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第1話 罠とわかるまで

初投稿です。拙い文章ですが、暇つぶしにでもなれば嬉しいです。


 ロンドン西部にあるヒースロー空港の入国審査窓口に、肩口までさらさらと流れる黒髪を揺らして、一人の日本人女性が赤地に菊が金で描かれたパスポートと書類を差し出した。入国審査の書類にある訪問目的は観光と書かれていた。


 入国審査官は、彼女の幼さが残る顔と紺色のスーツを見比べてから、パスポートに目を落とす。パスポートに記載されている生年月日を見ると、彼女は21歳のはずなのだが、入国審査官の目には15歳ほどにしか映らない。


『君、本当に21歳なのか』


 これは入国管理業務の一環なのだと自分に言い聞かせつつ、入国審査官は彼女に問う。

 あのお堅い事で有名な日本のパスポートなのだ。記載事項に間違えなどあるはずがない。しかし、どう見ても、目の前の彼女は年齢とその姿が一致するようには見えないのだ。

 いくら東洋人が実年齢よりも幼く見られるとはいえ、その落差に入国審査官は戸惑っていた。


『21歳です。いつも年齢相当に見られずに困っているんですけど、間違いなく私の年齢は21歳です。日本人はイギリスの方に比べれば、平均身長も低いですから、余計に幼く見えるのでしょうね……』


 浅くため息をつきながら、黒い瞳で伏し目がちに英語を話す彼女には、うんざり感が漂っていた。

 何やら実年齢よりも若く見える事は、彼女にとって相当コンプレックスになっているようだ。

 帰りの飛行機のチケットもある。滞在先はイギリスでも有名なホテルだ。身なりはしっかりしている。入国審査の書類にも不備はない。女性の一人旅であるのが気にかかるが、それだけでは入国を拒否する理由にはなり得ない。

 入国審査官は、真っさらな日本国のパスポートにイギリス入国のスタンプを押すと、彼女にそれを返却した。


『良い旅を』

『ありがとう』


 彼女は笑顔を浮かべてパスポートを入国審査官から受け取ると、中型のトランクを引きながら空港の出口へと向かった。




 初めての海外旅行に、私の気持ちは高揚していた。幼く見られないために、わざわざスーツを着ていたのに、入国審査官に実年齢より幼く見えると指摘されても、そんなことは今の私には些細な出来事だった。

 雑誌の懸賞に、たまたま応募して当たったラッキーな旅行なのだから。


 飛行機はビジネスクラス、宿泊はイギリスでも指折りの名門ホテルのスイートルーム。個人ガイドもついて、7泊9日の至れり尽せりの内容なのだ。とても、懸賞で当たったタダの旅行とは思えないほど豪華だった。


 家族と親戚を大震災で一度に失い、アルバイトを掛け持ちして生きるのに必死だった私に、天から降ってきた海外旅行のチャンス。これを逃すことは私にはできなかった。

 以前から独学で学んだ英語がどれだけ通用するのか試してみたかったし、大英博物館やバッキンガム宮殿、ストーンヘンジ、イギリスで見たい所は一杯あった。

 当選したときに、空港の出口付近でホテルの専従ガイドが迎えに来てくれると聞いていたので、私の名前が書かれているボードを持っている人がいないか探していたら、不意に後ろから声をかけられた。


『失礼ですが、北島由紀さんですか』

『はい、北島ですが……。あなたは?』


 振り返ってみると、金の髪と明るい緑の瞳をもつ男性が、にこやかな笑顔を浮かべてすぐ後ろに立っていた。あと20㎝近かかったら、振り返った時に私の肩を彼の胸にぶつけてしまっていただろう。

 深緑のスーツを着ている彼は背が高くて、見上げないと、視線を合わせる事ができなかった。

 ああ、身長差が恨めしい。


「カーリントンホテル専従ガイドのマーク・ストーンと申します。滞在期間中、北島さんのガイドを担当することになります。よろしくお願いします」


 マークさんは私が北島由紀であることを確認すると、流暢な日本語に切り替えて話し始めた。そして、右手を差し出して私に握手を求めた。

 私が右手を差し出すと、痛いぐらい力強く掴まれて上下に振られた。握手のことを英語でシェイクハンドって言うけど本当に上下に振るのだな、と変なところで英語圏に自分がいることに感動していた。


「マークさん、こちらこそ宜しくお願いします。初めての海外旅行なので慣れない事が多いですが、お世話になります。それにしても、日本語お上手ですね。敬語の使い方も間違ってないなんて、どこで習われたのですか」

「大学時代に、2年間日本に留学していまして、そこで日本語を覚えました。あ、荷物をお持ちします。ホテルまで御案内します。車を待たせてありますので……。こちらです」


 彼は洗練された動きで、私からトランクを引き取ると空港を出て車寄せへ移動した。

 すると、静かにマイクロバスほどの長さがある乗用車が目の前で止まった。隙なく艶やかな黒に磨き抜かれたボディは、いかにも高級感を醸し出していて、自動車に興味のない私にもそれが高級車であることが分かる。


「ホテルで送迎用の車が、リムジンしか空いていなかったので、こちらに乗ってください。ホテル到着まで時間があるので、車内で明日からの観光スケジュールの打合せをしましょう」


 私が頷くと、マークさんは運転手に荷物を渡し、リムジンのドアを開けて、私を中へと促した。

 リムジンに乗るのは、初めてだ。運転手席は仕切りで隔たれていて、ふかふかの座席は向かい合うように2列に並んでいた。要人送迎にも使われるのか、窓ガラスは外から見えないように黒のスモークガラスが使われていた。マークさんも乗り込んでパタンとドアが閉まると、車内は外界の雑踏から完全に切り離され、心地よい静寂に包まれる。


