第四十八話 たくさんの点
夜空を見上げると、真円の見事な白月の中、大きく翼を広げるシルエットが浮かぶ。
すぐにその正体を悟ったアイルネは、スペースを空けるようにその場を一歩後退した。
果たして、ベランダに着陸したのは、彼女の予想通り、あの魔鳥だった。
背中に、彼の小さな友達と、大きなお客さんが跨っている。
アイルネ達に気がついて、大きい方――アレックスが一瞬首を傾げた。
すぐに、傍らに小さい方――エミを抱え、トリから飛び降りる。
「……出迎えか?」
「いや、見送り」
カイルはアイルネの背中をとんと押す。
合点がいったような表情を浮かべるアレックスに、アイルネが腰を折る。
「おかえりなさい、アレックスさん、エミさん」
「ふぁばいふぁ」
脇に抱えられたまんまのエミが、小さく手を上げた。
「……ただいま。これ」
アレックスから、何やら袋を渡される。
「なんですか?」
「引き出物」
……ああ、だから、先程からエミさんはロールケーキを丸々一本頬張っていたんですね、とか思いつつ、何かをぐっと堪える。
誤魔化すように、良いですか? と確認してから、中身をあらためた。
中をがさごそやっていると、平べったい感触があって、取り出してみた。
縁に花びらの装飾のされたお皿が出てくる。
お皿の中心には、新郎新婦だろう、純白に身を包んだ若い男女の絵が描かれていた。
(あ、これ一番どうしたら良いか分かんないやつだ)
「……妹の趣味じゃない」
黙ってお皿を眺めるアイルネの微妙な表情を読み取ったのか、アレックスがすかさずフォローを入れる。
実際、こういう記念品は、貰っても非常に困るのである。
捨てるに忍びないし、まさか実用するのも気が引ける。
結局、殆ど物置に死蔵される運命だが、それすら後ろめたさを感じるのだから扱いが難しい。
「す、すみません。そういう意味ではなかったんですが……」
ではどういう意味だったのかと聞かれれば、彼女は舌を噛むほかないのだが、幸い、二人の会話の間にカイルが入ってくれた。
「積もる話もあるだろうが今度は本当に時間がない。ちびっこ、アイルネを送ってくれるか?」
「……お前だ」
ちびっこと呼ばれてきょとんとしているエミを、アレックスが地面に下ろす。
「いいけど、どうしたんだ?」
ロールケーキを飲み込み、エミはアレックスを見上げる。
「勇者が来る」
至極簡潔に。
カイルが頷くのを見て、エミは声をひそませた。
「ああ、あの大人げない山賊どもか」
うんうんとしたり顔で頷いていたが、はたと一瞬動きを止めたかと思うと、再びアレックスの方を見上げた。
「……今からあの山賊と戦うのか? お前」
どこか、不思議そうな顔に見えた。
それがあまりにも不思議そうに見えたので、一瞬本当に自分はその答えを持っているのかとアレックスは疑問に思う。
頷くアレックスに、そうか、と呟いて、エミは何やら考え込みはじめた。
胸の前で腕を組んで、首をひねる。
しばらく無言の時間が経ち、えーと、そろそろ……とカイルが割って入ろうとした時、思い出した、と小声でエミが呟いた。
そうして、ちょいちょいとアレックスを手招きする。
すぐに意図を察して、腰をかがめたアレックスの顔を両手で挟みこんだ。
「……どうし、む」
エミが顔を近づけてきたかと思うと、そのまま唇を奪われそうになる。
「待て。……何やってる?」
アレックスは、唇を突き出しているエミの額を片手で抑えていた。
彼女は全身をぷるぷる言わせながら、それでもなお顔を前へと出す。
「おまじない」
震える声でそういった。
感情的なものではなく、全身に力が入っている証拠だ。
「前にここで教えてもらったんだ。これをすれば、男は帰ってくるんだぞ」
だから早くさせろと言わんばかりの迫力で、無表情の顔をつきだしてくる。
アレックスが一瞬渋面を作る。
(サキュバスか……本当に碌な事を教えないやつらだな)
