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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

『悪魔の戯れ』今、無性にゲームがやりたい

掲載日:2025/11/12

 あれだけゲームには目がなかった俺がゲームをやめた。同時に食欲も無くなった。

 ただ、悪魔のような悪魔が跋扈するこの世界から、あの子を守らなければと思ったんだ。




 開け放したカーテンから朝日が差す1Kのデザイナーズマンション。テレビから流れるニュースをBGMに、朝食のトーストと目玉焼きとベーコンのワンプレートが、小さなテーブルに置かれた。


「はぁ、会社に行きたくない」


 薄目でトーストを咀嚼するたびに気が重くなっていく。飲み込んだトーストを押し返すような、きゅっとなる胃の収縮。トーストを持つ指先は、いつも冷たい。


『昨日、IT大手EDOソリューションの社員◯◯さん二十七歳が、自宅マンションで亡くなっているのが発見されました。◯◯さんは、仕事上での――』



 五駅の間、後頭部を温める朝日を浴びながら電車に揺られる。車内で聞こえるのは、自分のため息と、周囲の誰もが抱える「同じ重さの絶望」が混ざったような無音の圧力。


 須藤ナツカは株式会社カエイ・コンサルティングに新卒で入社して今年で五年目。

 入社当時の希望や夢なんてどこへ行ったしまったのやら。毎日押し寄せる膨大なタスクを避けるように生きるのが精一杯であった。

 それでも避けきれないタスクは凶器のようにナツカに襲いかかる。



 四人がけの会議室に連行されたナツカと先輩社員とワン・オン・ワンがまだ終わらない。


「須藤、お前、仕事を舐めてるの?」

「い、いえ。……舐めてません」

「やれと言ったことをやれよ。昨日の夜までに資料送れって言っただろ」

「それは……。すみません、終わらなくて」


 ここで反論すると、この説教は永遠に終わらないことを知っている。



「それで午前中デスクに居なかったのか」

「そうなんですよー。盛岡さーん。私、凹んでます。ベッコリです、ベッコリと」


 ナツカの上司である盛岡は優しい微笑みで愚痴を聞いている。


「その説教の時間で資料作れるっつー話ですよ、もう!」

「あはは。まあ彼も成果を出そうと必死なんだろうね」

「あの先輩とタッグを組まされてるこっちは大変ですよー」



 盛岡との会話がガス抜きになっているのは事実だし、心の何処かでいつも支えになっているの実感していた。

 その柱がポッキリと折れてしまうほどの重く膨大な資料作成、いつまでも終わらない質問と返答のラリーのような顧客への連絡など。タスクが大渋滞を起こしているのがナツカの日常だった。


 暗くなったオフィスで終わりの見えない作業をしていると、パソコンの画面が涙で歪む。


 すでに終電がなくなったため、タクシーを拾おうと会社の前で走る車の群れの中から行灯を探していると、偶然盛岡が歩いてきた。


「盛岡さん……。盛岡さぁぁぁん」


 彼の姿を見ると、途端に涙が溢れて止まらなくなってしまった。




 この和風居酒屋、盛岡はこの店の常連。昔はどこかのナンバー1ホステスだったという小粋な女将さんの落ち着く雰囲気に、さっきまでの荒んで暗い気持ちが少し和む。


「なるほどなぁ。それは須藤さんの負担の方が多いな」

「ですよねー。あいつマジでムカつく。私に押し付けてばっかりなんです」

「ははは、俺からも言っておいてやるから、そう落ち込みなさんな」

「あざすーーッッ きつく、きつーく言ってください!」


 些か軽くなった気持ちもあって、お酒が進む。暫く経つと仕事の話題なんて最初からなかったかのような、ごく普通の居酒屋での会話になっている。


「えー? 盛岡さんもゲーム好きなんですかー? 私もです!」

「今は封印してるけど。昔は熱中しすぎて昼夜問わずゲーム三昧。もはや廃人さ」

「人は見かけによらないなぁ、ゲームってすごろくとかボードゲーム系ですか?」

「すごろくか。最低でも一つは進めるのは好きだな。罰があるってのもいい」

「盛岡さんって真面目だからゲームとか弱そうなイメージだなー」

「そんなことないぞ。目的のためなら多少、悪魔的なことだってする」


 彼の瞳が異常に強く光るような気がした。


「でもなんで、そんなに好きだったゲームをやめちゃったんですか?」

「……ゲームより、大切なものが出来た……からかな」


 少しの間目を見開いたナツカは、再びとろんと目を座らせて言う。


「実は私。……悪魔を見たことあるんですよ。フフフ」



 ナツカの父親は仕事人間だった。責任感は強く、部下からは慕われていたと聞く。

 次第に父親の仕事は傍から見ていても、明らかに忙しくなっていった。家族が起きる前に家を出て、家族が寝た後に帰ってくるのが日常になる。たまの休日も家で仕事をしている父親の横顔を見ていて、幼いながらに鬼気迫るものを感じていた。


