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赤ちゃんの試練

 ——というか、すぐには言葉がわからなかったから、自分が男として生まれたことにすら気づくのが遅れた。


 体を拭かれている時に「何かついてる」と思ったけど、最初は何かわからなかった。


 赤ちゃんの視力は弱い。

 ぼんやりとしか見えない。


 だから、「ついてる」と確信したのは——


 おむつを替えられた時だった。


◇ ◇ ◇


 それから数日が経った。


 私は少しずつ、この世界のことを理解し始めていた。


 ここは、日本ではない。

 どうやら異世界らしい。

 中世ヨーロッパのような雰囲気の、貴族社会。


 私が生まれた家は「ブラント家」という。

 名門貴族らしい。


 ただし——没落しかけている。


 屋敷はボロボロ。

 使用人は老人ばかり。

 父親は誇り高いけど、領地経営には失敗しているらしい。


 そして私は、この家の一人息子。


 跡取り。


 家を継ぐ者。


 「この子が、ブラント家を立て直してくれる」


 父親は、私を抱きながらそう言った。


 ——重い。


 生まれたばかりなのに、もう重責がのしかかっている。


 でも、それよりも。


 私にとって最大の問題は——


「おむつ、替えましょうね〜」


 母親が、私のおむつを外した。


 そこには——


 ある。


 確かに、ある。


 小さいけど、確かに男の子のソレが——


「あら、今日も元気ね♪」


 母親が笑った。


 ——元気って何!?


 私は顔を赤くした。


 いや、赤ちゃんだから元々赤いけど。


 とにかく恥ずかしい!


 前世では女だったのに、こんなものを見られるなんて!


 しかも、自分のものを!


「おぎゃあ……」


 私は恥ずかしさで泣いた。


 三十年間女として生きてきた私には、この状況は刺激が強すぎる。


 でも、母親は気にしていない。


 当たり前だ。

 私が赤ちゃんだから。

 元女だなんて、誰も知らない。


 これが、私の新しい人生。


 名門没落貴族の跡取り息子として生まれた、元OL。


 ——先が思いやられる。


 私は小さくため息をついた。


 もちろん、声にはならなかったけど。


◇ ◇ ◇


 赤ちゃんの生活は、想像以上に過酷だった。


 何もできない。


 本当に、何もできない。


 お腹が空いても、自分では食べられない。

 喉が渇いても、自分では飲めない。

 寒くても、自分では服を着られない。


 できるのは、泣くことだけ。


 泣いて、周りの大人に助けを求めることしかできない。


 三十年間、自分のことは自分でやってきた。

 一人暮らしも長かった。

 誰かに頼るのは、苦手だった。


 それが今は——


「あら、お腹空いたのね」


 母親が、私を抱き上げた。


 そして——


 服の前を開けて——


 胸を——


 ……待って。


 待って待って待って。


 え、ちょっと——


「はい、どうぞ」


 母親の胸が、目の前に迫ってくる。


 ——無理無理無理無理!


 元女とはいえ、これは——


 いや、元女だからこそ、これは——


「あら、どうしたの? 飲まないの?」


 母親が不思議そうな顔をする。


 そりゃそうだ。

 赤ちゃんが授乳を拒否するなんて、普通は考えられない。


 でも、私は——


 三十年間、女として生きてきた。

 他人の胸なんて、見たくもなかった。


 それが今は、目の前に——


 しかも、これから数年間、これを続けなければならない?


「おぎゃああああ……」


 私は、観念して泣いた。


 生きるためには仕方ない。

 赤ちゃんは母乳を飲まなければ死んでしまう。


 でも、心の中では——


 ごめんなさいお母さん。

 私、前世では女だったんです。

 こんな状況、本当に辛いんです。


 誰にも言えない苦しみを抱えながら、私は母乳を飲んだ。


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