迷惑な夢魔達に内心ため息のような想いを抱きながら、アレックスは未だ諦めないエミの頭を両手で掴んだ。
「良いか。家族相手ならいいが、このおまじないはお前に大切な相手が出来るまで、今後誰に対しても禁止だ」
「なんでだ?」
「……そういうものらしい」
フィナの時を思い出して、アレックスは苦い顔をする。
思春期に差し掛かった妹自身はともかく、その事を相談した若いメイドたちに散々にからかわれたのだ。
そう言えば、あの時の彼女達の雰囲気は、どこかサキュバスに通ずるものがある気がする。
なんとなく憮然としているアレックスの顔を見てエミは口を開く。
「わかった」
素直に頷く少女の頭を撫でてやりながら、アレックスは立ち上がってアイルネたちの方へと振り返った。
「すまない。待たせた」
「いえ、大切なことですから」
子供相手に少しばかり厳しすぎる気もしたが、アイルネはにこりと笑った。
表情を改め、カイルに向き直る。
「カイルさん。何から何まで、本当にお世話になりました。皆さんにご挨拶が出来ないのは残念ですが……」
「まあ、それは諦めろ。ややこしいことになるのは目に見えてる」
アイルネの性格上、自分がしでかそうとしていたことを黙っていることは出来ないだろうし、そんな彼女に対する教育係の態度は火を見るより明らかだ。
これから勇者を迎える魔族たちにとっては、些細な騒ぎも避けたい所だろう。
「……はい」
それが分っているから、アイルネも素直に首肯して、顔を俯けた。
きちんと別れの挨拶も出来ない状況に、改めて、自分がやろうとしていたことの重さをつきつけられた気分だった。
それでも直ぐに顔を上げると、カイルに手伝ってもらいながら、屈んだトリに跨った。
「本当にありがとうございました」
いつの間にか騎乗していたエミの腰に手を回しつつ、最後にもう一度お礼を口にする。
「こちらこそ、ありがとう。やっぱり、あんたは魔王城にふさわしいメイドだった」
「ふふ、何より嬉しい褒め言葉です」
「完璧に魔王城を仕上げてくれたし」
カイルのその言葉に、アイルネが「えっ?」と反応するのと同時に、エミがアレックスを呼ばわった。
今度こそ無防備に近づいてきたアレックスの頬に、エミは小さな唇を押し付ける。
驚いたような面々に向かって、してやったりといった表情を浮かべた後、エミが非の打ち所のない笑顔を浮かべた。
「死ぬんじゃないぞ」
呆然と見送る(見送られる)年長者達をヨソに、エミはそう言って手綱を繰った。
トリが翼を広げ、大きく一声鳴いて、伸びた足場の方に前進する。
あとはあっという間。
風を捉えた魔鳥は高く高く飛翔して、月を追いかけるように夜空へと消えていった。
そちらを見上げながら、置いてけぼりを食らったように立ちすくむアレックスの肩を、ニヤニヤ笑っているカイルが叩く。
「大事な相手らしくて良かったな」
からかうような口調を視線で咎めてから、アレックスは目を閉じる。
「……また泣かせられない相手が増えるのか」
その事実に衝撃を受けながら、小さく呟いて、アレックスは歩き出した。
――その上空。
人間の国に向かって飛ぶトリの背中。
明らかに落ち込んでいるエミをアイルネは慰める。
「よく頑張りましたね」
細い腰に回した腕に抱きしめるように力を込めながら、優しい声で頭を撫でる。
寂しがりやな少女に思いを傾けつつ、それでも、カイルの最後の言葉を思わずにはいられなかった。
(………………どうするのかな……動く床)
………………………………………………………………………………あ。
最近の結婚式の引出物はカタログギフトが殆どになるのでしょうが、僕が子供の頃には、辛うじてまだこういった用途不明のお品を引出物に頂いていたような記憶があります(田舎です)。
当時から、どうするんだこれ、と言う議論が各家庭でなされていたようですが、僕は意外と好きだったので出してみました。
ちなみに、いたずらにしか使ったことはないです。