 日に日にやつれていく父親の姿。それでも働き続ける意味や意義なんてものは、果たしてあったのだろうか。


 ナツカが中学三年になったある雨の夜、受験勉強の休憩がてらリビングへ行くと、暗闇の中で首を吊った父親のシルエットを発見した。


 言葉を失い立ち尽くすナツカ。その時、轟音とほぼ同時にカーテンの隙間から部屋を照らした稲光が、父親の前に佇む悪魔の姿をくっきりと浮かび上がらせた。


 首を吊る父親の胸に右手を刺し、今にも心臓を抉り取ろうとしている。

 そこからの記憶は曖昧で、あの悪魔の存在が夢だったのか現だったのか。しかし、父親の死だけは現実のものであった。




「盛岡さんってー、なんでそんなに私にやさしいですかー?」

「なんだ、須藤さん、呂律があやしいな。そろそろ帰るか?」


 盛岡ははぐらかす。


「もしかしてー、私のこと好きなんですかー?」

「ほら、会計してくるから帰る用意しておけよ」


 そう言うと、女将さんのところへと歩いていく盛岡の背中を見ながら呟く。


「ふふ、私は好きだけどな。……お父さんみたいで」




 それからも多忙な日常は続いた。失敗しては盛岡に励ましてもらい、小さな成功をすると、同寮たちと喜んでいる。嫉む視線の者もいるが、それは自然の摂理である。仕事に意欲的に切磋琢磨するナツカを見て盛岡は口角を上げならがパソコンの画面に視線を落とした。





 社員の名前と部署が列挙されているエクセルの画面。舌打ち混じりに、ナツカの行を黒色に消し込む男がいる。マウスを操作する節が異常に太い指は、黒く、毒々しい長い爪を生やしていた。


 昨今流行りのシステマチックでスタイリッシュなデスクではなく。重厚なアンティーク調の木製のデスクに座る、カエイ・コンサルティングの社長。室内は、ギチ、ギチ、と尖った爪を噛む不快な音が響く。


 俺たち悪魔という存在は、ゲームが大好きだ。何かが賭かるとより興奮する。

 この三十年、悪魔たちの間で流行っているのは日本での会社経営ゲーム。


 まずはキャラクリエイト。人間の姿に身をやつして会社経営を行う。スタートは起業だったり、買収だったり乗っ取りだったり。


 人間たちを生かさず殺さず、テイの良い強制労働を課し、利益を搾取する。心が潰れてしまった人間の魂は自分たちで食らう。


 契約を絶対に守る悪魔にとって、会社経営というすべてが契約の上で動いていく仕組みも馴染みが深く、挙ってこのゲームに熱中した要因だろう。


 会社を大きくして、立ち行かなくなった会社を買収すれば、ライバルだった悪魔が自分の配下になり、悪魔としての位が上がる、まさに一石三鳥。食と娯楽と成り上がりが融合した最高のエンターテインメントだ。

 さらに言えば、日本人というのは責任感が強く、体裁を気にし、恥を嫌う。このゲームには持って来いの駒だったのだ。





 数ヶ月経ったある日、仕事での失敗、家族の崩壊に心を打ち砕かれた須藤の同期が、自らの命を絶った。


 ショックのあまり仕事が手につかず、デスクで項垂れているナツカを、いつもの居酒屋に誘った盛岡が言う。


「ああ、他部署だが、彼のことは聞いてる。須藤さんと同期だったんだね」


 ナツカはテーブルに付けた頭を腕で覆い隠して肩を震わせている。


「あいつね、今度子供が生まれるんだよ。辛いけど頑張るって言ってたんだよ」

「そうだったのか。少し不謹慎なことを言うぞ。死んだのが君じゃなくてよかった」

「……盛岡さん。それ、本当に不謹慎だから……」


 盛岡の発言に一瞬の怒りと、自分を思ってくれている喜びなのか、人としてなにか欠落しているのではないかという異質感。考えても理由のわからない感情がねっとりと混じった。





 季節が二つ回った頃。カエイ・クリエイトの大会議室に多くの社員が並べた椅子に座っている。会社の業績不振から、会社が売却される事の周知が行われている。経営方針が、時代の波に乗り遅れたのだろう。売却先はナツカもプレゼンに訪問したことがある大手企業。


