第十四話 例外なく長い話
「うにゃ~~~~~!! いらっしゃ~~~い!!」
突然、両手をバンザイするように上げながら、魔王陛下が歓喜の叫びを上げた。
どうやら、教育係が顎を出したり引っ込めたりしている間に、我慢の糸が切れてしまったらしい。
へ? っと戸惑いの声を上げる教育係を置き去りにして、玉座からぴょんと飛び降りると、驚きから声もないアイルネの方へと駆け寄っていった。
動けない彼女の前で、ピタっと急停止する。
顔を上げ目が合うと、ふにゃっと蕩けるように相好を崩した。
「あのね、来てくれて、ありがと~」
一語一語を大切そうにそう言って、ニコニコしながら右手を差し出す。
「にゃ~、名前おしえて?」
しばらく意味がわからず戸惑っていたアイルネだったが、ようやくそれが握手の形をしていることに気が付き、自分も慌てて右手を差し伸ばした。
「あ、アイルネでござい……」
ございますと言い切れない内、ヒステリックな悲鳴が上がった。
「ひぃいいいいいぃぃぃぃぃぃいいぃぃぃ!」
甲高い声で語尾を飲み込みながら……おかげで、旅芸人のような自己紹介になってしまった。
「ぃぃぃぃぃいいぃぃぃいいいいけませ~~~ん!」
見ると、事態に気がついた教育係が、両手で頬を抑えながら青い顔で叫んでいた。
せっかく取り戻した落ち着きを投げっぱなしジャーマンし、恐慌を来したような状態のままズバッと飛び上がる。
均整のとれた縦に長い体が高い天井すれすれに弧を描き、両手をついて魔王陛下の真後ろに着地した。
「にゃっ?」
片手を伸ばし、むんずと魔王陛下の襟首を掴む教育係。
と、思うやいなや、あろうことか、そのままブンと後ろに放り投げた。
「あ”~~~~に"ゃあ~~~~~~~~~~~~~」
気の抜けるような悲鳴を上げて飛んでいく魔王陛下を見て、慌てて着地点に集合する兵士たち。
なんとかその小さな体をキャッチすることに成功すると、その内の一人が叫んだ。
「きょ、教育係殿がご乱心なされた! 槍を持て!」
初手が、突く。
不敬罪に問われても仕方がない行いとは言え、さすがのバイオレンスだ。
広間の中をドタバタと混乱が走りまわる中、その騒がしさに相反するような静かな中心で、アイルネはパニックとかそういう段階をはるかに飛び越えた心持ちでいた。
(……わ、訳が、わからない)
ものすごいスピードで、前にも後ろにも進まない車輪が全力で回っているような、この状況は一体なんなんだろう。
スッと教育係が立ち上がった。
釣られてアイルネが顔を上げると、目があった。
ここに来る前、半裸の魔族と向かい合った時よりも、さらに近い距離。
吐息の成分が知れそうなほど接近した距離で、菫色の瞳と視線を交わす。
モノクルの奥から覗く理知的なそれが、その瞬間、じわっと涙目になった。
「…………は?」
動揺、とか、近い、とか、美形、とか、緊張、とか、男の人、とか。
そんなアイルネのあらゆる心のキーワードを置いてきぼりにして、教育係がへなへなとその場に尻餅をついた。
「……お……お助けぇぇ……」
蚊の鳴くような、情けない声が花びらのような唇から漏れでる。
腰が抜けたように、というか実際抜けたのだろう、教育係は両手を必死で動かして、足を引きずりながらゆっくりアイルネから離れていく。
「うにゃぁあぁ」
ぐるぐる目を回しつつ、魔王陛下がふらつく体を立ち上がらせた。
「も~~なに~~?」
左右を兵士に支えられながら、教育係に向かって不満をたれる。
「あ……も、申し訳ございません。こ、この人間から陛下をお救いしようと思い……」
ヘタりこんだまま応える教育係に、今突くか、今突くか、と槍を構えていた兵士たちの動きが止まった。
あ、そうだったの? え? え? 何? で、突けるの? 突けないの? どっち? 突いとく? イチバチで。
ぼそぼそと囁きあう兵士たちにチラリと視線をやってから、再び教育係に目を向ける。
「……なんで?」
珍しく、ちょっと怒ったように。
「で、ですから、その、バイキンとかいっぱい付いてるかも知れませんし、そ、それに、下々の者に軽々しく触れられては陛下の威厳が……その」
段々語尾を頼りなくしながら、ちらっと魔王の様子を伺う。
「…………」
無言で睨んでくる主に、教育係は唇をかんで瞑目した。
さすがに誤魔化されてくれない。
しばらく何かを迷っているような沈黙が続き、やがて、ゆっくりと、目を開いた。
諦めではなく、決意の光をたたえて。
「……陛下、私、実は陛下にまだ申し上げていない秘密がございます」
教育係のその言葉に、魔王が頷いた。
「うん」
その表情が少しだけ優しくなる。
「その秘密とは……そ、その、ですね、実は、わ、私、じ、実は私は……その、に、人間が怖ぅっちょっと苦手なのでございます!!!」
ぴしゃーん! ごろごろごろごろ……。
教育係が言い放った瞬間、大きな音を鳴り響かせながら稲光が走っていった。
城の近くに落ちたのか、秘密を告白した悲壮な表情に、薄い陰影が出来る。
そんな晴天の霹靂とは逆に。
「「「…………」」」
その場にいたほぼ全員の胸に去来する え、いまさら? の五文字。
一目見て本気だとわかる落ち込みようで、教育係は押し黙っていた。
一番無いと思っていた答に、突く気まんまんだった槍先がとたんに萎えていく。
「えっと~、ちょっとだけ気がついてたかにゃ~?」
こんなに困っている魔王陛下を初めて見た。
後に、この場にいあわせた兵士が語っている。
頬を掻きながらそう言う魔王に、教育係は驚いたように目を見開いた。
「やはり、陛下は気づかれていたのですね……」
「うにゃ~……みんな気がつい……」
「私が幼少の砌……そうあれはとても暑い夏の日のことでございました」
なんだか語りだしちゃった教育係に、黙って槍を下ろす兵士たち。
「はにゃ~……」
仕方なく聞く態勢に入る一同の中、魔王陛下だけが小さくため息をこぼした。
彼の話が、例外なく長くなることを知っていたからだ。
アイルネと魔王たちとの絡みを全然考えてなかったです。
不思議と。……いや、ホントに不思議。