プロローグ
俺は学生達を見ながら出勤していた。一見危ない人だが、勘違いしないで欲しい。
暖かくなってから桜が咲き始め、学生たちは皆期待と不安の表情を浮かべながら歩いている。
入学式だ。
もうすぐ魔法使いになる俺には関係の無い話だが、見慣れない学生たちがいるのを見ると新鮮な気持ちになる。気を紛らわせるにはちょうどいいだろう。
会社が見え始め、憂鬱な気持ちになりながら出社する。
「遅ぇぞ佐藤!」
始業時間より一時間も早く出社しているのに上司から遅いと説教される。
この理不尽な会社に十年も務めて頭がおかしくなりそうだ。
いや、もうなっているのかも。
「聞いてんのか!」
殴りかかってくる手を受け止める。機嫌が悪くなるといつもこれだ。
それにしても思っていたよりも受け止めるのは簡単だったな。
「は、離せ!」
こうも狼狽えている姿を見ると今までの事を思い出してイライラする。同じことをやり返してやろうか。
「……部長、営業に行ってきます。」
さすがに手を出すような度胸はない。部長から手を離すと腰を抜かして頷いていた。
少しは懲りてくれるといいが……無理か。
荷物を持って外に出る俺は注目されていた。そりゃそうだ、多分今まで以上に嫌がらせされるかクビにされる。クビならいいのだが。
さて、営業に出ると言ったはいいものの営業先はまだ業務時間外だな。どうやって時間を潰そうか。
テキトーに時間を潰すために俺はコンビニに向かっていた。朝食を抜いて腹が空いたからちょうど良かったかもしれない。
「やばいよ!入学式から遅刻だよ!!」
交差点の横断歩道で信号待ちをしていると、焦った様子の学生が信号を見て止まった。
「早くしろ」と言わんばかりに腕時計と信号を交互に見て、その場で駆け足をしている。
すると少年はこっちを向いて俺に気が着いたのか驚いた。俺は慌てて視線を逸らした。
「おじさん危ない!」
おじさんだと、俺は二十九歳のお兄さんだぞ。失礼なやつだ。
しかし慌てている、一体何があるんだ?
この時、俺は後悔した。少年の指差す方向を見ると大型のトラックがものすごい勢いで突っ込んできている。
ヒーローのように少年を突き飛ばして助けるなんてことも出来ず、俺の意識はトラックに吹き飛ばされた。
「あれ、俺死んでない?」
気がつくと白い不思議な空間を歩いていた。地面は黒くて見えないくらい先まで真っ直ぐ伸びている。
「え、ここどこ。」
状況を理解できない頭を必死に回してみるが、こんな風景の場所は見たことない。
最近よく聞く異世界転移とかいうやつならせめてこんな無機質な世界ではなくもっとキラキラとした世界に飛ばして欲しいものだ。
「おい、どこに行くんだ?」
後ろから声が聞こえる。え、これ日本語だよね、振り向いていいのか分からなくて怖いんですけど。
恐る恐る振り向くと少女が立っていた。黒髪で花柄の着物ってどれだけ昔の女の子か。
「そっちは地獄だぞ?」
地獄ということは、やはり俺は死んだのだろう。てっきり死んだらそのまま天国か地獄に行くものだと思っていたのだが、どうやら違うらしい。
「何をぼうっとしている?早くついて来い。」
手招きをするこの少女について行くしかないのか、せめてもっと天使のお姉さんとかが迎えに来てほしい。迷子にならないか不安だ。
「なにか失礼なことを考えてはいないか?」
やばい読まれていた。
それにしてもなんの説明もない。女神様やら天使が色々説明してくれる漫画でよく見る展開とは違うようだ。
「はぁ、これからお前を地獄に送るか転生させるかを判決する場所へ向かうのだ。」
「やっぱり心が読めるんだな。」
天国という選択肢は無いようだ。
もしかすると、俺は本当に異世界転生させられるのかもしれない。
「阿呆、そんなわけあるか。」
小学生の女の子にアホと言われた。地味にショックだ。
「よし、お前は地獄に送る。」
「待ってくださいお願いします。」
「……あまり失礼なことを言うと本当に地獄に送るぞ。」
真顔が怖い、あんまり失礼なことを言ったり思うのは控えよう。
「ならどうして天国に行くという選択肢がないんだ?」