 翌月、創業二十五年のカエイ・クリエイトは、名前を変え、他社の歴史の一部として取り込まれた。


 社長は新会社の事業部長としての椅子を用意されていたにも関わらず、一度もその席に座ることがなかった。


 合併後、数日経たずに吸収される側の社長の死。飛びつきやすいスクープにも関わらず、メディアでは一切が報じられなかった違和感に、疑心暗鬼になる社員も少なくはない。


「絶ッ対におかしいですって。何? メディアの闇? なんかの圧力?」


「決して社長の味方をするわけじゃないけど。そもそも嫌いだったし、でもさ……」

「嫌いだったならいいじゃないか。泣いたわけでもないだろ? 同期の時みたいに」

「良くはないですよ。なんでそんなに冷たい事言えるんですか? 信じられない」

「メディアで報じられればいいということかい?」

「ちがいます。盛岡さん、おかしいですよ? もういい、話が噛み合わない」


 あとで思い返してみれば、ナツカがの方がロジックエラーを起こしていたと気づく。けれど、なにかしっくりとこない違和感が拭えなかった。



 ナツカの出社するオフィスは変わらず前のままだった。買収された会社は一つの事業部として、総務や会計以外の業務は変わりない。よって多少の人事異動はあったものの、ナツカの直属の上司は依然、盛岡だった。


「須藤さん、例の件だけど――」

「打合せなので、のちほどメールで。失礼します」


 盛岡が話しかけてくるが、何かと理由を探して避けるようになったナツカだった。

 会社の表側が変わろうが、仕事内容は変わらない。しかし、業務量は確実に増えていった。


 オフィスの壁に新しく設置された、リアルタイムの売上モニターは、みるみると増えていく数字とグラフを表示している。社員たちは、定期的にちらりとモニターを見ては、喜びと焦りを掻き立てられていた。



 今朝もニュースが流れている部屋に朝日が差し込む。


『昨日、IT大手EDOソリューションの社員◯◯さん二十八歳が、自宅マンション前で亡くなっているのが発見されました。◯◯さんは、仕事上での――』


「はぁ……」

 ナツカは焼いたバケットにレバーパテをなすりつけて齧っている。力ない顎の力でカリカリと音を立てていた。


 会社へ向かう時間は、以前より彩度の低い景色に見えた。前だったら、こんな時にガス抜きをしてくれるのが盛岡だったのに、自分から遠ざけてしまった手前、声も掛けづらい。そんな自分に辟易としながら、やはり仕事に打ち込んだ。




 ある日、事業部長に呼び出された会議室。事業部長の隣には盛岡も座っている。

 ナツカは、少しの後ろめたさを感じながら、事業部長からの第一声を待った。


「須藤さん。下半期から始まる新サービスのプロジェクトリーダーを、君に任せたいと思っていてね。」


 心臓がトクンと跳ねた。


 入社前から描いていた、プロジェクトを引っ張っていくリーダーを担う自分の姿。その理想に今、この瞬間、自分がぴたりと重なった音が聞こえた。


 初めての経験だが、社会人になって培ったものをすべて出そうと奮闘する毎日。膨大なタスクに嫌々追われていた時と同じ、いや、それ以上の多忙な日々。そんな中で、ナツカの心は輝く未来を見据えていた。


 プロジェクトチームの仲間たちと、日夜、会議を繰り返し、始発で帰宅し少しの仮眠を取ってすぐに出社する。

 夜中、盛岡と一緒に行った居酒屋へ仲間たちと行き、飲みながら熱く議論を交わし、着実にプロジェクトを形にしていく。



 ときには壁が立ちはだかることもある。夜中のオフィス、自分ではどうしようも出来ない五月雨のように降り注ぐ難題に、涙をこらえ俯いていると、「大丈夫か? 須藤くん」と背中から盛岡の声が聞こえた。


 ぱっと振り向くが、そこには誰もいない。ナツカの願望が聞かせた幻聴だったのかもしれない。


 半年に渡るプロジェクト。ナツカは自分のすべてを出し切って臨んだ。





 四半期ごとに行われる、役員総出の大会議で、ナツカが心血を注いだプロジェクト完遂の報告が行われた。


「サービスのクオリティの低さに伴う、成果……というところだな」

「まだ須藤くんには早かったんじゃないか? まあ、彼女なりによくやったよ」

「では、このプロジェクトは撤退。ベテランを新任に据えて新規立ち上げるように」


 口々に酷評を垂れ流す経営幹部たち。


 結果はみすぼらしいほどの失敗に終わった。

 もちろんナツカは食い下がったが、それに何の意味もないことは彼女が一番わかっていた。


 会議の結果を待っていたチームの仲間に、報告するのが一番心苦しい。ナツカが震える足と声で結果を告げると、声を殺して涙する仲間たち。ナツカはトイレに駆け込み、鼻をすすりながら打ち上げ会場にと予約していた居酒屋にキャンセルの連絡を入れた。




