第四十六話 人間(ひと)にとって都合の悪いこと
ナイフが落ちた。
刃は今の衝撃で折れてしまい、石床に触れた瞬間わずかに破片が輝いた。
(……終わり、かしら)
シドは静かにそう悟り、剣を持った手から力を抜いた。
アイルネに断られた時、状況はほとんど詰みかけていた。
彼女の傍にカイルが居ることは分かっていたし、彼に剣の腕で敵うとは思っていない。
奇襲は最初の一撃で仕留めなければ、為す術がなくなる。
いくら変わった剣術を使おうと、力量の差がある以上、初撃を凌がれては、ジリ貧になっていくばかりである。
チャンスは今をおいてなかった。
彼らは図星を突かれてナイフを放ったと勘違いしたようだが、喋ってしまった後に殺したって遅い。
カイルはシドを殺さないよう、自分が殺されないように全力を傾けていた。
その卓越した技術に驚きながら、羨ましく感じたのはその心だ。
(そう、貴方は彼女の気持ちごと守るつもりなのね)
それが出来る強さが羨ましかった。
それでも、カイルのことは折込済みだ。
だから、ナイフの速度を加減した。
防がれると分かっていても、馬鹿みたいに何度も投擲した。
最大限の一手を放つ為に――そう出来れば、少なくとも一つはあの子の望みを叶えることが出来る。
だが、それも呆気無く防がれてしまった今、シドに為す術はない。
奇襲は最初の一撃で全てを終わらせなければならないから。
アイルネは勇者まで辿り着いた。
実は、この時点で彼女の勝利は確定している。
彼女の目的は、黒幕を特定することではなく、三人共が無事に現状を乗り切る事だ。
全て正しくある必要はない。
そして、アイルネは必要なだけの正解にたどり着いた。
今シドに出来ることは、それを黙って聞くこと。
そうしないと、目の前の呆れるくらい人の良いメイドの命を、シド自身から守れない。
シドは一度アイルネを見て、目を瞑った。
恐らく、悪いようにはならないだろう。
彼女は残酷なほど優しく、きっと間違わない。
絶対に悪いようにはならない。
だからこそ思ってしまう。
(――ごめん。あの子の本当の望みを叶えてあげられなかった)
アイルネは自分の唇を舐めた。
緊張で乾いていたからだが、同じく舌も乾いていたため、ざらついた手触りだけが伝わってくる。
目的は半ば以上既に達成していた。
勇者、あるいはその周辺に黒幕が居ることをカイルが知った時点で、シドがアイルネを殺さなければならない理由は殆どなくなった。
自分の望みを叶えるために、これからしなければならないことはあと二つ。
一つは全てをカイルに話して、シドの目的を叶えることを物理的に不可能にしてしまうこと。
シドは確かに強かったが、仮にカイルに勝てるとして、それには時間が掛かることだろう。
だが、この時点でそれは不可能なのだ。
アイルネは確信していた。
――もうすぐ、魔王城に勇者が訪れる。
それが正しければ、むしろ、時間がないのはシドの方だった。
なぜなら、彼にはアイルネを勇者達に会わせるわけにはいかない理由がある。
そして、もう一つが、シドと約束をして、それを守ると信じてもらうこと。
言葉では簡単でも、それはとても難しいように思える。
それでも、アイルネは出来ることをやるだけだ。
それしかして来なかったし、それ以外の方法を彼女は知らない。
「で?」
シドに意識を向けつつ、カイルは尋ねた。
「あ、はい。黒幕は勇者様か、でなければ勇者様のお仲間の方だと思います」
「どうして?」
シドに動じた気配はない。
目を瞑ったまま、アイルネの言葉に耳を傾けている。
「その、私もちゃんと考えが整理できているか自信がないんですけど。えと、最初に思ったのは、私達には時間がなかったって事だったんです」
「……確かになかったな」
頷いてカイルが苦笑する。
思い出しているのだろう、ちょっと酸っぱそうな顔だった。
「でも、本当にそうだったんでしょうか? だって、魔王城の修復は余裕を持って終わってる(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)んですよ」
時間がない時間がないと言いながらも、勇者は現にいま魔王城にはいない。
勿論みんなの頑張りがあったからこそ達成できたのだが、そこにそれとは別の違和感を覚えた。
「実は、私達は時間がなかったんじゃなくて、”時間があるのか無いのかすら分からなかった”から、”急ぐしかなかった”んです」
