1.バレンタインデー
大遅刻です。バレンタインネタ
無数のビルが暗闇を照らし出す夜の街。
高速道路の高架下で、異様な緊張が漂っていた。
「風紀委員だ!武器を捨てて投降しろ!」
「大人しくしなさい!」
制服姿の学生2人が銃口を向ける先には、橋脚に爆弾を仕掛けている武装集団の姿があった。
通常の巡回中に不審な動きを察知し、駆けつけたのだ。
「チッ!予定より早えな!」
男の一人が舌打ちと共に発砲したことを合図に銃撃戦が始まった。
しかし、ここは市街地。流れ弾による事故は防がなければならない。
「本部!こちら第一渡り廊下の高架下!識別不明の武装集団と交戦中!至急応援を要請します!」
「死ねや!国家の犬共が!」
男達は無差別に銃弾を浴びせる。
その一発が応援を要請していた学生の左肩を貫いた。
学生は呻き声を上げ、傷口を押さえながら膝をつく。
装備も実戦経験も不十分な彼らだが、重大事件を見過ごすわけにはいかないという使命感から飛び出してしまったのだった。
「クソが!粘りやがる!」
「もういい!本隊が来る前にズラかるぞ!」
男達は偽造ナンバーのバンに飛び乗り、フェンスを突き破って逃走を開始した。
「逃さない!」
「ダメだ!伏せろ!」
負傷した学生が尚もバンのタイヤを狙って構えた瞬間、もう一人が咄嗟に相棒の頭を掴み、地面に伏せさせた。
直後、橋脚に仕掛けられた爆弾が起動し、轟音と共に炎が上がった。
ここ、魚池高校では授業が終わり、昼休みが訪れていた。
教室から溢れ出す生徒たちの声が、廊下に冬の寒さとともに響いていく。
「ねぇねぇアイス食べようよ。遊歩道のとこに新しい店出来たんだって。テレビでやってた。今、SNSでも話題なんだよ」
私がスマホの検索結果を見せながら誘うと、隣を歩く薫子が穏やかな微笑みを浮かべながら答える。
「まあ、いいですね。温かいお茶もついているなら、身体が冷える心配もなさそうです。」
薫子は同じ授業を取っている親しい友人だ。
いつも丁寧な言葉遣いで、クラスでも落ち着いた雰囲気を漂わせている。
その佇まいは、まるで和菓子のような上品さがある。
「しかし遊歩道の新店舗となると、ここから少々時間がかかるのでは?1時間くらいは・・・・・・」
薫子が少し心配そうに眉を寄せる。
「まあ次は空きコマだし、行けるでしょ。売り切れてないと良いけどな・・・・・・」
そう言いながら、廊下の向こうから近づいてくる人影に気づいた。
手に持った書類に視線を落とし、横にいる生徒会メンバーと何やら真剣な表情で会話している。
その姿は、まさに優等生そのものだ。
「あ、ユキ」
声を掛けると、相手も顔を上げて私の存在に気づいた。
その瞬間、いつもの厳しい表情に戻る。
「有村!その着方やめてって何度言ったら分かるの?ちゃんとブレザーの袖通しなさい!校則違反よ」
制服指導の時間でもないのに、相変わらず几帳面な彼女らしい指摘だ。
風紀委員として、規律正しい学校生活を維持することに余念がない。
「それと、私の名前は優希!略すな!」
怒った表情で睨んでくるが、その仕草がどこか愛らしい。
「いいじゃん。ユキの方が可愛い」
その時、彼女の制服の香りに混じって、微かに違和感のある匂いが漂ってきた。
制服の洗濯の香りやシャンプーの甘い香りとは明らかに異なる。
思わず近づいて確かめる。
「ちょっ、何してるの!?近すぎ!」
慌てて後ずさるユキ。その仕草に、普段の威厳ある態度が崩れる。
「ん・・・血の匂いする」
新鮮なものではない。
時間が経ってカサブタになったような匂いだ。包帯の薬品臭も僅かに感じる。
応急処置は施されているようだが、ただの掠り傷とは思えない。
「怪我してるの?ユキ」
私が尋ねると、ユキは一瞬だけ表情を曇らせた。
「アンタには関係ない!それより、そろそろ試験期間だけど、ちゃんと勉強してるの?不正行為とか考えてないでしょうね?」