「ウェルカム・ドリンクです。日本からの長いフライトで、喉が渇いているでしょう。どうぞ」


 リムジンが動き出すと、マークさんは備え付けの小型冷蔵庫から、グラスと氷を取り出すと、コーヒーを注いで、シロップとクリームと一緒に、私の脇にあるサイドテーブルに置いた。


「いただきま~す」


 喉が渇いていた私は、シロップとクリームをたっぷり注いでかき混ぜてから、アイスコーヒーを飲み干した。冷たさが胃に落ちて、ほっと一息つく。

 そんな様子を見ていたマークさんが苦笑している。


「もしかして、コーヒーは苦手でしたか」

「いいえ。どうしてですか。コーヒーは好きですよ」

「いえ、貴女がシロップとクリームを多く使っていたので、コーヒーが苦手なのかと思ったのです」


 さすがは名門ホテルのガイドさん。観察眼が鋭い。

 バリスタの資格を持つ喫茶店の同僚に言わせると、私のコーヒーの飲み方は、砂糖とクリームを本来持つコーヒーの苦みが無くなるまで投入するので、コーヒーに対する冒頭なのだそうだ。

 美味しければ何でもいいじゃない、と私は思っている。


「甘くてコクのあるコーヒーが好きなんです。勤務先の店長から、お子様仕様の飲み方だって言われて、よくからかわれていましたけどね」


 ああ、嫌な事を思い出してしまった。アルバイト先の書店で、レジ番をしていたら、お客さんに店長の娘さんと間違われるし――ちなみに、店長の娘さんは15歳だ――、アルバイト仲間と居酒屋に食事に行っても、店員さんに年齢確認をされる始末……。

 今回の旅行では、カジノやバーとか年齢制限がありそうな所には、絶対に行かないでおこうと心に決めた。


 マークさんには、私は何歳ぐらいに映っているのだろうか。

 彼は笑いを堪えながら数種類のパンフレットをカバンの中から取り出して、私の傍にあるサイドテーブルに広げると話を切り替えた。


「それでは、ホテル到着までの間、明日からの観光の打合せをしましょうか」

「はい、お願いします」




 マークさんの説明だと、ロンドンは美術館や博物館だけでなく、劇場や音楽コンサートも充実しており、1週間では回りきれないほど観光スポットが充実していた。ただ、治安は日本に比べると良くないので、何があっても夜間の一人歩きは絶対にしないように、繰り返し注意を受けた。


 彼の説明を一通り聞いた後に、私が観光は宮殿、史跡、博物館を中心に見たい希望を伝えた後に、体に異変が起こった。

 急に、強烈な睡魔が私の意識を侵食し始めた。

 眠い。ひたすらに眠い。視界がぼやける。座っていても上体が揺らいでいく。私は、堪らず座席の背凭(せもた)れに背中を預けた。


「ユキさん、大丈夫ですか? 体調が悪そうですが……」


 マークさんが心配そうに、私を上から覗き込んだ。


「時差ボケなのかな? 急に眠くなってしまって……。でも、コーヒーを先ほど頂きましたから、すぐに眠気も吹き飛んでくれると思います。大丈夫です」


 彼を心配させないように、何とか体を起こすと、明るく振る舞った。

 すると、彼が(まと)っていた陽だまりのような温かい雰囲気が一瞬にして消え去った。


「いっそのこと、そのまま眠ってもらって構いません。その方が、こちらとしてもやりやすくなりますから」


 マークさんは相変わらず人の良さそうな笑顔を浮かべていたが、その眼は全く笑ってない。無機質で一切の感情を削ぎ落とした目。声色も親近感を感じさせない冷たいものへと変わっていた。

 嫌な予感が、ぼんやりとしてきた頭の中で鳴り響く。


「やりやすくって……何のこと?」


 私の質問にマークさんは答えず、断罪する裁判官のように一方的に宣告した。


「あなたは選ばれたのですよ、犠牲者に」


 犠牲者。


 その言葉の不吉な響きに身の危険を感じて、私は残っている感覚を総動員して、車の外へ逃亡しようとしたが、できなかった。

 平行感覚さえ麻痺し始めているのか、立ち上がった途端にバランスを失って床に倒れ込みそうになり、彼に抱き止められてしまう。


「もう、体がまともに動かないでしょう。先程あなたが飲んだアイスコーヒーに睡眠薬を入れさせて頂きました。逃亡は諦めて下さい」


 マークさんは私をソファーのように長い車の座席にそっと横たえると、おもむろに小型無線機を取り出して、どこかに連絡をとった。


『こちら、デルタ1(ワン)。犠牲者の捕獲完了。移送の準備はどうなっている? ……、了解。定刻に集合地に到着予定だ』


 ああ、私はどこかへ連れて行かれるのか。

 思考力が低下した頭で英語をどうにか聞き取っても、指一本動かせないくらい体が重くなっていた。瞼も落ちそうになる。

 マークさんはそんな私に屈み込み、頭を優しくなでながら、耳元で子供をあやすように囁いた。


「おやすみ。せめて良い夢を」


 彼の瞳に微かに同情したような光が浮かんだ気がした。

 そして、私の意識は闇の中へと重く深く沈んで行った。


2012.05.08 初出

2012.09.11 改行追加


本当はもっと書き溜めてから、投稿しようと思ったのですが、作中の設定が現状と合わない部分が出てきそうなので、今書けてる分を投稿することにしました。


読んで頂き、ありがとうございました。

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