75 無色透明の回顧
十五年間にも及ぶ負の連鎖により滾らされる身体。両膝を地面に着けて座る墨花に預けたまま踞り、トリノはまるで助けを乞うようにしがみ付き、嗚咽を漏らし、過剰に酸素供給を欲し続ける。
彼女の許容を超えた現象への畏怖と、その現実を受け入れられない強迫。また個人的な気持ちすらも辛酸へと翻ってしまい、更に喉元を締め付け、段々と心音を急かす。
溢れる涙液を墨花の制服で拭うせいで、時節見せる横顔は衣服との摩擦か、はたまた眼窩付近や視神経の困憊よるせいか、朱色に染まり痛々しく腫れあがっている。
「……っ」
「トリノ——」
墨花はトリノの背中に左手を添え、右手で結われた髪の毛に沿ってゆっくりと撫でる。清廉とした佇まいでしんみりと、体調の優れない子どもに寄り添うように。
だけどトリノは小さく首を振る。
まだ大丈夫じゃないと返答したいらしい。
「——今の、分かったのかな? 私には全然自覚出来なかったけど」
「ん……」
「さっき私とトリノ、透明化していたんだよ? 理人の能力でね」
「……っ?」
トリノの挙動が止まる。
暴発した混乱が、一瞬だけ疑念と対抗したからだ。
既に発現能力の存在を認識しているかどうか、その有無の落差が如実に表面化する。
「うん、よく分からないよね。何にも知らなかったんだから当然だよ……」
その所作に墨花は少し安堵する。
やっと感情の荒ぶりが平時に戻ったことに。
それが例え束の間だったとしても、大切な瞬間だ。
別事に気を逸らす機会がないと、トリノはいつまでも塞ぎ込んだままになる。
そうなると現実に起きたこと以上に精神を削る。
五年前。ソフィアが人工島から消えた日のように。
当時とりわけ顕著だったのは、段々と感情が壊れていった千尋だけど、みんな彼女への消失感により気落ちしていた。
あんな思いはもうしたく無いし、二の舞も許さない。
「そのままで良いから、話だけ聴ける?」
「……っ」
制服が擦れる音すらノイズになりかねない静寂。
千尋たちが黙す最中、トリノのアクションはない。
肯定もしないが、さっきのような否定もない。
都合の良い解釈をするなら、どちらでも大丈夫。
「うん……でも、実体験のない私から話すよりも、理人か塔矢、二人のどちらかから話した方が良い……お願い出来る?」
「もう喋っていいか? いいよな? じゃあ俺から……——」
「——ごめん塔矢君、ボクから話す」
塔矢が発現能力の先人としての一歩前に進もうとしたところを理人が制止する。同じように考えていたのは、彼だけではなかったということだ。
「え?」
「ボクがトリノさんの能力を断言したんだ。最後まで責任を持たせて欲しい」
「そりゃそうだが……——」
「——この前の共闘のさらなる貸しだと思ってもいい、ボクから伝えたい……上手く伝わるか分からないけど」
「……ああ、理人がそんなに言うなら。つーかあんなの貸しにもなんねぇよ、勉強や担当の代わりをしてくれたり、ゲームの勝敗を含めたら寧ろ俺が返せないくらいだからな」
自虐を組み合わせて引き下がる塔矢に、理人はそうだったねと言わんばかりに微笑みながら首肯する。
素直に譲らず、わざわざ回りくどい適当な理由を付けてくる辺り、いつもの彼らしいなと同時に所感しながら。
「トリノさん、聴こえているかな?」
「……」
なるべく相手の目線に合わせるようにと理人はしゃがんで、際限までの柔和な口調で優しく問い掛ける。
だけど精神状態的に当然と言うべきか、返事はない。
けれどトリノが聴いていても、いなくても、発現能力に先んじて覚醒した被害者の一人として、必ず共有しないといけない事象。
いずれこの島に住まわされているみんなが発現能力を使えるようになってしまう蓋然性が、トリノの覚醒により高まった今、より一層理解を深め合う必要がある。
「トリノさんの能力がどういったものか、ボクにはこの場の形骸からしか読み取れない。見受けられる限り……かなり攻撃的で、強力なものなのかなっていうのは、なんとなく察しがつく……少なくとも、ボクの透明化の能力よりはね——」
清白とした地表を抉り、堅固な壁面を傷付ける。
無残な惨状がそこかしこに物語る。
この全てがトリノの能力の仕業だと仮定すれば、自ずと破滅的な能力だと推測可能。一緒に居た墨花が怪我をしなかったのが不思議なくらいだ。
「——予想は昔からあったとはいえ、いざ初めて能力が現れるとビックリするだろうし、当惑したと思う。しかもこれほどの威力……自分で自分を認められなくて、実害を責めたくなる気持ちに苛まれているかもしれない。コントロール出来なくて、意図しない攻撃を振り翳し続けてしまって、実力以上の異能に翻弄されて、きっと怖かったよね……トリノさんの全部に共感するわけじゃないけど、ボクにも似たようなことがあったから、少し分かる——」
そう語りながら理人は回顧する。
彼自身が初めて【無色透明化】を使用したときだ。
それは唐突に現在進行形で身体が消えていると知覚し、人工島の誰からも認知されない。当時は言葉も届かなかった。しかも解除方法が不明で、偶然千尋と出会すタイミングで発現能力解けるまで、精神的ストレスによる過呼吸と視界のグラつきに堪えながら彷徨っていた。
理人の場合は物理的な被害を加えていなくて、時間に換算すれば二十分程度で解除されて、おまけに千尋と遭遇した僥倖もあり、狂人染みた錯乱を引き起こす前に対処出来た余裕もあったからだ。
「——それでボクも……いやボクと塔矢君は、トリノさんとは異なるみたいだけど、能力が使えるんだ。理屈はもう判明していて、トリノさんも知っていると思うけど、ボクらがこの孤島に閉じ込められた原因でもある【ハルトマカロウ】を主原料に構成された、副次的な未来予想……それが現実になったんだ」
端的で平坦な理人の弁舌。
感覚的じゃなくて、論理的思考に基づく内容。
やや辿々しく、伝わり難くもあるかもしれない。
けれど安っぽい感情論でただ共感のセリフを投げ掛けるだけ、理解を示す素振りだけじゃない、幾つもの過去を繋ぎ合わせて弾き出した見解をゆっくりと、穏やかに述べる。