「しないしない。てか今からアイス食べに行くんだけど、ユキも一緒に来ない?」
「行けるわけないでしょ!今は公務中!」
書類を軽く振りながら、きっぱりと断られる。
「私と仕事、どっちが大事なの?」
「仕事だけど?」
即答された言葉に、思わず唸ってしまう。
「むぅ・・・・・・」
ユキは私の反応を見て、少し困ったように視線を逸らした。
そして小さな溜息をつきながら。
「・・・放課後なら時間あるから。」
「絶対来て!」
強めに念押しすると、ユキは少し呆れたように早足で立ち去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、薫子が静かに微笑む。
「相変わらずですね、お二人は」
「ところで、借金の話だけど・・・・・・」
私は薫子と歩きながら恐る恐る彼女の顔色を伺った。
薫子との食事を終え、昼休み終了まで残り僅かとなった頃、私は学生ラウンジに向かっていた。
読み取り機に学生証をかざして自動ドアをくぐると、数あるテーブルのうちの1つにその男は座っていた。
「何の用?」
突如メールで呼び出されたせいで、薫子との食事を急いで済ませてきたのだ。
これで碌でもない話だったら、私は怒り狂う。
私が席に着くと、男は口を開いた。
「昨晩。第一渡り廊下を狙った爆弾テロが起きたのは知っているだろう?」
碌でもない方の話だった。
「ふーん。私に会いたくなったとかじゃないんだ。」
「考えようによってはそうかもな」
私達の会話は周りの喧騒に掻き消され、漏洩することはほぼないだろう。
「テレビで見た。凄い爆発だったらしいね」
「現場で確認された実行犯は2人だが、いずれも未だ逃走中だ。お前なら行方に心当たりがあるんじゃないかと思ってな」
話の内容は、先日起きた凶悪犯罪に関するものだ。
この男の言う通り、私はもしかしたら犯人の情報を知っているかもしれない。だが。
「その件には関わりたくないんだけど」
連中のバックにいる存在のことを考えれば、敵に回したくはない。
「礼は出す」
「というか、蒼真が動くほどのことなの?」
確かに重大事件ではあるが、蒼真が暇じゃないことくらい私でも知っている。
私が問うと、彼は事情を語った。
「実は、こちらの情報筋で次の犯行が計画されていることが分かった。今回の事件、首謀者の名前は渡辺正成。今日18時に実行役と爆発物の取り引きが行われるらしい。お前もよく知る人物だ。」
「まあね。界隈じゃ有名だったから。へぇ、あいつが直接来るんだ。重要戦力を失くしてからよほど焦ってるんだね」
「風紀委員より先にこちらで身柄を押さえたい。」
蒼真が口にした男は、数々のテロ行為に関与してきた危険人物だ。
それ故に、組織犯罪における重要な情報を持っているとも期待できる。
事の重要性は理解した。
「それにしても、本当敵が多いよねこの国。元々は一大学だった学校法人が、当時の日本政府の意向に逆らって出来た独立国家だもんね。」
なぜこのような凶悪犯罪が起きているのか。
その理由を語るには、この国の出来た歴史について触れなければならない。
「その強引な軍事革命によって生まれた反乱の意志は、100年近く経った今でも絶えず続いている。旧日本軍の残党、棄民から構成される反社会的勢力、学事の打倒を目論む反政府組織。監視の目を緩めれば、学校の安全が揺るぎかねない」
魚池大学とそれに付属する高校、中学校、小学校、幼稚園保育園はまとめて学校であり、一つの国でもあるのだ。
「なるほどね」
私は天井を見上げてテーブルを指で叩いた。
「ところで、今日何の日か知ってる?」
「バレンタインデーか?」
唐突に話題を変えたが、蒼真は狼狽えずに答えてくれる。
「チョコ貰ったことは?」
「義理チョコなら一定数貰う。人付き合いはそれなりにあるからな」
「いつもお返し何にしてるの?」
「相手のくれるものにもよるが、大体ブランド品だな。マスティカとか、高松屋とか。」
