椅子に蹲らせるのに十分な破壊力があった。痛みでジンジンと疼く頭の天辺を右手で押さえながら抗議する。パソコンの画面に涙が滲んで潤む目を戻すと、葉山さんは慣れた手つきで海外失踪者リストを呼び出し、検索を掛けているところだった。


「できる人はいないと思った時点で、それ以上の努力と工夫を人間てぇのはしなくなるもんだ。精進しろよ。もっとも俺はできるがな」


 十数秒も経たないうちに、ナカガワさんの顔写真の横に海外失踪者リストの北島由紀さんの情報が表示された。初詣の時の写真なのか絵馬の奉納所を背景に数人で撮られた集合写真の中に彼女がいた。

 髪は少し短く肩の先までしかなかったが、意志の強そうな瞳の輝きは、私が午前中に聴取したナカガワさんと同じ物だった。写真よりも今日会った彼女の方が、やや痩せている感じはするが、これだけ特徴が似通っているならば、まず同一人物と考えるのが普通だ。


「葉山さん、これって……」

「ナカガワ・マリは、北島由紀である可能性が高いってことだ。だが、これだけでは外務省の連中はナカガワ・マリが北島由紀である事は認めねぇだろうな。厄介事は人一倍お嫌いな人種だから、他人の空似だと言い出しかねん」


 葉山さんが不穏な発言をするものだから、私は慌てて周囲を見遣った。幸いにもこの大使館は警察庁の出向組に部屋が割り当てられていたため、部屋の中に外務省職員がいないことを確認して胸をなで下ろす。

 今のは聞かれたらマズイだろ。外事捜査だって周囲の人達のバックアップなしには成り立たない。対立を煽る言動は極力避けて欲しいのが本音だ。


「二日後にDNA検査の為に血液採取するんだろ?」

「はい、その予定です」

「本国の警察庁に連絡を入れて、北島由紀のDNAを確保するように言っておけ。捜索願を受理した時に地元の警察署が申立人から事情聴取しているはずだから、その調書も取り寄せておけよ」

「了解です。メールを打っておきます」


 イギリスと日本の時差は九時間もある。電話で話すとしても、日本はまだ早朝で当直以外の人間は登庁してきていないだろう。


「メールだけで済ませようとするなよ。朝一番に警察庁に電話をして念押ししておけ。ただでさえDNA検査には時間がかかる」


 つまり、真夜中にイギリスから電話を入れろという事か。それ位どうという事はないが……。

 癖なのかタバコの箱からタバコを一本口にくわえると、葉山さんはライターをジャケットの右ポケットから取り出そうとした。

 その様子に私はぎょっとして葉山さんに忠告した。


「葉山さん、この大使館の中は喫煙禁止です。見つかると後がうるさいですよ」

「……わかってるよ」


 ポケットの中から出したライターを元に戻し、バツが悪そうにタバコを箱の中へと丁寧に戻した。


「まあ、ともかくだ。ナカガワ・マリが日本人だと証明出来れば、彼女が誘拐された事件について大っぴらに日本側から捜査を要求できる」


 海外においては、我々警察の人間であっても捜査権はない。各国の司法警察だけが捜査権をもつのだ。もちろん請われれば協力するし、独自に情報収集したりもするが、それはあくまでその国の法令と捜査権に抵触しない範囲でしか行えない。

