第三十二話 そして
私たち結婚しません騒動から三日。
魔王城の時間は、極めて順調且つ平穏に流れていた。
平穏と言っても、魔族史上初めてのメイド――教育係の言葉を借りるなら、人間の小娘がやって来たことにより齎された"平穏"の水準の低下、もしくは時間の流れが順調であるが故に切迫する状況を鑑みるに……まあ、ド修羅場だったのである。
その内の一部をピックアップするとこうなる。
一日目。
いつもと変らぬ様子で現場を指揮するアイルネの元に、最近、すっかり剣や槍よりトンカチやノコギリなんかを持つことに慣れてしまった兵士の一人が「親方~」と駆け寄ってきた。
親方も実はやめてほしいなぁ、と思う今日この頃な心境を抱えながらアイルネは振り返る。
「どうしました?」
「それが、あの、全館掃除にあたってるリビングデッドどもが『もう殺してくれ』って泣いてますけど……」
「……」
「……」
「……どうしましょう?」
「……今日はキリの良い所でお掃除をやめてもらって、明日は半休とってもらってください」
アイルネは反省しつつ指示を出した。
流石に休みなしの連徹は死人でも相当辛かったらしい。
二日目。
執務室。
請求書の束の前で、全身をバタバタしながら、アイルネが地団駄を踏んでいた。
隣でカイルがまあまあと宥めている。
「うがぁ! うがうがううがうがう!」
「……アイルネ、気持ちは分かるがトロル語になってる」
「うががう!」
三日目。
「さあ背中に隠したものを出しなさい」
「まあ、全然隠れてないけど」
手を差し出す教育係と、腕を組んでヤル気のない声で呟くカイル。
眼の前には後ろに両手を回し、冷や汗ダラダラ流しながら、それでもそらっとぼける兵士の姿があった。
「な、なんのことでしょう?」
ぴーぴーと口笛を吹き、決して二人と眼を合わせないように目線を空中に飛ばしている。
かすかに体が動くたびに、背後で長いものが揺れていた。
「いい加減にしなさい。我々の目を誤魔化して、隠し果せるとでも思ってたのですか?」
「そもそも隠れてないけどな」
「さあ、おとなしくその槍を渡しなさい!」
カイルを無視してびしっと言い放つ教育係に、兵士はいやいやというふうに首を振った。
飛び出す槍フロア。
仕掛けに反応して飛び出す無数の槍が、侵入者に襲いかかるという恐るべきフロアだ。
そこの槍の回収を(兵士たちは何故かここの槍をお気に入り)担当していた教育係が、いざ回収を終えて槍を設置しなおしてみると、どうしてか一本足りない。
槍兵全員から、ちゃんと一本ずつ回収したのにも関わらずだ。
そこで、忙しそうなカイルを無理矢理捕まえて探らせてみたところ、この兵士にいきあたっというわけだ。
なんの事はない、彼は一本では飽きたらず、もう一本ストックしていたのだった。
「大体、槍はちゃんと支給してあるでしょう」
「ち、違うんですよ! こっちの方が重みがしっくり来て手に馴染m……あ、いや……なんのことだか、さっぱり分かりません」
「ある意味根性がある」
「褒めてる場合ですか。こうなったら力ずくで」
そう言って詰め寄る教育係に、まあ仕方ないかというようにカイルも続く。
迫ってくる上司二人に涙ながらに兵士は首を振った。
「い、いや、やめて……な、なにも……なにも居ないったらぁーー!」
魂の叫びは虚しく辺りに響き、槍はあっけなく回収された。
がくっと跪き、現実の厳しさにさめざめと泣き始める兵士。
「あああああ……そ、それを取られたら、私はこれから、なにで、誰を突けば……」
「「なにでかはともかく突くのは勇者だろ」」
冷静にツッコむカイルと教育係。
こうして、飛び出す槍フロアはようやく元の姿を取り戻した。
――そして、四日目の朝。
最終章に向かう前の小話集。
一体アイルネはいつメイドの仕事をするんだろう…。
この度は読んで頂いてありがとうございます。
最後(大体五話くらい)もそこまでシリアスにはならないと思いますので、良ければ引き続き読んでやってください。
それでは失礼します。