76 偽りの笑顔
人工島に住まう全員、特異な能力を漠然と知っている。
なんせ強制的に親元から別離させられた要因の一つで、日常のふとしたときに脳裏を過る。皆十五年の人生の慣習で危機感が段々と衰微していっているけれど、片隅にはちゃんと残留する。
ただその前提があってしても、いざ発現能力を無我のまま行使する驚愕はたちまち畏怖に変貌する。人工島での平穏な日々の積年が耐性を揺るがし、人外と形容されても否定のしようがない現象が更なるどん底へと突き落とす。
それらが全てを網羅するわけじゃないけど、トリノが苦しむ理由の一部では確実にある。
「同じ能力者がこうしているから大丈夫……なんて安易なことは言えない。トリノさんのはボクよりも遥かに強力みたいで、きっと制御に失敗した経験が常にちらつく。だから……なんて言ったらいいんだろうね……協力するにしても、ボクだけじゃどうにもならないし——」
トリノの胸中に響くかどうか。
こんな論調では大抵なら上手くいかない。
慰めの言葉でも、手を差し伸べるわけでもなく、ただただやんわりと婉曲に現実を突き付けただけだ。
「——とにかくボクが言えることは、ゆっくりと能力に慣れていこう……ってことかな? いやこれは千尋君が能力に目覚めたばかりのボクに言ってくれたセリフなんだけど……要約すると、ボクはみんなで一緒に、この理不尽な困難を乗り越えたいと思ってる」
それはか細く弱々しい口調で、自信もなさげな抑揚で、さきほどの伝達不足も相まって少々頼りない。だけど最後の一言だけは非常に明確で、力説とまで表現すれば大袈裟になるが、理人の本心が随所に詰め込まれている。
「……乗り越える、にしても良かったんじゃね?」
「うん、ちょっと自信がなくて……塔矢君がめんどくさい、とか言いかねないし」
「おい他人のせいにすんなよ理人っ!」
「いやいや、半分は冗談だから」
「なんでもう半分は本当なんだよっ、おかしいだろ」
あまりにも的確な正論を横槍され、シリアスなムードが少しマイルドになる。塔矢が絡むと殊勝な理人が素に戻る。すぐに平時のような会話にもなり、お互いの気軽さが窺える。
「ちょっと? これ真面目な話なんだけど?」
「だって理人が言葉を曖昧にしたからだろ? 俺は補足しただけじゃん?」
そこに墨花が釘を刺す。
ついでに鋭利な視線でも突き刺す。
いかにも当然といった風体だ。
しかし皮肉にも、墨花の指摘は蛇足を促進させてしまう。
薄々勘付く苑士郎も苦笑いしつつ、さらなる深みに嵌らないようにと静観を貫く。ちなみに千尋も同様だ。
口出す人と敢えて引く人、ちょうど良い塩梅が交差する。
徐々にいつもの親しさが浮き彫りになる。
逆に言えば、普段のみんなに戻りつつある。
「もう……——」
「——……墨花、あり、がとね〜」
呆れ気味に物申そうとする墨花を、のんびりまったりとした御礼が止める。それは声掛けた理人でも、補足した塔矢でも、黙する千尋や苑士郎でも、ましてや名前を呼ばれた墨花でもない。
未知数の恐怖にしがみ付いた両手が弛緩し、精神を摩耗し続けた嗚咽も落ち着きを成し、突っ伏した顔を上げる。
くっきりした涙の白線に、散乱非統一の前髪。
鼻詰まりを巻き込んで呼吸をする。
目蓋は腫れ上がり双眸は開閉し辛そうだ。
惨めな顔面を想像して、多少なり羞恥心もあるだろう。
それでも、渦中のトリノはやっと謝意を述べる。
奇しくも住まう寮での一部始終のような、堅苦しくもなく生意気な言い合いになったタイミング。いや寧ろ、トリノにとってはこの環境だからこそ踏み込み易かったみたいだ。
「えっ!? ちょっとトリノ」
「そう、だよ〜。心配、掛けて、ごめんね……」
目元を真っ赤にして、誤って爪で掻いたような切り傷もあって、涙や鼻汁を拭った痕跡があちこちに残っていて、散々喚いたせいか乾燥して巧く発声すら出来ていない。
それでもトリノは屈託ないように偽装した笑顔を見せる。
取り繕っているのは明白だけど、このしっちゃかめっちゃかな顔色の真意は、引き締まる笑窪の前には無力だ。
つまりは彼女の姿を信じるしかなくなる。
「おいトリノ、んな無理すんなよ?」
「ん〜? 大丈夫だよ、苑士郎〜、ずっと墨花の枕のお世話に、なってただけ、だもん」
「……声、カッスカスじゃねえかよ。一応お茶くらいあるけど、飲むか?」
「お〜、気が、効くね」
目に見えてトリノが復調したことで、もう大丈夫だろうと自粛を破って苑士郎が労る。あえて本題には触れず、切り込まず、両手に持った苑士郎自身と墨花の手荷物を惜しげなく差し出す。どちらにも弁当箱と共に片手サイズの飲料ボトルが入っていて、どちらのでも良いよと示唆する。
「トリノ、私手鏡持ってるけど……見る?」
「嫌だよ。いま、絶対、ぐちゃぐちゃだもん」
「うん、ごめん余計なこと言った」
「本当だよ。その質問って、私の顔がヘンテコなの前提じゃない、としないでしょ? 墨花はいつも、素直だけど、デリカシー、がないね〜」
「……その自覚はある」
気難しく返答する墨花を面白がりながら、トリノは決壊したくらい溢れて枯渇し欠けた水分を補給する。まだ本調子とはいえないけど、皮肉を交えるほどには回復しつつある。
そんな様子に男性陣四人もささやかに胸を撫で下ろす。
色々訊ねたいことはあるが、今だけはトリノの憩いの場。
昼時間は一刻と迫っていく。
校舎右側面付近での惨状。
珍しき叫声の理由。
ふとした安堵。
発現能力に覚醒したトリノの騒動。
水島の一件も未だ放置したままだ。