いつ来るとも知れない勇者へのプレッシャーを感じたのは一度や二度ではない。
そもそも、勇者がいつやって来るか、など、勇者達以外誰にも分からない。
極端を言えば、魔王城の直前で、二泊三日の夏合宿を開かれようが、こちらにはコントロールのしようがないのだ。
「そう考えると、シドさんの行動がおかしく思えたんです。シドさんはお坊ちゃまの事や、殺された私の両親のことまで知っていました。おかしいのは、どうしてそれが出来たかではなくて、どうしてそれをやろうと思ったかなんです。 時間配分も出来ない、急ぐしかない状況だったのに、利用できるかどうかもわからない私を調べるなんて事が」
カイルが頷く。
「なるほどな。仮に黒幕が魔族だった場合、なんでテメーだけそんなに余裕があるんだって話になるな」
そう言って、横目でシドを見るが特に反応はない。
だらりと腕を下げ、敵意を向けてくる事もなかった。
静かに、まるで聞くことだけが目的のように、その場に佇んでいる。
「なら、前々から目をつけてたって可能性はないか?」
偶然にしろなんにしろ以前から黒幕はアイルネの事を知っていて、利用することを考えていた。
カイルはそう別の可能性を口にした、が、これにはすぐにアイルネが首を横に振った。
どこか言いづらそうに、口を開く。
「えと、それですと、カイルさんもシドさんのお仲間だったということになって、その、私が凄く困るんですけど……」
困るどころの話じゃないだろう。
もしそうだったら、彼女の命は既にない。
「あそっか、俺がアイルネのこと連れてきたんだった」
なんとも言えない寒々しい空気が流れる。
冷たい沈黙が降りてくるのに、申し訳なさそうにアイルネが追い打ちをかけた。
「えと、他にも、それだったらもっと早くに私に接触していただろうとか、私を犯人に仕立てあげればいいのに、シドさんが手伝ってしまったら意味が無い、とか……その……す、すみません」
「いや……」
頭を下げるアイルネ。
なんでか変な空気になってしまったのを、カイルが自ら払拭する。
「とにかく、だから、黒幕は勇者だと思ったのか」
「えと、はい。魔族の方以外という条件で、勇者様の行動をある程度以上把握できる方となると、勇者様達以外思いつきませんでした」
この際、完全な第三者の可能性は除外している。
アイルネは、シドが、アイルネが黒幕の正体に気がつく可能性があったから、彼女を殺してしまおうとした、という前提のもとに考えている。
これが覆ってしまえば、アイルネには手出しの仕様がなくなってしまう。
そこまで話すと、あ、そうだ、と声を上げて、アイルネは少し慌てたようにカイルに告げる。
「それから、恐らく、勇者様達がすぐにでもこちらに来られると思います」
「本当か?」
驚いたようなカイルに、頷いてみせる。
ちょっと嬉しそうな顔になったのはどうしてだろう。
「先ほどシドさんが『どこの誰かまでは時間がなくてわからなかった』と仰ってましたよね。もし今私が言った事が正しかったら、シドさんは勇者様の行動を把握しているわけですから――」
「勇者達がすぐにでもここにやって来るか。そうだな。それに、もし俺がシドだったら、勇者達の突入のタイミングに合わせて行動する」
カイルが言葉尻を引き継いで、ついでに持論を付け加えた。
「はい。…………と、考えたんですけど、い、いかがでしょうか?」
カイルに頷いて、アイルネは目線を動かした。
まるで、教師に当てられた生徒のように首を縮める。
目をパチリと開けたシドは、それを見てふっと笑った。
「大体合ってるわよ。てゆーか、そもそも勇者って言われた時点で、例えそれが思い込みだったとしても、あたしの負けだったのよね」
金色の瞳で、からかうようにウインクを投げられて、アイルネは思わず力が抜けそうになった。
どうやら、大筋は外れていなかったらしい。
細かい違いはあるだろうし、勿論、分からないこともある。
例えば、それをしようとした黒幕の本当の目的だ。
アイルネは、飽くまで無力な人間でしか無く、戦力として数えるにはいかにも頼りない。
では、黒幕はアイルネのどこに利用価値を見出したのか。
だが、ここではそれはあまり関係なかった。
本人たちに聞かなければ、知りようのないことでもある。
そう思いながら座ってしまいそうになるのを、アイルネはぐっと堪えた。
