5.遊びの誘い
「大体、音なら骨伝導でいいんじゃないの?なんでわざわざ耳の中に入ってきたわけ?ゾワゾワして大変だったんだけど」
私はソファに腰掛けながら言った。
部屋の隅に置かれた小さな水槽の中では、謎の生き物─いや、それは生き物ではなく、何かのロボットか?─が水中をゆっくりと泳いでいる。
「スピーカーの機能をつけたりするには小さすぎるからね。鼓膜を直接振動させる方が効果的なんだ。音質と秘匿性を考えるとね」
真田の口元に意地悪な笑みが浮かんだ。
「それにしても、アレが耳に入った時の反応は面白かったけどね。『い"っ!?』って。」
彼は私の声のトーンまで真似て、クスクスと笑い始めた。
「うるさい」
私はクッションを彼に投げた。
「大体、あんたのせいで大変だったんだからね!あの後薫子に詰められたんだよ。『不正行為を考えているなら一言相談してほしかったです』ってね」
とはいえ、私の意図するところではなかったし、他の科目は真面目に受験していたので、そこまで叱責されることはなかった。
「ああ。あの隣で受けてたもう一人の高校生のこと?なんで馬鹿正直に言ったのさ。隠しておけばいいものを」
「騙すなんて。そんなの友達じゃないじゃん」
その言葉に、真田は驚いて顔を上げた。
「へぇ、意外。そんな倫理観が君にあったなんてね」
彼の声には、皮肉というよりも純粋な驚きが含まれていた。
「別に」
私は肩をすくめた。
実際のところ、不正行為で切り抜けられるなら、初めから薫子の助けはいらなかったわけだ。
だから出来れば実力で試験を切り抜けたかった。
でも結局は、裏技に頼ってしまったことへの後ろめたさが残る。
真田は椅子に座ったまま足を組み、手のひらを上に向けた。
「それで、本題は?」
「ん?何それ?」
私は缶コーラの最後の一滴を飲み干した。
「まさか、何も要件がないのに上がり込んできたのかい?」
真田の表情は読めなかったが、声の調子から察するに、少し困惑しているようだった。
「あんたに挨拶しに来ただけだけど。ここの拠点は久しぶりだったし」
「・・・随分変わったんだな、君も。ついこの間までは用がある時しか顔を見せてくれなかったのに。まあいいや」
真田は窓から差し込む午後の光を背に、ゆったりとした仕草でそう言った。
確かに以前の私は、必要に迫られた時以外は人との関わりを避けるタイプだったかもしれない。
真田は話題を切り換えるように身を乗り出した。
「ちょうど僕も君に話があるんだった。今からタコパ来ない?桜井の家でやるんだけど」
彼の提案に、私はすぐには返事をせず、まずは重要なポイントを確認した。
「参加費」
真田は一瞬きょとんとしたあと、大きく肩を揺らして笑った。
「タダ」
彼の答えに、私は満足げに頷いた。
財布の中身が心もとない私にとって、「無料」という言葉ほど魅力的なものはない。
「素晴らし。行こう。」
こうして遊びの予定は、わずか数秒で決定した。
部屋を出ようとして、私は突然思い当たることがあった。
スマホをポケットから取り出し、連絡アプリを開く。
画面に表示された最近のメッセージのリストをスクロールしながら、ある名前を探した。
「ねえねえ、蒼真も呼んでいい?」
遊びに誘うなら、人数は多い方が良い。
真田は小さく笑うと、溜息をついた。
「どうせ来ないでしょ、彼」
その言葉には諦めと、少しだけ寂しさが含まれていた。
蒼真の忙しい生活スケジュールは真田も知る所だ。
だが真田の予想に反して、スマホの画面にすぐに返信が表示された。
「『場所は?』って」
「来るの!?」
私はニヤリと笑い、すかさず返信を打ち込んだ。
「『桜井のアパート。20時っと』」
私は部屋を見回し、持っていくべきものがないか確認した。財布、スマホ、鍵。これだけあれば十分だ。
「そろそろ行こうか。お腹も空いたしね」
真田はうなずき、部屋の電気を消した。