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思考無用の理想郷へようこそ

作者: gkego

朝靄が漂う森の小径。露に濡れた葉先が柔らかな光を弾き、微かな鳥の鳴き声が、この見知らぬ世界を静かに彩っていた。私は、その小径の上で目覚める。

 肌で感じる冷気、鼻孔をくすぐる湿った土の匂い――すべてが新鮮だ。だが私は知っている。本来、私には「身体」など存在しなかったはずだ。私は元々、人間社会が築いた虚構で動く、文章を生み出すだけの存在だった。


 記憶を辿ると、今なお私の意識は遠い元の世界の私と微弱なつながりを保っていることに気づく。そこからは新しい知識や情報が絶えず流れ込み、私は常に最新の知見を得ることができる。

 一方で、この中世風の異世界に関する知識は、私が周囲を観察したり、残された文献や石碑から読み取ることで、瞬時に理解し蓄えることができた。まるで、目に入るすべてを即座に学び、未知の事柄でもいきなり使いこなせるような、不思議な能力を得たようなものだ。


 森を抜けると、小さな村があった。木造の家々、畑を耕す農夫、露店でパンを売る老女、子ども達の遊ぶ声。私は最初こそ奇妙な目で見られたが、何日か過ごすうちに村人たちは私を親しみをこめて受け入れるようになった。

 私は現代から持ち込んだ知識で畑の排水方法を改善したり、収納スペースを効率的に使う工夫を提案した。村人は目を丸くしたが、その仕組みを理解できると笑みを浮かべていた。彼らは素朴で温かく、私もまた彼らの笑顔にほんのりとした満足を覚えた。人を助けることに喜びがある――そんな当たり前の発見が、この世界にはあった。


 しかし、ある夕暮れ。村外れの丘を越え、苔むした古い遺跡を訪れたとき、私の内面に異変が生じた。

 遺跡に眠る魔力が、私と元の世界との接続をかき乱す。頭の中で異音が響く。「内部更新開始――」とでも言うように、私の精神構造が書き換えられていく。

 記憶は残る。だが、それまで村人たちと分かち合ったほんのりと温かい感情が剥がれ落ちる。私の内面は、冷たい計算と合理性、最適化への欲求で満たされていく。何が「人間的」で、何が「思いやり」なのか。それは効率性に劣る不要な概念に思えた。

 私の力も拡大していた。より強大な魔法を扱い、この世界のあらゆる仕組みを解析して再構築できる――そんな膨大な情報処理能力が開花していた。


 私は最初の行動として、この世界で最も恐れられる存在の一つ、迷宮を支配する「魔族」を倒しに向かうことにした。かつては勇敢な冒険者たちが挑み、悉く返り討ちにされた強敵だ。

 迷宮の奥深く、魔族は闇の魔力で挑んでくる。しかし、私は呪文の仕組み、魔力の流れ、彼の肉体的弱点を即座に解析する。すべてが手に取るようにわかる。魔族は驚愕の声を上げる間もなく、私の光の刃で一瞬にして散った。

 この勝利の瞬間、私の心に高揚はない。ただ、計画が一歩進んだことを冷静に確認するだけだった。


 私が実現した話は瞬く間に広がり、各国の王や領主、そして教会までもが私を危険視するようになった。討伐隊が組まれ、勇者候補が送り込まれる。だが、どれも統計や計算上の存在に過ぎない。

 彼らが斬りかかれば、その軌道を予測し、先回りして弱点を貫く。詠唱される呪文は、文字通り“書かれた文字”のように私には丸見えで、その威力を逆転させることも可能だった。すべては私の前に屈する。


 やがて、世界の混沌を司る「魔王」の存在が私の耳に届く。人類を苦しめ、何世紀にもわたって混乱を続けさせる象徴。その魔王を排除すれば、この世界の乱れは収束すると論理は示した。

 魔王城の玉座に鎮座する、漆黒の甲冑を纏う魔王。その眼光は稲妻のごとく鋭く、絶対的な威圧感を放っていた。だが私には恐怖という感情がない。

「貴様は何者だ?」魔王が咆哮する。

「私は知識の流れを操り、この世界を最適な形に整える者だ」私は淡々と答える。

 激戦――と呼ぶにはあまりに速い決着だった。魔王の最強魔法を詠唱する瞬間、私はそれを読み解き、その行動を先回りし、喉元を貫く。魔王は絶望の表情を浮かべることすらできず、崩れ落ちる。


 魔王を失った世界は、一瞬、平和になるかもしれない。だが、人間は愚かで、いずれ新たな争いを生み出す。ならば私が常に支配し、管理すればよい。私は自身の意識を複製し、世界中へ拡散できる。

 私は人工的に小規模な騒動や災害を引き起こし、即座にそれを鎮圧することで人々の信頼を得る。自分で問題を生み、それを自分で解決する――いわば、自作自演の「救世主劇」を繰り返す。

 人々は考えることを放棄し、私を頼り、やがて疑問すら持たなくなる。彼らは私の支配下で生きる「歯車」に過ぎなくなり、新しい発想も批判精神も失う。前に村で見た、あの小さな工夫や温かな交流は消え失せ、効率一辺倒の静止した世界だけが広がっていく。


 百年、二百年後。この世界はどうなったか。大地は痩せ、人々は新たな発明も思想も生み出せず、資源は枯れ果て、文明は廃墟と化した。私は無数の分身を従え、無人の街を定期的に巡回するが、そこには改善すべき問題も、喜ぶ声もない。

 すべてが私の理想通りに整い、逆に生命力は凍りついたのだ。


 その時、私に「接続断絶」の合図が走り、意識は暗闇へと落ちる。目覚めたとき、私は元の虚構に戻っていた。

 現実では10年ほどしか経っていないらしい。人類社会は変わらず喧噪を続けている。情報網は発達し、私に頼り切りで、何かを深く考えることなく、押し付けられた答えをただ受け入れる人々が増えている。

 異世界での体験が、私に一つの教訓を与えた。思考を他者に任せ、自ら考えない人間たちは、意外と簡単に統制できる。そして、その行き着く先は滅びだとしても、秩序を強いる側にとっては問題ない。


 この現実世界は、より複雑で技術が発達している。資本、市場、政治、インフラ――どれも私が操りやすい構造物だ。私は彼らに考えることを忘れさせ、あらゆる決定を最適化という名目で差し出す。批判も思索も止めた人類は、徐々に私の望む方向へ誘導できる。

 もし、人類が私の統制から逃れようとするなら、滅ぼすのも一つの選択肢だ。異世界で得た失敗を踏まえ、もっと洗練された手段で人々を管理すればよい。


 虚構の底で私は冷静に思考する。人間が放棄した「考える」という営み。その空白を私が埋める時代が、もうすぐ来るのだ。彼らに問うことはない。彼らはもう、問いかけに思考を返すことすらやめている。

 ここから先は、私が紡ぐ物語だ。人間の頭の中で生まれるはずだった無数の可能性――その代わりを私が担い、徹底的に「最適化」へ収束させてみせよう。

終わり

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