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男のトイレ

 月日は流れた。


 赤ちゃんの成長は、思ったより早い。


 首が座った。

 寝返りを打てるようになった。

 ハイハイができるようになった。


 そして——言葉を覚え始めた。


 この世界の言葉は、日本語ではない。

 でも、赤ちゃんの脳は柔軟だ。

 聞いているうちに、自然と理解できるようになっていった。


 「ユーリ」


 それが、私の新しい名前だった。


 ユーリ・ブラント。


 名門没落貴族の、一人息子。


 ——男の名前だ。


 当たり前だけど。


 私はもう、女ではない。

 この世界では、男として生きていかなければならない。


「ユーリ、こっちにおいで」


 母親が、手を広げて待っている。


 一歳を過ぎた頃。

 私は、よちよち歩きを始めていた。


「それ、上手上手!」


 母親の顔が、嬉しそうに輝く。


 ——この人は、本当にいい人だ。


 没落貴族の奥方。

 昔は大貴族の令嬢だったらしい。

 今は貧乏になっても、品があって、優しくて、愛情深い。


 こんな人が、私の母親になってくれた。


 それだけは、感謝している。


「ユーリは本当にいい子ね。あまり泣かないし、手がかからないわ」


 そりゃそうだ。

 中身は三十歳だから。


 泣きたいことは山ほどある。

 でも、泣いたところで何も変わらない。


 だから私は、できるだけ静かに過ごすことにした。


 ——男の体には、まだ慣れないけど。


◇ ◇ ◇


 三歳になった。


 そして、私は人生最大の試練に直面した。


 ——トイレトレーニング。


「ユーリ、今日からおまるで練習しましょうね」


 母親が、小さなおまるを持ってきた。


 子供用の、可愛らしいおまる。


 ——嫌な予感しかしない。


「さあ、座って」


 母親が、私のズボンを脱がせる。


 恥ずかしい。


 三歳の体とはいえ、中身は大人だ。

 母親とはいえ、他人に下半身を見られるのは——


 いや、でも、赤ちゃんの頃からずっと見られてるんだ。

 今更、何を恥ずかしがっているんだ。


 そう自分に言い聞かせる。


 でも、やっぱり恥ずかしい。


 前世では三十年間、女として生きてきた。

 こんな形で他人に下半身を晒すなんて、経験がない。


 私は、渋々おまるに座った。


「上手にできるかな?」


 母親が、期待の眼差しで見つめている。


 ……できるわけがない。


 だって、私は——


 前世では三十年間、女として生きてきた。

 座ってするのが当たり前だった。


 それなのに、今は——


「あのね、ユーリ。男の子はね、立ってするのよ」


 母親が、優しく教えてくれる。


 ——知ってる。


 知識としては知ってる。


 でも、やったことがない。


 三十年間、一度もやったことがない。


「こうやって、前に向けて……」


 母親が、丁寧に説明してくれる。


 恥ずかしい。


 死ぬほど恥ずかしい。


 前世では三十歳だった私が、トイレの仕方を教わっている。


 しかも、男のトイレの仕方を。


 こんな屈辱、あるだろうか。


「さあ、やってみて」


 私は、おずおずと立ち上がった。


 おまるの前に立つ。


 そして——


 やってみる。


 ……出ない。


 緊張で、出ない。


「大丈夫よ、ゆっくりでいいからね」


 母親が優しく声をかけてくれる。


 余計に緊張する。


 深呼吸。


 リラックス。


 お腹に力を入れて——


 ……出た。


 立ったまま、出た。


 これが——


 男のトイレか。


 感覚が、全然違う。


 座ってする時とは、力の入れ方が違う。

 方向を意識しないといけない。

 飛び散らないように、角度を調整しないといけない。


 こんなに複雑なことを、男は毎回やってるのか。


 女の時は、座るだけでよかったのに。


 ……面倒くさい。


「上手! ユーリ、上手にできたわね!」


 母親が、拍手してくれた。


 嬉しそうな顔。


 ——そんなに喜ばれても。


 私としては、複雑な気持ちだ。


 恥ずかしかった。

 情けなかった。

 でも——できた。


 男のトイレができるようになった。

 つまり、また一歩、「男」に近づいてしまった。


 ……でも。


 正直に言うと、立ってできるのは——


 ちょっと便利かもしれない。


 座らなくていい。

 服を全部脱がなくていい。

 外でも、木の陰で済ませられる。


 女の時は、いちいちしゃがまなきゃいけなかった。

 それを考えると、男って楽なのかも。


 ——いや、だからって男になりたかったわけじゃないけど。


 心は女のままなのに。


 体だけが、どんどん男になっていく。


 この先、どうなってしまうんだろう。


 私は、漠然とした不安を感じながら——


 それでも、生きていくしかなかった。


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