まだ、もう一つやることがある。
「シドさん、信じてもらえないかもしれませんけど、私を殺そうとした理由については、誰にも言うつもりはありません」
「あら、いいわよ、言っても」
「へ?」
呆気無く言われて、間抜けな声を出してしまう。
「ああ、でも、そこの羽根坊やにだけ、ね。その方が貴女も安心でしょ?」
「それは……はい」
牽制できるという意味では、確かにそうなのだが。
ただし、と、シドが続ける。
「その代わりと言ったらなんだけど、羽根坊やの方にお願いがあるの」
「なんだ?」
「これからやって来る勇者達の中に、海賊の格好をした可愛いいぃぃ、女の子が居るはずよ」
言われて、カイルは考えこむ。
すぐに思い当たる人物があった。
「ああ。可愛いかどうかは知らんが、確かにいたな」
「知ってなさいよ! てか、可愛いかったでしょ! ……じゃなくて、それで、もし貴方と会うことがあったら、その子に優しくしてあげて欲しいの」
「……いや、それは無理じゃないか?」
だって闘うし。
「無理でもやりなさい!」
……んな無茶な。
強い口調で言われて、カイルは顔をしかめる。
「……てか、誰なんだそいつ」
当然の疑問にシドはすぐには答えず、真面目な顔になった。
くるりと踵を返し、二人に背を向ける。
すると、彼の体の周りを風が巻き始めた。
全身を渦巻状に覆っていく風の流れが、シドの顔を隠そうとした時、アイルネはそこに微かに笑顔を見た気がした。
「率直に言うと、あたしの実の娘」
「む……っ……」
「え……?」
絶句してしまう二人の前で、シドの体が風の中に掻き消えていく。
完全に消えてしまう寸前、アイルネに向かって「巻き込んで悪かったわね、子猫ちゃん」と呟いたが、多分聞いちゃいない。
「ええええええええええええぇぇぇぇぇぇえええぇぇぇぇぇっ!!!」
なぜなら絶叫していたから。
同じく叫びたい気持ちだったカイルは、アイルネを見て、却って落ち着いてくる。
やがて風が収まると、そこにはまるで何事もなかったかのように、誰も存在していなかった。
さっきまでいたオカ魔がとんでもない発言をした場所を見つめながら、アイルネが独り言のように話しかけてくる。
「そ、それは、その、シドさんが産んだんでしょうか?」
「多分だけど、絶対違うんじゃね?」
「そ、そうですよね…」
眉を吊り上げ、必死で自分を納得させるように頷くアイルネを見て、この子もやっぱりどっかしらおかしいなと思うカイル。
「まあ、いいか。それで、アイルネを殺そうとしていた理由って?」
「え? あ、えと、はい」
まだ自分を納得させかねているアイルネが殊更にこくこく頷く。
何とか落ち着こうと深呼吸をして、辛うじてそれに成功する。
「……やっぱり、口封じだったんです」
「は?」
「すみません(即答)。……でも、心当たりがそれくらいしかなくて……えと、カイルさん、私達が初めて会った時のことって覚えていますか?」
覚えている。
布一枚で、空から降りていった。
今は反省している。
「いえ、そこではなくて、その後。私に新聞を見せてくださいましたよね」
見せた。
『「勇者一行ついに魔王城攻略……………………か?」
若き英雄は自信を漲らせた。
今月二十日。魔王城付近の小さな農村に勇者一行が到着した事が、本紙随伴記者エリック・ピーターソンの報告で判明した。
エリック記者の取材によると、勇者一行は魔王との戦いに向けてこの村で最後の準備中とのこと。
記者の「自信はあるか?」という質問に対しては「なければこんな所まで来ません。……まあ、見ててください」と、頼もしい言葉を我々に聞かせてくれた。
意気軒昂たる若者達は、悪の居城へと乗り込み、必ずや我々に平和な時を見せてくれることだろう。
人間と魔族との長きに渡る戦い。
終止符が打たれるのは、そう遠くない事なのかもしれない。』
「新聞………………あ、記者か」
パンと手を打つカイル。
同じ結論に至ったことに安堵して、コクンとアイルネが頷く。
「やっぱり、勇者様のお仲間が、魔族の方と関係があるとスクープされるのは、その方にとって都合の悪い事ですよね?」
ツッコミどころも多々ございましょうが、先に一言だけ。
あれ、本当に終わりそうだ…(笑
という訳で、読んで頂いてありがとうございました。
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