第十七話 大人びた理性は静かに沈黙する
「デーモンのクォヴレー。このキッチンの責任者」
「ぶわはははははは! 吾輩は十万四十二歳である!」
「…………」
初対面の顔面蒼白魔族に、開口一番の長生き自慢。
事実なら超高齢の魔族を前に、自分も年齢を教えるべきなのかしら、と、頭を悩ませるはめになった。
グダグダの謁見を終えたアイルネは、教育係の言葉通りに、カイルの案内で城内を見てまわることにした。
一旦宛てがわれた部屋まで戻り、動きにくいドレスから普段のメイド服に着替えた上で、そのまま上階から見て回る。
そうして、中天にあった太陽の角度を下方に八度ほど消費した結果、分かったことが幾つか。
三階――動く床フロア(没――故障により動作不可)
二階――とび出す槍フロア(没――慢性的槍不足【参照:十四話】)
一階――毒の泉エリア(没――経年による浄化【親子連れ憩いスポットに】)
etcetc…。
というわけで、勇者一行からしたら万々歳、魔王城としては、うーん、な現状を目の当たりにして、アイルネは軽く考え込んだ。
(……仕掛けに故障の見られるフロアからお掃除を始めて、なるべく早く罠を修理してもらわなくちゃ…)
死のアクティビティを前に、この冷静さ。
彼女は、働き者だった。
そこに、疑う余地はない。
ただ、良い人間か、と問われれば、彼女は首を横に振る。
アイルネ本人は、自分を良い人間などと思ったことは一度もなく、むしろ、そうでないからこそ、その分人よりいっぱい働かなければという思いがある。
労働に真摯に望むのは当然のことで、それと人格とは全く関係ないものなのである。
と、そう、彼女は無意識の内に割りきっていた。
だから、彼女の仕事に対する姿勢は、情熱はあるものの、どこかしら乾いた視線をしている。
アイルネは勇者一行の事を心から応援している。
しながら同時に、彼らを罠にはめるための装置を修復する為の公算を、どこまでも精密に立てようとする。
彼女にとってここに一切の矛盾はない。
理性と感情、仕事には前者が重要で、彼女の理性は非常に大人びていた。
クォヴレー(推定四十二歳)に別れを告げた二人の足は、中庭を囲むアーケードの石床を踏んでいた。
建物に囲まれたロ型の中庭で、四角く広めに切り取られた空は既に変色を始めている。
仰いだ赤色に視線を残しつつ、アイルネは隣を歩くカイルに問いかけた。
「少し不思議に思っていた事を伺ってもよろしいですか?」
軽く頷くカイルを見て、では、と口を開いた。
「どうしてお名前で紹介される方とそうでない方が居らっしゃるんですか?」
実は魔王陛下に謁見した時から思っていた疑問だった。
ああ、と頷いてカイルは答える。
「そもそも、種族ごとに精神的繋がりの強い魔族にとって個人名は重要じゃない。魔王城に居る限りはそれぞれ役割があるしな。名前がある奴らは、みんな人間に混じって暮らしたことのある奴らだけだ」
「では、カイルさんも?」
「そう。さっきのクォヴレーなんかは人間の街の食堂で働いてたし、他にも人間の街で暮らしてた奴は結構いる。ああ、ほらあいつ」
そう言ってカイルが向かいのアーケードの中を指差した。
少し距離があるため詳細は分からないが、どうやらそこにいる男性を指しているようだ。
「あの方もですか?」
「アレックスっていう。今度来る勇者の元仲間の一人だ」
「ええっ?!」
「元々、この辺に住んでたやつなんだが、子供の頃に遊びに行った戦場跡で、たまたま通りかかった人間の商人夫婦に孤児と間違われたらしい。その人間がまたイイヤツらだったらしくて、そのまま拾われて自分の子供同然に育てられたみたいだ」
「な、なんだかのんびりしたお話ですね…」
もう一度、中庭の向こう側にアイルネは目を向けた。
中肉中背と言う以外、やはり詳しい所は分からないが、言われて見れば、何となく人間に近い雰囲気を纏っているような気がしないでもない。
「そのあと、夫婦の住んでた街から勇者が選ばれて、幼馴染だったあいつもノコノコ付いて行ったんだと」
本当にノコノコだ。
「そ、それで?」
「そっからは俺も詳しく知らねーけど、最近一人でひょっこり戻ってきた。……ま、電撃移籍ってやつだな」
「電撃移籍……」
本当か? 本当に、それが一番ふさわしい表現なのか?
何か釈然としないものを感じながらも、アイルネは大人びた理性で静かに黙っておくのだった。
引き続き十八話をお楽しみ下さい。