第二話 教育係、泣き崩れて台無しにする
事の発端は五日前。
ここは、魔王城の玉座の間。
埃っぽい匂いの漂う広間では、様々な姿をした魔族達が列を成していた。
そこから仰ぎ見る玉座に、つまらなそうに腰掛けた少年の周りを、背の高い美貌の男がグルグルと歩き回っていた。
真珠色の長い髪を神経質っぽく弄くりながら、手に持った新聞に目を落としている。
記事を読みながら、折角の整った顔立ちが、ふんかふんかと乱れる鼻息の所為で台無しになっていた。
やがて足を止めたかと思うと、ダッと窓の方へと駆け寄り、窓枠を音楽家のような指が撫でた。
「いけません、これはいけませんよ…」
こんもりと取れた埃を指に乗せ、男は玉座の横の定位置に収まり、集まった魔族たちに声を張り上げた。
「勇者さんたちがもう直ぐここに来ようかと言うのに、なんなんですかこの城の有様は!」
フーッと指先に息を吹きかけると、結構な重みで埃の玉は落ちていく。
「はにゃー…」
その軌道を目で追いながら、玉座に座った少年が小さく笑い声を上げた。
「はにゃー……ではございません!」
男がキッと玉座の方を振り返った。
かけているインテリっぽいモノクルが光る。
「よろしいですか、陛下。相手の目的がなんでアレ、当魔王城にあっては久しぶりの来客。このような状態で勇者さんたちを迎えようものなら、魔王さんちはろくにお掃除も出来ないのね、なんてご近所で物笑いの種になってしまうこと必至! それは、魔王様、ひいては魔族全体の沽券に関わることなのですよ!」
「……さあー?」
「あれ? 今の会話になってなくね?」
玉座からのやる気の無い返答に思わずタメ語をきいてしまった男は、突然気が触れたように頭をかきむしり始めた。
この、いかにも線の細そうな男は、魔王城の教育係である。
これまで歴代の王達を立派に育て上げて来た古参だが、ここの所どうにもご乱心なさることが多い。
それは、玉座で楽しそうに男の奇態を眺めている少年の所為であったが、最近、勇者来るの報まで城に入ったため(といっても新聞で知った)、すっかり胃腸を弱くしている。
「拙者に一つ提案がござる」
ヘビメタ愛好家のように頭をフリフリしつつ、加えて地獄の歯軋りみたいな音が教育係から聞こえてきた所で、若干引いてた魔族たちの列の先頭に居た一人の古老の将軍が玉座の前に進み出た。
「あああ~このままでは…………え?」
フラワーロック状態だった男が動きを止め、少年が瞳を輝かせる。
「え? なにな、に"ゃーーっ!」
気軽に聞き返した少年が、玉座の上で飛び上がった。
抓られた肩を擦りながら、涙目で隣の教育係を睨む。
「なに~?」
「こほん……言葉使い…」
すまし顔で咳払いなどしているが、髪ボッサボサのお前に言われたくない。
それでももう抓られたくないのか、少年は居ずまいを正すと、せいぜい偉そうに見えるよう胸を張った。
「えーとー……よかろう、申せ」
「はっ」
少年が見下ろすように言い、魔族の将軍は恭しく頭をたれた。
やり取りに満足し、教育係がニッコリ生暖かく微笑む。
わが子の成長を見守る父親のような表情だが、まず乱れた頭を何とかして欲しい。
「拙者が愚考いたします所、メイド、とやらを雇ってはいかがかと存じ上げます」
「メイド? メイドとは何だ?」
隣にいるストレス過多気味の男の目を気にしてきちんと座ってはいるが、当代魔王の表情の上では好奇心が暴れまわっている。
「はっ。拙者が聞き及んだ所によりますと、何でも屋敷や城の世話をするモノなどをそう呼ぶそうでございます。人間の職業らしいのですが……」
「人間!!」
玉座の横で、またしてもヒステリックな爆発が起こった。
「い、いけません! 魔王様、人間どもはそれはもう浅ましく凶暴な生き物と私聞き及んでおります。しかも! なんか、ばっちくて、くっさっくて、週に一度も湯浴みをしないこともあるとかなんとか、とにかく不衛生な生き物だそうでございます」
「汚れ具合で言うなら、この城もそうかわらんな」
すっかり優等生モードに入った少年は、体に合わない玉座の中で悠々と笑った。
詰め寄ろうとして、機先を削がれた形になった教育係に、頬杖をつきつつ更に追い討ちをかける。
「それに、やってくる勇者どもも人間なのだろう。ならば一度くらい人間とやらを観察していても良いではないか」
およそ三百年。
男が教育係に召し上げられてから、一度もここに人間が辿り着いたことはない。
魔族史観を纏めた書物を紐解いてみると、五百年ぶりの来訪という事になる。
「ま、まだわかりませんよ。勇者がわんちゃんとかネコにゃんの可能性も……」
「犬や猫がどうやって聖剣を抜くのだ? 勇者とは聖剣を抜いた者の事を言うのだろう?」
「に、肉球です! 肉球でぷにっと掴んでぷにっと抜いたんですよ!」
この春一番くらいの苦しい言い訳は、一同の冷たい視線にさらされた。
流石にこの冷たい空気を本人も自覚しているのか、ブンブンと首を振ると、慌てて矛先を変える。
「だ、大体、ここにはサキュバスお片付け隊がいるではありませんか! 彼女達はどうしたのですっ!?」
サキュバスお片付け隊は、城の中の雑事、主に家事などを取り仕切る者たちのことである。
そもそも彼女達がしっかりしていれば、こんな事であたふたする必要もなかったはずなのだ。
しかし、少年は一度大きく首を振ると、困惑を露に手を振った。
「あれらはダメだ。どうしてか俺の事を寝所に誘うばかりで、一向に仕事をせん」
良くわかっていないような魔王の言葉に、ガクッと教育係の膝が折れた。
「くっ、性が、サキュバスの性が憎い!」
どこからか取り出したハンカチを悔しそうに噛んでいる教育係を放っておいて、当代魔王は跪く古老の将軍に命じた。
「では、そのように計らえ。どうやら勇者どもが来るまでそう時はないようだ、急ぎ俺の前までメイドとやらをつれて来い」
「はっ」
主従の惚れ惚れするようなやり取りを、泣き崩れる教育係が台無しにしていた。
今回はその話の末尾の文章をモジってサブタイにしております。