78 ゆったりとしたニュアンス
それは温柔でも厳格でもなく、まるでお風呂に浸かりながら喋っているかのように戯け気味な語調となる。特別優しくもせず、真面目な議論にもせず、あくまで相手が話し易い環境ばかりを構築する。思い返せば、真っ先に飲み物を渡したのもそのための伏線のようなものかもしれないが、単に苑士郎のナチュラルな寛大さが成せる素振りともいえる。
「さてと。なあトリノ、何をどうやったらこんなヘンテコな現場になったんだ?」
「……ヘンテコ。そんなもので済んでいいの?」
あまりにも軽々しい表現に対して、逆に疑問を呈する。
トリノ自身でも異様だと自覚のある、惨憺たる光景だ。
「んまあ、こんくらいならどうにでもなるだろ。この穴は埋めて誤魔化せばいいし、壁の破損は俺たちがふざけて体当たりしたとか、老朽化もあるだろって責任転嫁すればいいだけだ。何なら今から蹴りを入れても大丈夫なくらいだわ」
「これ埋めるの、大変だと思うよ?」
「あー……なら一日使って土慣らしするか。案外楽しいかもな。そうだ、ついでに落とし穴でも作ってもいいな」
「壁を蹴ったら、苑士郎のせいにも、なるよ?」
「それならそれで良いだろ。複数人でやっちまったことにした方が、たった一人よりもリアリティーあるしよ」
苑士郎はトリノの肯定ではなく、また憶測の域でしかないが、考え得る限りの対処方法を枚挙していく。正しくは思い付いた案をその場凌ぎのように連ねて言っただけで、実現性には些か乏しいが、少なくとも当事者であるトリノからしたら、不穏に駆られた精神の気休めにはなる。無論一抹の不安は残り続けるけれど。
「管制課の人にバレたら、どうなるかな?」
「そりゃあ怒られるんだろうな。でも怒られるなんて別に珍しいことじゃねえよ。俺や塔矢は常習犯なのはもちろん、千尋や理人に墨花だって経験はあるよな?」
もし政府管制課がこの破茶滅茶なフィールド状態を発見してしまったらどうなるのか。トリノの危惧はこれが原因でみんなにもヘイトが向き悪影響が及び、最悪の場合は発現能力の存在にまで推理が伸びるかもと感じていた。言語化が上手くいかなかったけれど、政府管制課の名称を口にした時点で、なんとなく流れで皆が解る。でもそうであると知りつつも、せいぜい激怒される程度だと苑士郎は言ってのける。
「うん、ボクは苑士郎君が想定しているより多いはずだよ。塔矢君に巻き添いを食らい易くてね」
「くそっ! 理人に反論したいのにど正論じゃねえかよ! いつもすまん!」
「んー私も抗議しまくるからそれなりに? この中だと千尋が一番少ないんじゃないかな?」
「直近ならそうだと思う。でも昔は無断で大人の人から離れたりしてたからね……多少はね」
「だろー? つーわけで、トリノがビビることねえよ……これがお前一人のせいだって思わねぇだろうし、ここに居る俺たちがそうさせねぇ」
「……うん」
苑士郎は怒られエピソードを交えて間接的に、これが発現能力の仕業には見えないとトリノに伝える。同時に協力して隠匿に努めるとも暗に宣言する。
この場に辿り着いた五人が一目見て即座にそう判断するに至っていて、確率論として否定は出来ないだろう。けれど千尋、苑士郎、墨花、理人、塔矢には発現能力が人工島に住むみんなに覚醒するないし、し易くなった状況下になったことを認知しているという前提条件がある。この有無が雲泥の差を産む。
仮に政府管制課がこの現場を見つけたとする。となると必然ではあるが事後発覚になる。加えて誰の所業なのかも、どうしてこうなったのかも不明で、発現能力なんて予想の範疇でしかない事象を安易に提唱する蓋然性は低い。もっと科学的根拠に基づき、より論理的な帰結を目指す。優先度では間違いなく後者だ。故にトリノの恐怖は杞憂になる。
「私は……どうしたらいいかな?」
切実なトリノの問い。
両手を下腹部の前に組み、どこか物憂げだ。
内容は至極単純で、浮つく花弁を見送るような疑問。
能力者になった後の立ち回りについて。
「あー……どうしたらいいんだ? 理人、塔矢」
「おいおい、ここで俺たちに振るのかよ」
「いきなり格好悪くなったね」
「うるせぇなー、知らねぇもんは知らねえんだよ」
「だっさ」
苑士郎は実在することを知っているだけで、今のところ誤投与に起因する能力はない。だから発現能力を行使可能な理人と塔矢に指示を仰ぐのは自明の理だ。ただあんなにも雄弁にかつ悠々と喋っていた姿との落差が酷く、相対的にみっともなさが強調されてしまっている。
「えーとだな、トリノがあんな叫んでんのって、初めてじゃねえのか? そういうの苦手だろ、お前」
「そうだよね〜、私も、ビックリ」
困り果てた挙句、苑士郎は与太話に回帰する。
トリノの絶叫は確かにレアだ。
無駄な体力消費をしない主義で、わざわざ喚いたり騒ぎ立てたりもしないゆるやかな子だ。
だけどこれは性急性のある話じゃない。
悩めるトリノへの解答でもない。
「はぁ……トリノ」
「墨花?」
「今日は早退した方が良いかもね。冷静に自分のことを見つめ直す時間が必要だろうし、運が悪いことに外部から先生が来訪してる日だし……」
「だよね……でもそうなると、私一人だと大丈夫なのかな? 墨花たちが私にこのことを言ってなかったんだし、これって内緒でしょ、きっと。もし寮でなにかあったら——」
不用意に発現能力のことは吹聴はしない。
少々語弊はあるが、ニュアンスは間違っていない。
だからこそ、トリノはまだ知らない。
その寮にまだ、千尋たちの心強い味方が居ることを。
「——寮に戻ったらすぐ、真希のところに行ってね」
「なんで、真希……あっ!」
「……そういうこと。トリノにとって一番、喋りやすい相手でもあるでしょ?」
「うんっ。えっ〜と、真希だけ?」
「んーそう、なるかな」
この日は登校していない、発現能力者の真希。
【皓々三原色】という、色光由来の能力を操る。
面倒が理由で休んでいたが、そのマイペースが吉と出る。
しかも新たに目醒めたのがトリノだ。
真希とトリノは、伊波奈を加えた三人で良く談笑する仲。
強固な絆で結ばれた間柄だ。