「魂の数には限度があるからな、正常な魂は再度現世に送っているのだ。」
輪廻転生、つまり魂の使い回しということか。
いやしかし、それはどうなんだろう。
「魂の数が限られているなら地獄に送っちゃまずいんじゃないか?人口は増え続けているし、いつか足りなくなるんじゃ。」
「……そんなこと気にするな。お前には関係の無いことだ。」
「いや気になるんですけど!?」
「ほら着いたぞ。」
無理やり話を進められた、なにか隠し事でもあるのだろうか。
「改めて説明しよう。私は死者を導く者、閻魔だ。」
閻魔とは驚いた。閻魔といえばもっとゴツイおっさんだと思っていたが、こんな小さな女の子なのか。
いや、異世界転生ものだとこういうこともよくあるのか。
「ぐぇ!?」
閻魔を名乗る目の前の女の子は突然俺の腹をぶん殴ってきた。癇癪を起こすとしても急すぎる。
「痛みは無いだろう?」
本当だ気持ち悪い。衝撃が伝わってくるだけで痛みは無い。
現実でぶん殴られれば腹を抑えて蹲る自信がある。
「てかなんで急に殴ったの。」
なんで急に黙る。この子に真顔で見つめられるのは怖い。
ため息を吐くと、分厚い辞書のようなものが空間から出現し、閻魔は中を確認し始めた。
「佐藤というのか、お前は特に罪など犯していない。よって無罪。転生。」
「待てよお前さっきから、人の話を聞け。」
俺が閻魔を制止すると閻魔は渋々俺の質問に答え始めた。
「煩いな、お前が想像していたのは一人目の閻魔様だ。」
何を言っているんだこの子は。なんで殴ったのか聞いたら俺の想像……?
なにか怒ってるな。というか、一人目ってことは閻魔は一人だけではないんだな。
「ゴツくないし小さくもない。」
ゴツいとか小さいって思ったからということらしい。だとしてももっと言い方があるだろ。
「やはり地獄送りにするか。」
「美しいお姉様バンザイ!」
このままだと口を滑らせるどころか考えただけで地獄送りにされる。
(何が「ふん」だよ、ツンツンしてんじゃねぇよ。可愛くな……可愛いですよクソが。)
「そういえば、俺と一緒にいた少年はどうなったんだ?」
「他者の心配か?死んだよ。あそこに居た三人は死んだ。」
三人ということは運転手も死んだということか、居眠り運転だろうな。
「……いや、運転手は首を切り裂かれてあの場に着く以前に死んでいたそうだ。」
「なんだそれ、じゃあ俺たち以外に死んだもう一人って誰だよ?」
また黙ってしまった。何だこの子は、俺の質問に無視をしないと気が済まないのか。
「わからんのだ、少し黙っていろ。」
怒られてしまった。しかし、分からないとはなんだ。少年の所在を知っているということは死者については共有されているということじゃないのか。
「もう一人の担当をしていたはずの閻魔からの報告がないのだ。」
なんだそれは。報連相はしっかりしないと俺の居た会社ではぶん殴られていたぞ。
「……最高神様?」
急に上を向いて一人で喋り始めた。
中高生にあるそういう時期ならば俺の古傷に効くからやめて欲しい。
「そんな、待ってください!そんなの無茶です!」
「うわっ。」
驚かさないで欲しい。急に大声を出してどうしたんだ。
少女は泣いていた。天を仰ぐようにしてから、膝を着いて顔を抑えて声を殺している。
それと同時だろうか、俺が慰める前に俺の後ろに巨大な扉が突然現れた。
「あぁ、もう終わりだ。」
こっちを見てそういうことを言わないで欲しい。
しかし、この子がそんなことを言うということはまずい状況なんだろう。
扉が開き始める。それに比例して閻魔の焦りはましているように見える。
開き切るとまずい気がするが、俺が行動する前に扉が開ききってしまった。
扉が開き切ると物凄い勢いで吸い込まれる。よく分からないが、扉の奥に言ってはいけない気がして俺は踏ん張った。
「いやぁ!!」
悲鳴が聞こえて俺が上を向いた瞬間、少女が俺の顔面に目掛けて飛んできた。
「ヘブッ!?」
その衝撃で俺の足は浮き、少女に押し込まれる形で扉の奥に吸い込まれてしまった。
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