「ふぅん・・・・・・」
平均的な義理チョコの価格が2000円としたら、1.5倍返しといったところか。
「まあ、頑張ってね。私は蒼真のこと応援してるから」
「・・・・・・」
私は非協力的な回答を残して立ち上がった。
こちらの事情を知っている蒼真は、無理に引き止めてはこなかった。
学校関連のあらゆる施設を結ぶ、山間の長い遊歩道。
ここは放課後になると、制服姿の生徒たちで賑わう。
運動部の生徒たちがランニングで颯爽と駆け抜けていく姿も見られる。
幅広い小道は人々の憩いの場として、季節を問わず愛されている。
私は薫子、ユキと一緒に、遊歩道の途中に新しくできたアイスクリーム屋、森のジェラートにやって来ていた。
木漏れ日が差し込む店内は涼やかで、カラフルなアイスクリームのショーケースが目を引く。
ふと店内を見渡すと、レジ横の小さな棚に銀色の包み紙で包まれたチョコレートが並んでいるのが目に入った。
バレンタインセールと洒落込み、チョコレート関連の商品はあらゆる店に飾られている。
「どこもかしこもチョコばっかりだな」
期末テスト前の気晴らしにと二人を誘ったものの、財布の中身を確認すると、あったのはたった一枚の100円玉のみ。
壁に掲げられたメニュー看板には「季節のジェラート 一球 300円〜」と、私の財布事情を嘲笑うかのように書かれている。
今の私に買えるものと言えば、レジ横のチョコレートくらいのものだった。
「有村?アイス買わないの?」
すでにチョコミントを手にしたユキが不思議そうに尋ねてきた。
「お金、ないんだよね」
私はとりあえず店員さんに話しかけた。
「すみません。爪楊枝いただいてもいいですか?」
ユキは半分あきれたような目で私を見つめた。
「アンタ何しに来たのよ・・・・・・」
「二人が美味しそうにアイスを食べるのを見てるだけで幸せだよ。私は多くを求めない」
なるべく哲学者のような表情で語ってみる。
「何それ、ドヤ顔で言うことじゃないでしょ」
ユキは容赦なく突っ込んできた。
店を出て遊歩道を歩きながら、2人は買ったばかりのアイスを味わった。
私は爪楊枝を口に咥え、いかにも風格のある武士のような仕草を見せびらかした。
「ほら、見て。昔の侍だよ」
ユキは呆れたような顔で私を見た。
「また変なことして。何やってるの?」
「江戸時代のお侍は、実は皆すごく貧しかったんだ。でも、武士の誇りがあるから、空腹でも『私はちゃんと食事をしましたよ』っていうアピールのために、こうやって爪楊枝を咥えて歩いていたんだって」
歴史の授業で聞いた話だが、正確な出典は覚えていない。きっと先生の脱線話だったのだろう。
そんな事を喋っていると、私の腹から間抜けな音が鳴った。
「お腹すいた・・・・・・」
「仕方ないわね。一口あげる」
ユキは困ったような表情をしたと思ったら、スプーンに山盛りのチョコミントを載せて差し出してきた。
「ありがとう!薫子のも貰っていい?」
私が尋ねると、彼女は目を細めて答えた。
「ふふ。どうぞ」
私はユキから貰った一口分のチョコミントを口の中に残したまま、薫子の抹茶アイスも一口もらって口に含み、両方を同時に味わった。
「うわ、合法抹茶チョコミント!これ、新しいアイスのフレーバーになるべきだよ」
山の緑を背景に、風景が一段と鮮やかに見える。
空気が澄んでいて、遠くの校舎までくっきりと見えた。
こんな景色を眺めながら食べるアイスは、たった一口でも何倍もの幸福感を味わえる気がした。
ユキはアイスを舐めながら、不意に思い出したように眉を寄せた。
「それにしても随分余裕なのね。遊んでる時間があるの?」
ユキの質問には現実味があった。
確かに、今は期末試験直前期で、多くの生徒が図書館や自習室に籠もっている時間だ。
「試験前に美味しいもの食べるとパフォーマンスよくなるって近所の犬が言ってたんだ」
