第五十話 二十一日付 パイルアップ紙 一面
なんにでも終りはやって来る。
その言葉を人間たちが実感として脳理に描いたのは、日差しの暖かくなり始めた、二十一日のこと。
アイルネが魔王城を去って、おおよそ一月が経とうとしている頃だった。
その日、街の目抜き通りにある酒場”キジねこ亭”の主人は、開店準備をしている所だった。
休日の前の日ということもあり、多くの客入りが見込まれるため、早いうちから仕込みを増やしていたのだ。
厨房内で忙しく、肉や野菜魚を、切ったり焼いたり煮たり濾したり。
そうしている内、あっという間に昼飯時となった。
この店では、昼時の二時間のみランチも提供していて、これを目当てにしている客も多い。
そろそろ最初の客が扉を開く頃――来た。
一瞬野菜を刻む手を止め、主人は眼を閉じた。
改めて店内を見なくても分かる。
きっと、人懐こい彼の連れ合いは客を愛想よく迎え、この店の店名にもなっているキジトラの看板猫が、まるで地上を見下ろす仙人の様ななんの感情も感じさせない眼で、最初の侵入者を不快く迎えていることだろう。
そんな状況を克明に思い浮かべると、再び作業を再開しようとして、主人は異変に気がついた。
厨房の入り口に、この店の看板猫が立っている。
この賢い猫は、普段は決して厨房には入ってこようとしない。
そこが主人の縄張りであると知っているからだ。
いつもなら、カウンターの一席に陣取り、面白くもなさそうに人間たちを見て過ごしているはずだが――そもそも、厨房付近には近づこうともしないはずなのに、忙しい今日に限って何故かここまで出張っている。
どうした?
――返答はない。
猫を飼っている人間は、猫と会話ができる。
と、なんの不思議もなく思っている人種である。
キジトラは、じっと主人の方を見つめたかと思うと、まるで抗議するように一声鳴いて、階上の自宅スペースへと引っ込んでいった。
それが、本当に責任者に抗議をするような声色だったため、主人は店内フロアまで出ていくはめになった。
フロアには、二人の男性客がいた。
別段、女将に迷惑をかけている様子はなく、慌ただしい手振りと熱い口調で必死に何かを語り合っているようだった。
女将の手には新聞があって、どうやら彼女が読んでいる記事が、男性客二人を興奮させている内容らしいとわかった。
主人がそちらに近づくと、客のうちの一人が彼に気がついて、近づくまで待ちきれないというように歩み寄ってくる。
まだ酒も飲んでいないはずの顔が、興奮で赤く染まっているのを見て、ただごとではないと悟った。
よっぽど誰かと今の気持ちを共有したかったのか、あるいは、主人が新聞を読んでしまう前に自分の口で語りたかったのか、どちらにせよ彼は前がかりになって話し始めた。
「いやー、本当に驚いたね!」
街道に露店を出す青年は、ここが出会いのキッカケで恋人となった女性からその話を聞いた。
彼はいまいちピンと来ていなかったが、彼女の興奮はかなりのもので、まるでこれから先、何もかもが全て良い方向に進むような口ぶりだった。
そんなに上手くいくものかなぁ。
と、頭を掻きながら思う。
一見懐疑的に見てはいるものの、何処か緊張感の抜けた思考は、スグサマ眼の前を通り過ぎる女性客へと移る。
そんな事より、目の前の現実のほうが大切だ。
彼は恋人との結婚の事を考えていた。
最近、そろそろと何気なく話題を出してはいるものの、どうにも彼女の気持ちが見えない。
上手くはぐらかされているような気もするし、かと思えば、子供は何人で男の子と女の子が……、とか楽しそうに語ったりする。
彼の父親に聞けば「女の事は男には一生わからん。一生わからんもんと、一生付き合う事を、なんでお前がそんなに望んでいるのか、俺にはそっちの方がわからん」と最終的には訳の分からない説教(?)をされた。
結局、今の彼に出来ることは、結婚に対する彼女の不安(が原因と彼は信じている)を取り除くため、しっかり働いて生活を安定させる事。
そんな散文的な現実の先に、素晴らしい未来があると信じて。
もしかしたら、この事をポジティブに捉えている彼女なら、今回の事がキッカケで結婚に乗り気になるかもしれない。
甘い打算を夢想しながら、彼は目の前の客に向かって声を張り上げた。
「南東で手に入れたシルクだよ! この手触りは他じゃあちょっと出ないよ! ね、寄ってってよ、綺麗なお姉さん!」
再び職場となったお屋敷で、そのメイドはがっくりと膝をついた。
手には主人が読み終えた新聞が握り締められており、彼女の体は小刻みに震えている。
それは恐怖や怯えといったものとは縁遠そうだが、そもそも理由がわからないため、周りの人間は見ていることしか出来ない。