 何とも不自由な話だが、国家の主権に関わる事なので、このルールから逸脱することは厳しく戒められている。


「ナカガワさんの事件の捜査に乗り気ですね。本人からの被害届も出てないのですよ。気が早すぎませんか?」


 私の指摘に葉山さんは苦笑した。


「ああ、確かにな。ひよっこ、少し昔話をしてやろう」

「昔、昔、ある所に、おじいさんとおばあさんがいました、で始まるのですか?」


 冗談めかして言ってみると、ゴンと頭の上に拳骨が落ちてきた。手加減はしてもらえたらしく、今回はそれほど痛くなかった。


「馬鹿者。真面目に聞け」


 この人、冗談も通じないのか。

 頭をさすりながら頷くと、葉山さんは遠い目をして語り始めた。


「あれは、俺がインターポールに出向していた頃の事だ。リヨンにある本部に一人の少女が駆け込んできて、ロンドンで行方不明になった姉を探してほしいと依頼してきた。もちろん、インターポールは個人の捜索願を扱う機関ではないから、事務官が丁寧に説明して彼女には帰ってもらったがな。しかし、どうしても姉の捜索を必死に訴えていた彼女の姿が気になって、独自に資料を漁ってロンドンで起きた行方不明の事件を調べてみたのさ。調べてみると行方不明者の一群に奇妙な共通点があることを発見したんだ。未婚の女性で年齢20歳から28歳。外国人。ロンドンに到着した直後から二日以内に失踪している。しかも、彼女たちの足取りはその後一切つかめてない。共通点を持つ彼女達の行方不明事件は、八年前の冬を皮切りに二ヶ月から六か月の間隔で発生していた。この事をロンドン市警に問い合わせてみたが、行方不明者が多くいた中でたまたま見つかった偶然でしょうと、ロンドン市警の奴はぬかしやがった」


 年齢、外国人、未婚、ロンドン到着直後の誘拐。ナカガワさんにも当てはまる条件だ。


「まさか、同一犯人あるいは同一犯罪組織による連続事件だとおっしゃるのですか? そんなに長い期間に渡って犯罪を行っているとしたら組織犯罪と考えるのが妥当ですよね」

「ああ。それで、お前さんは犯人の目的をどう考える?」


 葉山さんは腕を組み、椅子の背凭れに体を預けて椅子を回転させて私に正面から向き合った。


「被害者の共通点を考えれば、人身売買目的の誘拐が最有力候補として考えられます。足取りが掴めないという事は、イギリス国外へ移送された可能性もある。死体が出てきてない以上、被害者達はどこかで生きているかもしれない」


 右眉だけを器用にひくりと動かし、にんまりと嫌な笑い方をした葉山さんを見て、面倒な事に巻き込まれそうな予感が脳内を駆け巡った。


「思ったよりも冴えているじゃないか。これで予想を外すようなら、『脳筋(のうきん)』に呼び名を変えてやろうかと思ったが……」

「うわ、酷い」

「そういう訳で、俺もこの調査に関わらせてもらうぜ。ナカガワ・マリを日本人だと証明できれば、少なくとも日本大使館員である我々は彼女に関わる事ができる。被害届を出させれば、ロンドン市警に捜査を要請できるし、彼女の記憶が戻れば犯罪組織の尻尾を掴むことができるかもしれない。犯罪組織をあぶり出すことができれば、被害者達の行方が掴めるかもしれない」


 その先にあるのは、何処かへ連れ去られた被害者達の救出なのだろう。日本人以外の犯罪被害者の保護まで目指しているのか?

 まだ、ナカガワさんが葉山さんの想定している犯罪組織に誘拐されていたと決まった訳でもないのに、先走りしてどうするのですか。先入観を持って捜査をしてはならないと研修で教えられなかったのですか、葉山さん。


 ああ、頭が痛い。


「ともかく、今、私達に許されているのは、ナカガワさんが日本人であるかどうかの調査だけです。ナカガワさんと外見的特徴が一致する北島さん失踪に関しての調書取り寄せや、生体資料の確保は調査の範囲内でしょうが、北島さんの携帯電話の通信情報を携帯電話会社から取り寄せるなんて事は、現段階ではしないで下さいよ。着任早々、始末書は書きたくないですからね」


 なんで、私が暴走しそうな上司に釘を刺さないといけないのだ。普通、逆だろ。丹後大使といい、葉山さんといい、自分の上司運の悪さに涙が出そうになる。


「そんな事は分かっているよ」


 ちょい悪オヤジが人の悪そうな笑みを浮かべながらそう言われても、何か企んでいるように見えてしまい、全く説得力がない。

 本当に分かっているのか怪しいものだ。

 そう思いながら、私は警察庁へのメールを打ち込み始めた。


2012.05.23 初出

2012.05.24 誤字修正

2012.09.14 改行追加

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