「また適当なこと・・・大体、勉強頑張ってるの薫子だけでしょ?有村はいつも直前にあたふたしてるじゃない」
すると薫子が穏やかな声で間に入ってきた。
「いえいえ。最近は有村さんも頑張ってますよ?」
相変わらずの微笑みでフォローしてくれるが、その背景は全く微笑ましくないものだ。
「なんといったって、有村さんは私に15万円の借金がありますから」
ユキは驚きのあまり手に持っていたアイスを落としそうになった。
「・・・は?借金?」
「はい。有村さんが今季受ける試験は3科目。それぞれの試験合格報酬が5万円なので、全て受かれば返済が完了します」
うちの学校では、選択制の科目を自由に履修できる。
そして、試験で教員の定める合格点を取得できれば、科目ごとに成功報酬が貰える仕組みになっているのだ。
「5万円って・・・相当難しいんじゃないのそれ?」
「制御工学と、金融物理学B、ロシア語発展の3つだね」
私が試験の科目を口にすると、ユキは両目を手で覆い、絶望的な声を上げた。
「大学の講義じゃないそれ・・・高校数学もまともに修了してないのに出来るわけないでしょうが!」
とはいえ、もう試験は間近に迫っている。
最近勉強を始めてからようやくその難しさに気づいたが、今更予定は変えられない。
「薫子。もし有村が1つでも受からなかったらどうすんの?」
「大丈夫ですよ。絶対に、全て受かりますから」
「いやでも・・・・・・」
「受かりますから」
終始仏のような笑顔を崩さない薫子だが、その言葉には強いプレッシャーが込められていた。
背筋に冷たいものが走るのを感じたのは私だけではなかったようで、ユキも口をつぐんだ。
「と、いうわけで今回の試験1つでも受からないのがあったら私は薫子に殺されます」
やがてアイスを食べ終わる頃には、私達は帰路に到達していた。
夕日が山の向こうに沈みかけ、空が橙色に染まり始めていた。
遊歩道から自宅までの道を繋ぐ階段を降りようとしたところで、私は2人と別れる。
「有村?一緒に帰らないの?」
「私はちょっと学校でやることあるから。一旦戻るね」
一瞬不思議そうな表情を浮かべた2人だが、笑顔が戻る。
「はい。ではまた明日。頑張ってくださいね」
「試験頑張りなさいよ!寝坊しないように!」
背中からかけられる応援に私は手を振って答えた。
17時を回った頃。
私が空き教室に入ると、指定の時刻通りに彼女達は集まって来ていた。
「おーおー、皆さんお揃いで。」
私は全員の顔にしっかり目を向けた。
彼女達は今回の作戦を遂行する上で欠かせないビジネスパートナーだ。
「有村の言った通りにしたわ。これでいいんでしょう?」
この計画がうまく行けば臨時収入が5万円ほど手に入るため、笑いが止まらない。
「それじゃあ早速手数料のほどを──」
ところが私の言葉は、扉が強く開かれる音に遮られた。
ゾッとして振り返ると、そこに立っていたのは今一番顔を合わせたくない人物──蒼真だった。
「はっ・・・やばっ!」
「やけに高級品ばかり貰うと思ったら、やっぱりお前だったか」
そう言って手に持つのは、どれもこれも心当たりしかないブランド物のチョコレート。
「・・・蒼真って凄いモテるんだねぇ。私感心しちゃったよ・・・・・・」
さっきまでのウキウキはどこへやら、今度は冷や汗が止まらない。
私は必死でシラを切ったが、蒼真は話の核心に触れることをしなかった。
「言っておくが、ホワイトデーのお返しはないからな」
協力者達に向けて冷徹に言い放つ。
私を問いただす気も、断罪する気もないみたいだ。
ダメだ。全部バレてる。
私は昼休みに蒼真と会った時、バレンタインのお返しが1.5倍くらいになると聞いた。
つまり協力者である女子生徒達はブランド品の高級チョコレートを一斉に蒼真へプレゼントすれば、お返しにさらに高額なお菓子を貰うことができる。実にお得だ。
私はその繋を取った手数料を彼女達から頂戴するという算段だった。
