第二十九話 芽生える不安
互いの自己紹介もそこそこに、アレックスとエミの二人はトリに乗って人間の国へと出発していった。
その際、ちょっとしたやり取りがあって――アイルネは、二人の姿が消えた目の覚めるような青い空を見上げながら、その事を思い返していた。
サキュバス達が、出立するエミの周りを囲み別れを惜しんでいた。
アレックスが言うには、エミは今日の朝こちらに到着したというから、出会って一緒にいたのはほんの数時間ということになる。
サキュバス達が人懐っこい性格だったとしても、やけに仲良くなったものである。
「またね~エミちゃん」
「いつでも遊びに来ていいよ~」
「もうちょっと大きくなったら色々教えてあげるわね」
純粋に(不純に)別れの言葉を交わしていると、しばらく相槌をうっていたエミが徐々に顔を伏せていった。
「どうしたの?」
「うん。……可愛がってくれてありがとう。お別れはとても寂しい」
サキュバス達との時間が余程楽しかったのか、彼女にしては珍しく、感情を現した言葉だった。
落ち込む少女を見て、可愛い~~っと嬌声が湧き上がる中、一人のサキュバスがすっと彼女の前に進みでた。
先ほど、ソファの上でエミを膝の上に乗せていたサキュバスで、にこにこと優しげに笑いながら、膝を折ってエミに顔を上げさせる。
「むに~」
両方から、むに~っと頬を引っ張られた。
「えとね、私たちも勿論寂しいよ。でもね、お別れの時に悲しい顔をしてたら、また次も会いたいって思えなくなっちゃうよ」
「ふゅぎ?」
不思議そうな少女に、サキュバスは頷いてみせる。
「うん、次。せっかく会えた最後が悲しい顔だったら、もう会えないみたいだもん。だから、お別れの時は笑って。また会いたいって、次に会えるのを楽しみにしてるねって」
エミは頬を伸ばされたまま、自分を取り囲むサキュバス達の顔を見回した。
眼の前の彼女の言葉が本当で、今の変顔にウケてるのでなければ、みな自分との再会を楽しみに望んでくれてるらしい。
「また来て良いの?」
不安そうに言う少女に、サキュバス達は顔を見合わせて笑った。
「当たり前じゃん!」
「エミちゃんなら大歓迎だよ~」
「色々教えてあげるって言ったでしょ」
笑顔の種類は様々でも、どの顔もまた会いたいと言っていた。
あまり変なことを教えられても困る、とアレックスは顔を顰めていたが、彼女たちは基本的に人の話をあまり聞かない。
あまり聞かないし、意に介さない。
そういう単なるハタ迷惑なヤツらなのだった。
そうして、ぎこちない笑顔を浮かべた少女は空を駆けていった。
「サキュバスは人との間に子を成します。夢の中で交わった相手と新しい命を作りますから、人間の、特に子供には甘いようですね」
こともあろうに、と言い添えて、教育係が、聞いてもいないのに説明してくれた。
出番を終えた桟橋の上で、アイルネはぼうっと空を見上げている。
こんな事をしている暇はないはずなのに、頑丈に張られた網が体を捕らえて離さないようにその場から動けない。
隣に誰かが立つ気配ある。
「さっきからどした?」
声はカイルのものだった。
さっきからというのは何時の事だろう? この場所に来た時? それともあの広間を出てから?
……駄目だ、わからない。
ただ、先程から脳裏に浮かぶのはカイルの言葉。
――万が一って事もあるからな。出来れば勇者たちがやってきてバタバタする前にアイルネは帰って欲しいと思ってたんだけど。
「……やっぱり、魔族の皆さんって、優しい方ばっかりなんですよね」
今も私のことを気にしてくれて……。
「アイルネ?」
そこで初めてカイルの存在に気がついたかのように、はっとしてアイルネは顔を上げた。
声にするつもりはなかったのだろう、驚いたように口元を抑えると、顔をそらす。
「なんでもありません」
とても何でもない風には見えなかったが、そう言って振り返ったときには、笑顔になっていた。
アイルネの様子に、なにか感じて、怪訝そうにじっと彼女の顔を見つめるカイル。
「アイルネ」
やがて、もう一度名を呼び、真剣な表情のカイルが手を伸ばした。
「ごめんなさい」
それを避けるように一歩後退して、アイルネはペコリと頭を下げた。
「まだお仕事が残ってるんで、私もそろそろ戻ります」
そのまま踵を返すと、逃げるように城内に戻っていった。
手を伸ばしたままの姿勢で取り残されたカイルの後ろから、亡霊のような気配が現れた。
「そんなおかしな格好でどうしたんですか?」
「……格好がおかしいのはあんただ」
前を向いたまま、厳しい顔で、カイルはカカシにピシャリと言い放った。
「仕方がないでしょう、これ一人では脱げないんですから」
振り返ると、さも不満そうに自分の体を見下ろしながら、教育係が上半身をグリグリひねっていた。
ちょっと、あつらえたばかりのドレスの出来を確認している人のようにも見える。
いや、やっぱり無駄に顔の良いカカシにしか見えない。
「そんなことより、なにか気になることでも?」
狂った方位磁石のような動きを止めて尋ねてくる教育係に、小さく首を横に振り、分からないとカイルは呟いた。
「……ただ」
「ただ?」
教育係から顔を背け、アイルネが去っていった方へと視線を向けた。
「……"また"あの顔してたな……」
「……なんです?」
「…………なんでもない」
そのまま黙ってしまったカイルに、訳がわからないというように、教育係は首を捻る。
カイルと彼の視線の先を行ったり来たり見ながら――何往復かした所で、はっ、と何かに気がついたように震え始める。
「ま、まさか、貴方まであの小娘と結婚したいとか言いだすんじゃ……」
「もうあんた一回ちゃんと寝なよ」
え、そんなに疲れて見えますか? と聞いてくる呑気な声とは裏腹に、カイルは胸の内で、言い様のない不安が芽生えるのを感じていた。
この度は、魔王城のメイドを読んで頂いてありがとうございます。
次回からは、いよいよ三十番台という未知の領域!(部数はすでに突破してますが)
ここまで続けてこられましたのも、ひとえに皆様のおかげでございます。
これからも良ければお付き合いくださいましでございます。
それでは。