第四話 街道は大騒ぎ
街道に合流して、数分がたった。
空は曇っていたが、ちらほらと駅馬車を目指す人の姿が見え始め、さらにその客を目的にした出店が並び、道は賑やかさを増し始めている。
気前良くばら蒔かれる客寄せの啖呵に、足をとめる人の姿も多い。
ごった返す人の隙間を縫うように足を進めながら、アイルネは何度目か花を見つめて微笑んだ。
通りすがる人影を避け、甦るように香りが届く。
笑みを深くしながらしばらく歩いていると、雑踏に混じってアイルネの耳に不思議な音が聞こえてきた。
何か…布をはたいているような。
ばさりばさりと、一瞬ごとに徐々にうるさくなっていく。
足を止め音のする方――空を見上げた。
見上げて絶句する。
道行く人や、露店の人間までとっくに気づいていたようで、同じように空を見上げては、そこで固まってしまっていた。
(なに……あれ?)
アイルネがそこに見たのは、半裸の男が空から降りてくる光景だった。
危険なローアングルをものともせずに白い布だけを雑に腰に巻き付け、背中からは大きく二枚羽の白い羽が伸びている。音の正体はアレだ。確信を得るまでもなくそう思った。
非現実の欠片が雲間から侵入していた。そこからは円錐の光が兆していて、着地点に大きな眩い輪を描いていた。
先程から、なんとなーくいやな予感がするのは、やけにそいつと目が合うからだろう。
お伽話に出てくる天使のように降臨しながら、そいつはまさしくアイルネの方をチラチラと窺っていた。
(わ、私じゃないよね。私知らないもんねこんな人)
そもそも人かどうかもわかんないし。
謎の視線の直撃を受けながらも、そう自分を誤魔化そうとする。
男は呆気に取られている地上人たちを意に介した様子も無く、ゆっくりと着地を果たした。
ザワっと蜘蛛の子を散らすようにして、人垣ができる。
着地する瞬間一際大きく羽ばたいた所為で砂埃が上がり、茶色い視界の中で彼は跪くみたいにしてバランスをとった。
転瞬の後、街道に沈黙が流れた。
砂埃がしつこく残る中、男が人ごみの中のアイルネの方を振り返る。
バチっと、いたずらっ子のような目と目があった。
(私じゃない、知らないこの人、私じゃない…)
「あんた……メイドのアイルネだろ?」
(わたしじゃな……私だッ!!!)
やけに通る声で、男はまっすぐにアイルネの方を向いて問いかけてきた。
「い、いえ、人違いではないかと…」
気が付くと、周りの視線が集まっていた。
アイルネは片手で顔を隠しつつ、首を縮めながら、思わずそれを横に振っている。
空から半裸で降ってくるような知人を持ったアイルネは、多分自分のことじゃない。
「いやいや、そうだって。さっきの感動的な別れの場面しっかり見せてもらったぜ」
どうやら、先ほどの別れのシーンを見られていたらしい。
(くっ、感動的な、感動的な別れの場面が憎い!)
どこからか取り出したハンカチを悔しそうに噛んでいるアイルネを無視するように、男がこちらに歩み寄ってきた。
進路上から人が避けて、少女がびびる暇もなく肩を掴まれる。
「わわっ」
ぐいっと顔を近づけられ、睫毛の数まで数えられそうな距離にお互いが縮まる。
「あんたに折り入って頼みがある」
真剣な表情。
この至近で相変わらずよく通る声で、男は言った。
「わ、分かりました、分かりましたから、もう少し離れてください! それから、出来ればどこか人目に付かない場所へ」
顔を背けながら、男を宥めるように手を動かして、周囲に目をやる。
見れば、何事かと、あとから来た通行人たちも続々とこの場で足を止めていた。
居た堪れなくなって、アイルネはそう言ったのだが、男の一言で、事態が悪化したことに気づく。
「ああ、確かに。んじゃ上いくか」
「は?」
生真面目にそう言って、男は頭を掻くと、何の躊躇も無くアイルネを小脇に抱え、空へと舞い上がっていった。
アイルネははためくスカートを抑えるのに必死で、後は、
「はいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー?!!!!」
と叫ぶのみ。
それから数秒後。
「な、なんか出た! なんか出て、女の子を攫ってった!」
少女が、半裸の何かにさらわれたと、街道は大騒ぎになったのだった。
おやすみ前投稿。
では、おやすみなさーい。