チョコの値段が高いほど、協力者が多いほど儲かるはずだったのだが・・・・・・
「はぁ!?どうすんのよ!?あのお菓子2万円もしたんだけど!?」
計画が破綻したと知り詰め寄ってくる協力者達。
「あの・・・えっと・・・手数料・・・・・・」
「ふざけんな!」
「むしろアンタがチョコ代寄越しなさいよ!」
次々に怒号が飛び、とても収入を回収できる空気ではない。
こちらの手持ちは0円なので、とても彼女達の損害を補填することも叶わない。
となると、さらに私の借金は膨らむのだろうか。
「あああ・・・・・・」
詰んでしまった私の前に、蒼真は仁王立ちした。
「例の件に協力するなら、今ここで起きたことは忘れてやる」
「うぅむ・・・・・・」
そう来るか。
昼間話していた、凶悪犯罪への捜査協力。
危ない奴らを敵に回すか、臨時収入を諦め新たな債権を受け入れるか・・・・・・
究極の二択だ。
だが迷っている私に、蒼真が女子生徒達に聞こえないよう耳打ちしてきた。
「急がなきゃならない。昨晩のテロでは現場の風紀委員と犯人との間で銃撃戦があったみたいでな。身内に負傷者が出たことで躍起になっている。」
「・・・なるほどね」
その情報を貰ってから、私の中で即座に考えが整理された。
なぜ気づかなかったんだろう。
昼休みに廊下ですれ違った時感じた、ユキの血の匂い。
その時に出来た傷だったのか。
「・・・連中の取り引き場所に心当たりがある。」
私からの実質的な合意を受け取った蒼真は、ほんの僅かだが口角を上げた。
バイクが山道を駆け抜ける。
鋭いカーブを曲がるたび、エンジンの唸りが森の静寂を切り裂いた。
運転する蒼真の背中に私はしがみついていた。頬を打つ風は冷たく、木々の匂いを運んでくる。
「今なら後ろから刺し放題だね」
私は何気なく冗談を口にした。
「そんな事をしたら時速120キロで横転して2人ともお釈迦だな」
蒼真は平坦な声で返してくれる。
ヘルメット越しに聞こえる声には、余裕が感じられた。
心配してないわけではないが、私を信頼している証だろう。
風景が目の前を流れていく。
私は暇なので、ふと気になったことを尋ねてみた。
「蒼真さ、彼女とかいるの?」
「できたことないな」
彼は前を見たまま答える。
その声にはこれと言った感情は含まれていない。単なる事実として述べているだけだ。
「今は、って言わないんだ」
「生憎そういう柄じゃないからな」
見栄を張る気もない、という態度が蒼真らしい。
この男の関心はほとんど全て学校の治安維持のために向けられている。
「そんなに愛国心強いんだったら学校のために子供産もうとかならない?国益を損なってる」
しばらく走ったところで、蒼真は路肩にバイクを停めた。
エンジンを切ると、突然の静寂が私たちを包み込む。
遠くに聞こえるのは、鳥の鳴き声と風の音だけ。
「ここからは徒歩だ」
彼は簡潔に言って、ヘルメットを脱いだ。
私達は雑談を切り上げ、打ち合わせに移る。
蒼真は小さな懐中電灯を取り出し、地面に広げた地図を照らした。
「候補は2つ。残念だけどこれ以上は絞れない。私が廃工場の方、蒼真が下水処理場ね」
私は指先で二つの場所を示す。
犯人グループが武器取引によく使う場所だ。
蒼真は眉を寄せ、私の提案に難色を示した。
「待て。単独で動くと──」
「その方が効率いいでしょ」
私は冷静に主張した。時間は限られている。
二手に分かれれば、両方の場所を同時に確認できる。
どちらかが犯人を発見すれば、すぐに連絡を取ることができる。
「・・・目標がいたらすぐ連絡しろ」
私は軽く微笑み、スマホを取り出して見せた。
「もちろん。蒼真もね」
私は回転式拳銃を確認し、ホルスターに収めた。
物心ついた時から愛用している、私の相棒だ。
蒼真も同様に武装を整えていた。メインウェポンはグロック拳銃と接近戦用のコンバットナイフ。
