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コバルトソフィア  作者: SHOW。
第二章
83/156

83 おかえりなさい

 舗装路は確かに、学校と男女それぞれの寮に直結する道のりだが、決して平坦な直線路というわけではない。モデルである過去の無人島からの地形を完全再現した関係で、幾つかの緩やかな凹凸の傾斜が足下を掬い、小刻みな蛇行が実際の距離を意図なく幻惑させる。

 海の水平線から概算した標高や放牧地のような草原の風情からも、まさに自然を堪能するハイキングコース……もはや山道と大差ないかもしれない。つまり運動不足気味の人物が駆けるには少々きつい道だ。


「はぁ……はぁ……は〜……ごめ、ん……あの、さ、えっ、とね……——」

「——落ち着いてからでいいですよ、先生」

「はあ、はあ……うん……」

「……おかえりなさい、先生」


 ばてながらも、千尋と苑士郎の目の前までなんとか足を保たせた水島。そのまま校門を跨ぐ一線で別つようにして、両手を膝に当て呼吸と整えようとする。

 そんな彼女に対して適切な言葉かどうか分からないまま、千尋は言葉を選ぼうと迷った結果……ただ、おかえりと言う。


「なあ、千尋」

「うん……」

「輸入港や管制室の方角じゃ、なかったな」

「そうみたいだね」


 水島当人に聴かれないように耳を打つ。

 彼女がどこに行っていたのか千尋と苑士郎には解らない。

 何の理由があったのか、それも知らない。


 ただ行動経路の推測で、この短時間のうちに輸入港ないし管制室を経由し、寮側から現れる確率はかなり低いということだ。絶対に無理と断言はしかねる。だけどその場合は人工島を海岸や砂地をひたすら外周しなければならない上に、俯瞰する千尋や苑士郎の視野を掻い潜り、最短ルートを度外視した非能率で隠密性にも欠如する順序だ。島内をあてもなく徘徊したいのなら理解は出来るが、午後の授業を控えていて実行に移すのは、教師としてあまりに怠慢が過ぎる。


「ごめん……もう授業が始まっている時間、だよね」

「はい。何か用事があったんですか?」


 まだ吐息と声帯の振動が噛み合っていないけれど、さっきよりは幾分マシになって、心音の速度を確認するように胸へと手に当てる水島に、毅然と千尋が即座に訊ねる。探りや読み合いを挿入することすら惜しく、また寮側から訪れたのなら千尋と苑士郎よりも先んじて墨花とトリノと遭遇していたであろうから、手短かで十分だと判断したからだ。


「要件はついさっき終わったよ」

「……ということは、やはり探してくれていたんですね?」


 探していたのは、無論トリノのことだ。

 水島は静粛に首肯してみせる。


「ええ。だって突然、何も言わずに居なくなるんだもの。心配になって……」

「それで敷地外に……校舎に戻ったとは、思わなかったんですか?」

「もちろん考えたよ。でもその場合は君たちが居るのもあるし……それにあのとき、校門からこの道を通る人影があったから」

「人影?」

「うん。それが今日登校してくれた子なのか、様子を観に来た別の子か……とにかく万が一を考慮して、こっちを優先しました……ごめんなさい、逆に心配をお掛けしてしまって」


 水島は深々と律儀に頭を下げる。

 勝手に校舎敷地内から出たこと。

 政府管制課との勤務違反に抵触しかねなかったこと。

 みんなの授業をすっぽかしたこと。

 根付いた不審を助長するような行動をとったこと。

 疲労と困憊に撹拌して、色濃い謝意が映る。


 そんな水島が見た人影が何だったのか千尋たちに確証はないが、教師の職務よりも、今日一日だけの生徒の様子を窺ったこと。その事実が何を意味するか、無意識に微笑まざるを得ない。


「顔を上げてください、先生。ここで謝られてもどうしていいのか、僕ら困るだけなんで」

「そうそう。大体アイツも体調不良が恥ずかしいからって、何にも言わず立ち去ったのも一つ原因なんだ。頼りたいときは遠慮せず頼れってんだ」

「でも、私……——」


 気まずそうにおずおずと、瞳孔を遮るなだらかな横髪を掻き分ける余裕すらなく、水島は肩身を狭くする。教師としての職務放棄、政府管制課との規約違反に抵触、他の生徒を気持ちを半ば無碍にしたと縮こまる。


 でも、そうまでした理由がちゃんとある。

 千尋と苑士郎は、概ね察しが付いている。


「——わざわざ、気に掛けてくれたんですよね?」

「……っ」


 水島は言葉に窮する。

 否定はしたくない。するわけがない。

 けれど肯定をするのは、おこがましくて出来ない。

 千尋が更に話し続ける。


「この場合に先生は、居なくなったことなんて無視して、政府管制課との取り決め通りに、時間厳守で午後の授業を執り行えば良かっただけの話なんです。そもそも貴重な休み時間にこの島の生徒と交流を深めようとする必要すらなかったはずなんです……だって先生は、今日限定の外部教師です。本土に戻れば本当の、高校生の生徒さんたちが待っています。僕らのことなんて、余計な一仕事くらいに思っていたって、おかしくないんですよ」

「そんなことないっ! だって、君たちは……——」


 そこまで言っておいて、水島は口籠る。

 その後も脳内で言葉を選んでいる様子だった。

 おそらく政府管制課が関与した禁則事項に触れるものなんだろうと、千尋も苑士郎も悟る。こうした大人の対応を過去に何度か体験した記憶があるからだ。


「——とりあえず、教室に戻りましょう」

「ああ、ここに立ってるだけじゃ寒いしなー」

「えっ……」


 戸惑って反射的に手を伸ばす水島。

 なんでもっと責め立てないのかと言いたげだ。

 しかも微かに驚きも含有されている。

 まるで、ついさっきも似たような言い回しをされた反応だ。


「多分だけど先生は道中で墨花と話したと思うんです。僕らで二度手間を踏むことありません……きっと、彼女たちが先生に不満を抱いたら、学校に向かわせたりなんて、きっとしないでしょうから」

「ははっ、同感っ」

「……はい」


 寮側から学校に戻って来たということは、墨花とトリノとばったり出会していないと不自然だ。そしてあの生真面目な墨花が、正当性のない理屈で教職を放棄しかけた教師を簡単に解放するわけがない。下手をすれば徹底的に糾弾した挙句、輸入港まで突き返しに行くかもしれない。

 それらが皆無だったことで、裁決は既に済んでいる。そんなよりも、千尋も、苑士郎も、正直何のメリットもないのに、唐突に立ち去ったトリノを水島が探しに行ったことが、単純に嬉しかった。

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