第七話 ケラケラ
一方、こちらは魔王城。
「な、なんだか落ち着きませんね」
玉座の横では、教育係が不安気に呟いていた。
先ほどから、頬に掛かる真珠色の前髪をくるくる指でやってみたり、身につけた礼服の裾を弄ったりしながら、そわそわといかにも落ち着かない。
「そうかにゃー?」
対して、魔王陛下は悠然としたものだった。
マント付きの黒い礼服に包まれた体は、ゆったりと玉座に預けられている。
ただ、身の内の興奮を表すように、瞳だけがらんらんと輝いていた。
「や、やはり今からでもサキュバスお片づけ隊を総動員すれば……」
往生際の悪い事を言いかける教育係を、魔王の言葉が遮る。
「でもー、忙しそうだよー」
「はい?」
そう言われて視線をやれば、そこには、現魔王就任後初の魔王城への人間の来訪ということで、城内に増員した警備兵達に対して、モーションを掛けまくるサキュバスたちの姿があった。
「ね~えぇ、こんな所でつっ立ってないで、私たちと良い事しましょ~よ~」
「じ、じじ自分は現在職務中で、あ、あり、あり! そ、そそそそのような破廉恥なことは!」
「やだぁ、破廉恥ってなに考えてんのぉ?…それに破廉恥かどうか、試してみないと分からないでしょ~? ちぅ♡」
「きゅ、きゅ~~~」
……きゅ~、じゃねえよ。
一瞬でゆだってしまった警備兵の一人が、貧血を起こしたようにドサっと倒れた。
「ほらぁ~、ね。だいじょぶ、気持ちいいよ。……かぷ♡」
「……っ…! (ぱたり)」
別の一隅では、正面からぴったりと体を密着させたサキュバスが、無口な兵士の首筋に甘噛みしていた。
沸騰したように顔を真っ赤にした兵士は、額に手の甲を当てると、くるくると回るように昏倒する。
一体、どこからどうやっていつの間に入ってきたのか……誘惑するサキュバス達に、次々に篭絡、というか気絶させられていく警備兵たち。
それを目の当たりにして、教育係はげっそりと肩を落とした。
(ま、魔族のくせにどれだけ初心ぞろい何ですか…)
心なしか、髪の艶まで失っているようである。
勇猛なことにかけては他に類を見ない魔王軍だったが、ここまで女の色香に免疫がないのはさすがに予想外だった。
(……この城を陥落すのに武器は要りませんね……)
彼らがだんだんただの男子中学生に見えてきた教育係は、いつの間にかズレていたモノクルを直し、ぱんぱんと手を鳴らした。
警備兵のうち、まだ辛うじて意識を保っている者達が、ハッとしたように姿勢を正す。
「しっかりなさい! 魔王陛下の御前ですよ! 全く情けない! あなた達がそんな体たらくで誰が一体この城の安全を保つというのですか! それとも城の警備まで人間の兵士に依頼しますか!?」
普段はヒステリックに響く教育係の声が、この時ばかりは重々しく辺りを打った。
場が、しん、と静まりかえ
「ね~、あんなおじさん無視していいからぁ」
らなかったけど、憑物が落ちたように、警備兵たちは表情を改めていく。
「気を失っているもの達を叩き起して仕事に戻りなさい!」
「は、はっ!」
体にしなだれかかるサキュバスをどかし、胸の前に手を当てる敬礼をして、警備兵たちは慌ただしく動き始めた。
気絶している仲間を助け起こすと、各人それぞれの持場へと戻っていく。
その様子を見て、一度溜息をついた教育係は、今度はあ~んと名残惜しそうな声を上げるサキュバス達に対して、音のしそうなほど厳しい視線を向けた。
「あなた達もです! ゲストルームのお掃除を言いつけてあるでしょう! いつまでもそんな事をやっていないで、とっととお客様を迎える準備をなさい!」
そういう教育係に対し、サキュバスたちは分かりやすいブーイングを返してくる。
「だって~お部屋のお掃除ってつまんないんだも~ん」
「そ~そ~、ぜんぜんセクシーでもないし~」
そう言って、唇を尖らせるサキュバス達。
額を手で抑えながら、教育係が震えた声を出す。
「お、面白くてセクシーなお掃除ってなんなんですか…。そもそも、世の中大概のことがエッチくも面白くもないんですからね!」
モノクルをキラリと光らせて、真珠色の髪をした美形がそんな事を叫んだ。
教育係とはいえ、何故自分がこんな事まで教えているのか、不思議でならない。
それでも、彼女たちがいつまでもこのままでいるのを性格上無視できないし、なにより放っておいたら城が機能しなくなる可能性がある。
自分が教育係に召し上げられて初めて人間が訪れるという時に、余計なことで頭を悩ませたくはなかったが、言わずにおいた場合の被害を考えれば、喉を枯らす価値もありそうだった。
「ちぇ~行こ行こ」
「マジ空気読めてな~い」
「また今度遊ぼうね~陛下」
「……死ねジジイ」
「聞こえてますよ!」
ダラダラ退室していくサキュバス達を、肩を怒らせながら追っ払っていた教育係の耳に「にゃはは~」とのんきな笑い声が聞こえてきた。
振り返ると、敬愛すべき魔王陛下が、満面の笑みでこちらを見ていた。
「……なにか、面白かったですか?」
「うにゃー、割とー」
ケラケラ心底楽しそうに笑っておられる魔王陛下を前に、膝を落とし、がっくりと項垂れる教育係であった。
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