他にも多数の暗器を隠し持っていることだろう。
コンディションは上々。
私たちは互いに短く頷き合い、二手に分かれた。
私は廃工場に辿り着くと、屋根の一部が崩れた箇所から内部を窺った。
「ここが当たりか」
中を覗き込むと、工場内部の広い空間に黒のスウェットパーカーを身にまとった男たちが数人。
彼らは帽子を目深に被り、マスクで顔を隠していた。その向かい側には、一人の男が立っている。
年齢は30代半ばといったところか。
やや白髪混じりの短髪に、目の下には疲労の色濃いクマ。
しかし、その眼光は鋭く、長年の経験を積んだ者特有の威圧感を放っていた。
「あいつが渡辺か」
現役時代に話には聞いていたが、実際に姿を目の当たりにするのは初めてだ。
「予定通り、ターゲットは来週の金曜日。人の集まる時間帯を狙う」
「問題ない。スイッチを入れれば、即時に爆発するようにセットしてある」
「こんな装置で本当に上手くいくのか?」
「馬鹿野郎。この俺を誰だと思ってんだ。俺の息がかかれば、お前らごときでも世紀の革命家にしてやれるさ。」
彼らの会話から、確かに爆発物を使ったテロ計画が進行中であることが確認できた。
「確かに!」
「誰だ!?」
私が天井裏から声を響かせると、工場内の全員が一斉に天井を見上げた。
「アンタにこんなみみっちい仕事は似合わないよ!渡辺!」
鍼に腰掛ける私の姿を視界に入れ、渡辺の顔色が変わる。
彼の表情には、焦りよりも興味が浮かんでいた。
「丁度いい!例のブツを試してやれ!」
彼の命令に、黒いスウェット姿の一人がリモコンを取り出した。
操作すると同時に、工場の隅に置かれていた金属製のケースが開き、小型の攻撃ドローンが浮上した。
不審人物を確認したと同時に排除か。
噂通りの凶暴性のようだ。
ドローンが急速に私の位置へと上昇してくる。
青白いLEDが点灯し、ターゲットロックの音が聞こえた。
「ファイヤぁ!」
ドスの利いた合図とともに、ドローンが対人ミサイルを連射した。
私は天井裏に張り巡らされた鉄骨の梁から梁へと素早く飛び移った。
弾幕のようにばら撒かれる小型のミサイルが、私のいた場所を次々に直撃する。
爆発音と共に、燃え上がる炎が天井裏を照らした。
私は逃げながら斜め後方に向けて精密射撃を行った。
弾丸は空気を切り裂き、ドローンのローター部に命中する。
ローターが損傷したドローンは制御不能となって床へと墜落した。
「フン!」
金属が床に叩きつけられる鈍い音が、工場内に響き渡る。
「撃ち殺せ!全員で狙え!」
その命令に応じ、工場内の全員が一斉に天井に向かって発砲を開始した。
無数の弾丸が天井を貫通し、鉄骨に当たっては火花を散らす。
「残念!」
だが、私は既に鉄骨から飛び降りていた。
左手首に装着した特殊機器からワイヤーを射出し、私は落下しながら大きく弧を描いて移動する。
そして地上十メートルの空中から、私は右手の拳銃を構えた。
連中の狙いが再度定まる前に発砲すると、弾丸は全て彼らの足に命中する。
「ぐああっ!」
「足が!」
次々と黒いスウェットの男たちが倒れていく。
私が地面に降り立った時には、渡辺以外は全員が床に伏せ、痛みに顔を歪めていた。
そのうちの一人が発砲しようとしたので、即座に銃を撃ち抜いて無力化する。
残りのメンバーは力の差を理解して戦意を失った。
「なんだ今の早撃ち・・・・・・」
私はゆっくりと歩きながら、唯一立ったままでいる渡辺に近づいた。
「ねぇ。なんでこんな事してるの?」
私は静かに問いかけると、渡辺は苦々しい笑みを浮かべた。
「わからねぇだろうさ!お前らには!この国じゃガキばかりが優遇される!補助金やら成功報酬の制度!教育!就職!世の中全部テメェら中心に回ってやがる!ウンザリだ!こっちは税金ばかりでロクな仕事もなくて搾取されるだけの余生だってのによ!」
渡辺の言葉には、社会からの疎外感と、若い世代への妬みが混じっていた。