主人は、彼女がこうなる前に仕事に出掛けており、残されたのは、この家の嫡男である幼い少年と、経験の浅い若いメイドだけだ。
当人に何があったのか聞けば早そうなものだが、項垂れた彼女から放たれる雰囲気から、なんとなくそれが出来な二人である。
その記事が目に入ったのは全くの偶然だった。
午後からお客様が訪れるということで、彼女は朝の内に客間の掃除をしていた。
それを終えて食堂へ向かってみれば、出かける主人とちょうど行き違いになる所だった。
彼を見送って食堂に入ると、中ではようやく起きてきた少年が丁度食事をはじめようとしている。
給仕を既にいたメイドから引き取って、食事の間彼の世話をした。
少年の食事が終り、和やかに彼と会話をしながらテーブルの片付けに入る。
記事を見たのはその時だ。
四つん這いになったあられもない姿でいるメイドを尻目に、二人は声を潜めて話し合った。
が、やはり原因はわからない。
新聞が彼女の手にある以上、原因はわからない気がした。
そうだ! と手を打ち、少年は新しい新聞をそばにいる若いメイドに買いに走らせることにした。
積極的なんだか消極的なんだかよくわからない指示に、合点承知! と答えて軽快に食堂を飛び出す若いメイド。
彼女が通り過ぎる時、小さく、蹲るメイドの声が聞こえてきたが、聞こえた所でやはりなんのことだか分からなかった。
「あああ、やっぱり忘れてたんだ…」
夜が訪れ深まりゆく頃、キジねこ亭は最後の客を迎えていた。
綺麗な赤髪で、長身痩躯の、この辺りでは見ない顔立ちの男。
スラリと長い足から聞こえる足音が奇妙で、彼はそのままカウンター席に座った。
ようやく客足が収まり、安寧としていた頃合いである。
見るからに不機嫌になった看板猫を、男はがーっと言って脅すが、彼はフンと一度鼻を鳴らしただけでこれを相手にせず、とっとと自分の席のことを諦めた。
淡白な猫…、とつぶやく男に女将は頭を下げる。
いつもなら既に閉店時間である。
厨房の火も落としているため、残り物しか出せないことを申し訳なさそうに謝ると、男は手を振って、その手に持っていた新聞を示した。
これが読みたいだけだから、と告げて、ごめんなさいね。何かお酒を持ってきて、すぐに出ていくわ、と、続けて、男にしては奇妙な口調で断り、新聞に目を通し始める。
そういう事ならと、女将は注文通り酒を出した。
男を横目に、片付けを続ける。
夜のお仕事の人かしらねー、と、なんとなくそんな事を思いながら、テーブルを拭いていった。
しばらくそうして片付けに没頭していると、くつくつと、猫の喉が鳴っているような笑い声が男から聞こえてきた。
不思議に思い尋ねると、どうやら今日のあのニュースの記事がおかしかったらしい。
今日は一日その話題で持ちきりだったが、こんなふうに面白そうに笑っている客はこの男が初めてだ。
その事を告げると、あたし少し変わってるから、と、ええそりゃあもうそうでしょうよ、と言う答えが返ってきた。
新聞はもう読み終わったらしく、男がゆるゆると立ち上がった。
カウンターに酒代を置き、用事が出来ちゃったと嬉しそうに笑っている。
片付けの手を休めること無く、こんな時間になんの用事か尋ねれば、思ってもみなかった返答がされた。
気になって振り返れば、そこに男の姿はなかった。
扉が開かれた気配はない。
慌ててカウンターの上を見れば、酒代とともに新聞までそこに残されている。
どうやら夢や幻の類ではないらしい。
恐怖で身震いしても可笑しくない状況だったが、どうしてもあの男が悪い存在に思えず、女将はそっとお代を勘定する。
確かに酒代に足りることを確認すると、もう一度扉の方を見て少し首を傾げながら口を開いた。
「親子関係の修復、ねえ……」
「勇者、魔王とまさかの歴史的和解成立か!!!?」
――二十一日付 パイルアップ紙 一面見出し
読んで頂いてありがとうございました。
今話、結構シンプルに出来たんで気に入っているんですが、いかがだったでしょうか?
やっぱり色々試さなきゃダメですね。
そして、ちょうど五十話の今回で、「魔王城のメイド」最終話になります(実は四十八話くらいから狙ってた)。
このまま終わってもいいかなーとも思いつつ、一応エピローグがあと一本。
という訳で、おそらく(一緒におまけも出せれば)次回更新が最終回となります。
ここまでお付き合いいただけた皆様、本当にありがとうございました!
感謝してもし足りないですが、もし皆様の広い心が許すのであれば、最後までお付き合い頂けるととても嬉しいでごわす。
ではでは、失礼いたしました~。