第四十四話 アイルネ、黒幕の正体に頭を悩ませる
大抵の人や魔族が煙で出来ていない以上、突然その場に姿を現すということも出来ない。
カイルは近頃様子のおかしかったアイルネに気付いて、大広間でのやり取りの際に一計を案じ、彼女の意識から外れて様子を窺うことに決めた。
言い方は悪いが、油断した隙に、というやつだ。
一旦外に出て、すぐに戻って影から見守る。
その際取った方法が、張り付くというものだったそうだ、天井に。
アイルネは天井を見上げた。
城内は廊下も含め、トロルやなんかの大型の魔族のために、スケールが通常より大きく取られている。
陽が傾き夜を支える段になると、そこは完全な闇になるから、隠れるにはうってつけだったようだ。
実際気が付かなかった。
そして、そうして見ている内、二人のやり取りに不穏なものを感じて、飛び降りてナイフを叩き落とし、今に至る。
そこまで聞き終えると、アイルネは得体のしれない申し訳なさに捕らわれた。
私のために張り付いてくれて……とは、中々感動しにくいものがある。
そうして扱いにくい感情にアイルネが戸惑っていると、カイルはシドの方に向き直った。
ちなみに、一切の説明をしている間、シドへの酷い扱いは続いている。
当人もそういう扱いに慣れたもので(可哀想…)、しれっと爪の間をナイフの先で掃除したりして時間を潰していた。
「……でも、いいんですか?」
翼の生えた背中に、恐る恐るアイルネは尋ねる。
勿論、後々この事が問題視されるなら、その咎は甘んじて受けるつもりだが、カイルに自分の事情を知られた以上、この場で彼に庇護される資格を失っているような気がしていた。
だが、カイルの答えは簡潔だった。
「良いんじゃないか? 無事帰すって言ったろ。悪いことしたと思うんなら、今は大人しく守られてくれ」
返す言葉がなかった。
カイルに守られることは筋が違う、と感じるのも、所詮はアイルネのわがままに過ぎない。
それを相手に押し付けることこそ筋違いというものだ。
辛うじて、ありがとうございます、と小さく言って、アイルネは顔を俯ける。
「と、言う訳で、諦めろ」
熱心に小指の爪を手入れしていたシドに向かって、カイルが剣先を向ける。
ふっ、っと削リ取った甘皮を飛ばして、一瞬きょとんとした後、シドは慌てて口を開いた。
「残念だったわね。貴方のことは折込済みなのよ」
くるんと手首を返すと、その手からナイフが消えている。
「これも真実の愛のため、貴方を倒してでも、その子の命はもらうわよ……」
後ろに回すように、腰に手を当てる。
ゆっくりと手が動くと、そこには一振りの剣が握られていた。
刃がやたら長く、まるで何もない空間から取り出しているように見えた。
「――このピカピカの爪でね!」
「剣使わねーのかよ」
この小一時間の成果を、どうしても自慢したかったのだった。
この時のアイルネの内心は、混乱の一歩手前くらいにある。
連続した緊張と緩和。
長年背負っていた重荷が外れた事も、感情が上手く働かない一因になっていた。
代わりに神経はささくれだち、些細な事にも敏感になっているような感覚があった。
だからだろうか、その一言がひっかかった。
「これも真実の愛のため、貴方を倒してでも、その子の命はもらうわよ……」
はっとして、顔を上げる。
何事か話しているカイルの服の裾を引っ張った。
「か、カイルさん、今、シドさん変なこと言いませんでした?」
言われたカイルは、要領を得ない表情で首を傾げる。
「……そうか?」
シドの方を見て指を差した。
「変なことなら、さっきからずっと言ってる」
「い、いえ、そうではなく……」
「ちょっと、指ささないでくれる?」
文句を言ってるシドを見て、アイルネは背伸びしてカイルに耳打ちした。
また放置なの……と言う寂しそうなつぶやきが聞こえた気がしたが気にしない。
「今、シドさん、カイルさんを倒してでも、って言いましたよね?」
カイルは小さく頷く。
「それって、言い方を変えれば、カイルさんの事は倒さなくても良いって事になりませんか?」
ハッとしたようにカイルがアイルネのほうを見る。
いや近い近い近い近い近い。
怯んだように少し顔を離し、アイルネは小声で続ける。
「へ、変ですよね。カイルさんも、私が陛下の暗殺をするのをシドさんが手伝おうとしていたのを、知っているのに(・・・・・・・)」
「口封じのためじゃないのか…」
当然、アイルネもそう思っていた。
自分が殺されなければならない事情など、それ以外に思い当たらないからだ。
アイルネは首を横に振った。
「いえ、口封じかも知れないですけど、今回の事で、というわけではないんだと思います」
「どういう事?」
「シドさんにとって、"シドさんが暗殺の手伝いをしようとしていたことを知られる"のは、重要じゃないのではないでしょうか」
それは。
「黒幕が居るのか」
眼で頷く。
「けど、どうする? 今からそいつの事見つけるにしても情報がないぞ」
「……シドさんが私を殺そうとしている以上、材料は揃ってるんだと思うんです。逆に、選択肢が少ない今の方がチャンスなのかも」
おずおずと様子を伺うと、カイルは頷いた。
「そうか。じゃあ、任せた」
「え、えと?」
カイルが、いたずらっぽい笑顔を浮かべる。
「実は、数日前から勇者の行方が知れない」
「…………は?」
「だから、俺としてはなるべく早くあんたの事を帰したいんだが、シドがアイルネの命を狙ってる理由がわからん以上、無事に帰すっていうのは難しそうだからな」
帰した後、何か起こっては意味がないとカイルは言った。
「ど、どうしてそんな大事な事黙ってたんですか……?」
「うん。これ以上心労増やすのも悪いなーと思って」
「ここでこんなダメージ受けてたら一緒だと思うんですけど……」
勿論、文句を言えた義理ではないが。
ポンと肩を叩かれる。
「て事で、時間は俺が稼ぐ。その間にアイルネは黒幕の正体を考えろ」
反論しようとして、ぐっと堪える。
恐らくこの場で、誰一人傷つかない方法はこれしかない。
ならば、不満を言うだけの時間が惜しかった。
そこまで考えると、つい吹き出しそうになった。
不思議そうに見てくるカイルに、照れくさそうに笑顔を返す。
「すみません。なんだか、私達ずっと時間に追われてますね」
「……良い傾向だな。魔王城は何とかなった」
ニヤリと不敵な笑みを返される。
そう、結局やれることなど一つしかないのだ。
そういう意味では、魔王城もこちらもそう大差ない。
「出来る事から片付けていきます。そっちはお願いします」
「任せた。任せろ」
端的に言い合い、アイルネの黒幕探しが始まった。
つじつじつまつま。