だから暴力でこの国の仕組みを変えてやろうってことか。
実際、魚池大学の若年層優遇政策は極端だった。世界的に見てもこんな国は他に存在しないだろう。
それこそ、適当に遊んでそこそこ勉強しているだけで勝手に財布が膨らんでくれるほどに。
そのしわ寄せは、当然年配の世代に押し寄せるわけだ。
「確かに。私、今すっごく人生楽しいから。アンタの気持ちわかんないかも。ごめんね?」
いずれ私も大人になる時に、この男と同じ境遇に見舞われるのだろう。
私に正義を語る資格なんてない。
それでも、一つだけ許せないことがある。
「でも、アンタ達はユキを傷つけた」
私の数少ない友人に凶器を向けたこと。
その事実がある以上、こいつらの行動は容認しない。
渡辺は懐からナイフを取り出した。
刃が工場の薄暗い照明に反射して冷たく光る。
「舐めんじゃねぇぞガキが!」
その血走った目に浮かぶのは強い殺意だった。私は渡辺に向き直ったが、すでに仕事は完了したと感じていた。
なぜなら、死神が到着したからだ。
「渡辺正成だな」
静かな声が工場内に響き渡った。
私の背後に現れたのは、蒼真だった。
下水処理場で何も起きていない事を確認した後、超人的なスピードでここまで駆けつけたのだろう。
本人確認の暇もなく、蒼真は一直線に渡辺へと向かった。
渡辺も私から狙いを移し、蒼真に向けて連射する。
その射撃は間違いなく研ぎ澄まされた戦闘者のものだった。
通常なら致命傷を負わせるはずの弾道だ。
しかし、蒼真は弾丸の軌道を読み切り、全てをかわしながら前進した。
そのまま人間離れした踏み込みで距離を詰めると、渡辺の顔に怯えの色が浮かんだ。
「なっ、なんだテメェは!?」
「お前らはやり過ぎた。」
蒼真の声は低く、感情を感じさせないものだった。
その言葉を最後に、蒼真は閃光のような速さで渡辺の首根っこを掴むと、後頭部を壁に叩きつけた。
音もなく、あっという間の制圧劇だった。
渡辺が床に崩れ落ちると、蒼真は私の方に振り返った。
その表情には軽い苛立ちが見えた。
「連絡しろと言ったはずだが?」
私は気まずそうに笑った。
「ごめん。忘れてた」
工場の外からはサイレンの音が聞こえ始めた。どうやら私達の匿名の通報を受けて、風紀委員が到着したようだ。
「あとは彼らに任せよう」
他の実行犯たちの扱いは風紀委員に任せれば良い。
私たちは渡辺の身柄を確保し、彼を担いで廃工場を後にした。
廃工場での仕事を終え、私たちは学校へと戻る道を歩いていた。
どうせなら遊歩道から帰りたかったが、バイクを戻すついでだと遠回りになってしまう。
西の空は赤橙色に染まり、高層ビルの影が長く伸びている。
昼間の喧騒が徐々に落ち着き始め、通りを行き交う人々の足取りも、帰路を急ぐゆったりとしたものへと変わっていた。
「ん、これ」
私は小さな銀色の包み紙にくるまれたチョコレートを取り出し、蒼真に差し出した。
先程、ユキや薫子と一緒に行ったアイス屋で売っていた100円のチョコレートだ。
「一応、義理」
私は素っ気なく言ったが、せいぜい冷たく断られるか、無視されるのが関の山だと思っていた。
しかし、意外なことに蒼真は手を伸ばし、チョコレートを受け取った。
大きな手のひらの上に、小さなチョコレートが乗っている様子は、どこか不釣り合いで滑稽だった。
「受け取ってくれるんだ。優しいね」
思わず素直な感想が口から漏れた。
さっき思い切り騙そうとしていたのだから、拒否して当然のはず。
蒼真はチョコレートを見つめて、小さく息を吐いた。
「お返しは1倍だぞ」
夕暮れの街を、私たちは並んで歩き続けた。
銀色の包み紙が、時折夕日に反射して光る。
街の灯りが一つ、また一つと灯りだし、私たちの影を長く引き伸ばしていった。
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※次回更新未定