第三十七話 大人気ないとばっちり
すみません、遅くなりました。
玄関の扉を開けると、見たことのない老年の紳士が立っていた。
身に着けているものは、埃一つ付いていない黒いタキシードにグレイのアスコットタイ。
顔の皺は老いよりも経験を彷彿させ、きちんと整髪されたロマンスグレーがそこに幾層にも深みを与えている。
手には白い手袋を嵌め、柔和で優しげな表情を浮かべた、秋風のような雰囲気を纏った美老年は二人に向かって恭しく頭を下げた。
「この度は突然お邪魔してしまい申し訳ございません。私、クライン家執事のオーウェルと申します」
美声を披露した執事に対し、彼の半分も生きていないような歳若いメイドは、彼の末孫くらいの幼い主人に向かって耳打ちをした。
「坊ちゃま、なんだかスカした方ですよ」
「いや、言い方な、言い方」
つれない返事をされながらも、彼女は気を緩めなかった。
先ほどの挨拶を聞く限り、経験上なんとなく厄介な人物だと想像できるからだ。
こういう人は、どれだけ慇懃な態度を取っていようと、やりたいことをやるタイプだきっと。
ローウェルと名乗った老執事は、二人に向かって一通の手紙を差し出した。
「この度はアイルネ様の事でお手紙を頂き、まことにありがとうございます。こちら、マルゴットお嬢様からの返事でございます」
「……それをわざわざ執事が持ってきたのか?」
「いえいえ、旦那様のお伴で偶々近くに来る用事がございましたので、それではと、ついでにこちらに伺ったというわけでございますよ」
ついでね、と呟き、隣のメイドからペーパーナイフを受け取り、封を破る。
手紙を取り出していると、メイドが何やら執事に質問していた。
「あれ? そう言えば守衛さんはどうしたんですか? 来客があれば知らせてくれるはずですけど……」
少年は手を止める。
確かに、彼の家の表門には、防犯のため守衛が二名立っているはずだった。
来客が現に玄関の前に立っている以上、なんの知らせもないというのはおかしい。
不思議に思い執事を見ると、なんとも捉えがたい笑顔を浮かべていた。
「申し訳ありません。あの者たちでしたら、少々懲らしめておきました」
「こ、懲らしめた?」
「はい。失礼ながら、お客に対する礼儀を欠いておりましたので。腕っ節には自信のある者たちのようでしたが、些か品性が欠落しているように思われますぞ」
メッと叱るように言われるが、どう受け止めるのが正解なんだろう。
確かに、守衛二人の態度には少年自身少し眉をひそめるところもあった。
元々が傭兵崩れであったから、乱暴と言うか細かい所で粗雑なのである。
それでも、他家を訪れて、いきなり守衛を懲らしめるというのは、相当違う気がする。
手紙にされた封蝋が確かにクライン家のシンボルだったので、目の前の老紳士を疑ってはいないが、最初に抱いた印象はむしろメイドの方が正しそうだ。
「ちなみに具体的にどう懲らしめた?」
気になったのでそう尋ねると、執事は変らぬ笑顔で答える。
「そうですな。礼儀とアクションについて少々レクチャーさせて頂きましたかな」
不穏だし、全然具体的じゃない。
ただ、彼の性格が段々見えてきた少年は、黙っておくことにする。
おそらく彼の言葉は正直なもので、レクチャーが何を指すかは想像に難くない。
守衛の性格を考えると激発したのは間違いなく、にも関わらず、目の前の執事の服装は乱れた所がないどころか、埃一つ付いていない卸したてのような状態だ。
「改めて苦手なタイプです」
メイドが再度耳打ちするが、改めるまでのこともないだろう。
色々を聞かなかった事にしつつ、少年は意識を手紙に戻した。
折りたたまれていたそれを開き、中身を一瞥して、驚愕に目を見開いた。
「どういう事だっ? 僕はアイルネの救出の協力を頼んだはずだ」
どーれどれーとメイドが少年の肩越しから手紙を覗きこんだ。
『必要なし。』
たったのこれだけ。
「はぁ、これはまた喧嘩売ってるような内容ですね」
手紙の感想を素直に口にするメイド。
裏にもなにも書いていないようだし、あぶり出しとかでもなさそうだ。
それにしても、この人はこの一文の為にここまで来たのだろうか。
よほど暇なのかな、と、思わず感心したように執事を見つめてしまう。
その執事はと言うと、筆で描いたような表情が、笑顔のまま微動だにしていない。
口が開いたのは彼女の幼い主に答えるためであった。
「どういう事かと申されましても、そこに書かれていることが全てなのでございましょうな。救出の必要なし」
鼻歌を歌っているような風情で言われて、少年は怒りに顔色を変える。
表情を暗くし、静かな声で、そうか、と呟く。
「……お前たちはアイルネのことが大事じゃないんだな。親だ子だとは言っても所詮は義理の事か」
半ばは挑発である。
それでも、それを口にさせた怒りは本物で、睨む瞳には力がこもっていた。
老執事はその視線を何事もなかったかのように飄々と受け止める。
「見解の相違でございますな。私にはそうは見えませんでした」
むしろ寛容さを示すような態度で、声には些細な変化すらない。
「だったらどうして救出が必要ないなんて言えるんだ!」
「ああ……坊ちゃま、どんどん小物みたい……」
声を荒げる小さな主人に、場違いにだいぶ辛辣な感想を口にするメイド。
ローウェル執事の態度は崩れない。
「必要がないからでございましょう。あえてマルゴットお嬢様の手紙の底意をはかるとすれば、『がたがたヌカサず大人しく信じて待ってろクソガキ』と言った所でございましょうか」
「が……」
絶句する少年。
固まる主人の耳元でメイドがささやいた。
「やっぱり、さっきの坊ちゃまの言葉がむかついたんじゃないですか?」
クソガキの辺り、大分私情が混じってるような感じだったし……。
だとすると意外と大人気ないなこの人、と思いつつ、メイドはとばっちりをくらうのを避けるため、それ以上は口を閉ざすのだった。
おまたせして申し訳ありませんでした。
読んで頂いてありがとうございます。