 あの後、どうやって自宅に帰って来たのか、記憶は朧気だった。

 キッチンから漏れる光だけの暗い部屋で、乱暴に酒を注ぎ一気にグラスを傾けるナツカの顔は、電気のついてない部屋よりも暗い。


 喉から食道を通り、焼けるような熱さが胃に流れた。酔いと絶望で視界と時間が歪んでいく。


 どこが間違っていたのだろうか、いや、どこで間違ったのだろうか。

 プロジェクトが始まったばかりの希望に満ち溢れていた時の光景が脳裏に浮かぶ。やりきれない悔しさに歯を食いしばり、後悔は嗚咽となって口から漏れた。


 入社してからひたすら頑張ってきた。突っ走ってきた。その結果が大失敗。次の人事考課で待っているのは、降格か左遷であることは明白であった。


 ナツカは半分残ったウィスキーボトルに口をつけて一気に飲み干した。まっすぐ座ろうとしても、ふらふらと体が揺れ静止できない。開けようとしても半分も開かない瞼。目まぐるしく押し寄せては過ぎ去っていく二十七年間の人生。


「……お父さんも、こうやって擦り切れていったのかな」


 優しかった父の笑顔と首を吊った苦悶の表情が交互にフラッシュバックする。


 気付くとデザインマンションの梁に延長コードを結び、椅子に乗って首をかけていた。


 ハッと我に返り、コードを首から外そうとした瞬間。

 眼の前には、社長の姿があった。


「なんで社長が――」


 ナツカの両腕を掴み、椅子を手前に引く社長は喜々とした表情で赤く光る目を見開く。


「いい。とってもいい絶望だよ。須藤くん」

「や、やめ……」

「思いとどまっちゃぁダメだ。せっかく絶望のお膳立てをしてあげたんだから」


 社長の体が蠢く。骨がこすれて関節がゴリゴリと音を立てている。筋肉は盛り上がり、引っ張る力に負けた服が音を立てて裂ける。その姿は次第に悪魔のような姿へと変貌を遂げた。


「……悪魔」


 父が自殺したときに現れた悪魔と似た姿形。間違いない悪魔が現れたのだ。


「以前、君が弊社にプレゼンをしに来たことがあっただろう。その時から目をつけていたんだよ、君に。君なら俺好みの絶望に落ちてくれそうでね。だから、君の会社を買収したんだ。ああ、俺の目に間違いはなかったんだねぇ」


 そういうと、悪魔が椅子を蹴り飛ばす。ズンッという衝撃が体を走り、頭が破裂しそうな感覚が襲う。


 首の皮膚に摩擦熱が走り、食い込む延長コードが反射的に出る咳に蓋をする。息ができない苦しさと、目玉が飛び出そうになる痛み。今までに味わったことのない恐怖が体の細胞の隅々までを侵食した。


「ハハハハ、ハーッハッハ……ガッ――」


 もがき苦しむナツカを眺める悪魔の、耳をつんざくような高笑いが止まった。

 悪魔の心臓を背後から貫く別の悪魔の手。次の瞬間、眼の前の悪魔は塵となり、消えた。


 そこに立っていたのは、盛岡だった。彼の右手は悪魔のそれだ。


 盛岡は、ナツカを抱き上げ、悪魔の右手で延長コードを軽々と切断すると。ナツカを床へと下ろす。


「ガハッ ゴホッ……も、盛岡……さん?」


 盛岡の姿は徐々に悪魔へと変化する。この悪魔をナツカは以前見たことがった。


 中学三年の雨の夜、首を吊る父親の胸に右手を刺し、心臓を抉り取ろうとしていた、その悪魔だった。


「あんた……お父さんを……殺――」

「須藤さん。疲れただろう。……今は、眠りなさい」


 盛岡の優しい声がだんだん遠くなり、ナツカは眠りに落ちた。


 翌日、ナツカが出勤すると、社長と盛岡の姿はなく、次の日以降も彼らが出社することはなかった。





『昨日、IT大手EDOソリューションの社員須藤ナツカさん二十九歳が、本社オフィスで亡くなっているのが発見されました。須藤さんは、仕事上でのトラブルと激務に、日々悩んでいて、同僚も心配の声を上げていたということです』



 二年後、ナツカはキャリアアップ転職をしたが、転職先のレベル違いの激務から失敗が続き、思い詰めた彼女は結局、自ら命を絶ったらしい。




 かつて、ゲームには目がなかった俺がゲームをやめた。食欲も無くなった。

 ただ、悪魔のような悪魔が跋扈するこの世界から、あの子を守らなければと思ったんだ。



 だけど、今、俺は無性にゲームがやりたい。ああ、すごろく……でもいいな。

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