62 自身の経歴とオールドスタイル
水島は黒板の真上にある時計を一目見て、しばし双眸を閉じたのち、登校した全員が着席し終えた様子を眺める。欠席者による空白の席がやけに目立つが、事前に千尋から半数ぐらいしか学校に来ていないと伝えられていたので、切なさは軽減されていた。いや、把握していても少なからずは虚しくはあると表した方が適切かもしれない。
登校した十三人がそれぞれの姿勢で座する。
心なしか態度がよそよそしくもある。
久々の先生という存在に、どう対応すればいいのかと推し量っているせいだろう。
「こんにちはっ。みんな既に小耳に挟んでいるとは思うけど、私が今日、君たちの一日担任を務める水島です。水島 一夏。ヒトナツよりも短い時間ではありますが、しっかり教師としての役割を真っ当したいと思っています、よろしくお願いしますっ」
人工島民のみんなの暗雲を振り払おうとするように爽やか明快な弁舌と抑揚とジョークで、流々とした所作でお手本にありそうな角度のお辞儀を決める。
それは輸入港で千尋とトリノに披露した自己紹介よりも声量を上乗せ、教室内に響き渡るように二音くらい高音域になって、可能な限り滑舌良く滞りのない名乗り方。さっきまでの人工島の迷い人から瞬く間に教師モードへと切り替わる。
「よ、よろしくお願いします」
「はい、よろしくねっ」
真っ先に墨花だけが返事をして、水島も愛想良く返す。
清々しくとはいかなくとも、この教師と生徒同士でお互いを探り合う不穏な雰囲気の最中で、定型に倣って挨拶が出来る子は逞しいなと所感しながら。
「んーとはいっても、みんなからしたら水島って誰だよって感じだと思うんですよ。なので授業の前にもうちょっと深掘りした説明をするとね……私は普段、高校で教師をしています。誕生日は七月八日。年齢は二十五歳、だから君たちより十歳年上ですね。担当科目は化学ですが、別の主要科目も一通りこなせます。政府管制課からの提供で君たちの自習進捗も把握済みなので、どの科目もこのあとの授業に支障はないはずです——」
水島は虚勢が混ざったまま胸を張り、手を合わせる。
全般を任せて欲しいと言いたげだ。
だけどあまりというか、当然と言うべきか、登校した子には響いていない。
「——あと、高校教師がなんで中学生と同じ年齢の子を教えるのかって疑問がありますよね? まあこの辺は政府管制課の匙加減もあるんだけどねー。一応中学生を教える資格はあるし、教育実習が中学校だったから、そこを少し評価して貰ったのかな。ほかにも諸々理由は……あっこれは秘密か、とにかく問題はないということですね、はいっ」
両手の指先をそれぞれ教卓の端側に引っ掛け、若干前のめりの体勢になって水島は宣言する。いかにも教師らしい格好というか、掲げた信条を叶えようとする立案者のようだ。
「……っ」
「うん、蛇足はここまでにしようかな。みんなとは今日が初対面だからいっぱい話したいことがあるんだけど、あんまり長々と話すと逆効果だからね」
ここまでずっと水島自身の個人情報と雑談を交えて言葉を紡いできたけど、相変わらず千尋を含めた教室に居るみんなの反応が薄い。というより反応に困っているとも言える。流石の水島もそんな風潮を感じ取って、自己紹介の延長線上の説明を切り止める。
人と他人が心を開くのには誰しも時間を要する。
当然、先生と生徒も例外じゃない。
大人に対して怨恨がある人工島民だと尚更だ。
この人工島に常勤の教師が不在な理由も、彼ら彼女らの異常数値による潜在能力を畏怖したのもあるが、嫌悪の対象から逃れられないと予期したからでもある。最悪逆恨みで命を狙うかもしれないところまで想定内だ。
歴代の本土の来訪者は全員、その危険性を指摘された上で渡航している。仮に命を落とした場合でも特別な対処が行われず、基本は自己責任になる。そして本土からも隔絶された環境下も相まって、人工島に移住する場合のハイリスクを考慮し、不定期の非常勤講師を招く構図が出来上がる。
本来なら幼少期までに人工島専属の大人を用意し信頼を得る手筈だったが、そもそもが急拵えの計画で、具体的な移住期間も不透明で、生まれ育った本土を捨てるのと同義。とどめに異常発達が予想される子どもたちの子守り……こんな条件を快諾する人材はおらず頓挫。踏んだり蹴ったりの末路が、現在の人工島に繋がっている。
「それでは早速、授業に取り掛かりたいと思います。みんな化学の教科書を出してー、ページはイオンと化学式についてのところ……二十六、二十七ページねー」
そう指示を出すと、みんなすんなりかつ黙々と教科書と提出用のノートを開いていく。水島だけがやや所定のページを開くまでに手こずっているが、これは普段がデジタル教科書を運用していて、タッチパネル式のフォルダーにあるデータログを起動させ、これから教授する学年クラスをタップすれば、自動的に授業ページが反映されるプロセスになっているせい。畢竟するに慣れ親しみのない教師としてのオールドスタイルが目新しくて、一ページを捲るたびにそれを苦笑いしながらも喜び噛み締める。




