25 キャッチボール
教科書問題を雁行と塔矢と一緒に済ませた千尋は、ただ一人席を後にして、三階の物置き部屋と化したうちの一室に入る。ダンボールや大袋が片隅にたくさん溜め込まれていて、不定期の清掃だけじゃ限界があって、叩かずともやや埃が立つ。この独特の湿度とくぐもった匂いが鼻腔を刺激する最中、扉から窓側まで滞りなく歩けるスペースはちゃんと整備されている。余談だけどこの部屋にある道具は、主に小学生くらいの年齢のときから、年に一、二回くらいのペースで開催しているお祭りに使用されているものばかりだ。形態は毎度異なるが、分かりやすく例えるなら文化祭と思って貰えれば過不足はないだろう。
千尋は小道具たちを悠然と流し見つつ、そういえばそろそろそんな季節だなと、しみじみ過去のお祭りを回顧しながら窓側に向かう。二階の教室の真上という配置から、校庭が良く一望出来る場所になる。
「あれ? 誰かいる?」
誰もいないと思い込んでいた校庭を二人の同級生が歩く。どうやら千尋と同じく勉強を終えて暇だからと気晴らしに外へと繰り出したらしきその二人は、高浜 拓土と大井 椎。
両者ともこの人工島民の男の子の中で、また女の子の中で、それぞれ一番運動が大好きで、好きこそものの上手なれでスポーツ系全般が得意な子達だ。事実今は、グローブとボールをそれぞれ持ち寄り並んで歩く。その様子からキャッチボールをするらしい。
黒髪のソフトツーブロックで、おおよそ体育会系には見えないような色白で、いつも爽やかで涼しげな顔つきをしている拓土。対して栗色のマッシュショートヘアで、快活かつ明朗な雰囲気と、たまに覗かせる八重歯と笑窪のきらめきがチャーミングな椎。
二人とも登校時から上着だけ制服ではなく、島民みんなで用意した運動用のユニフォームを着ている。ネイビーカラーを主色にしているのは制服と同じで、通気性吸水性に赴きを置いた材質かつ、関節の可動域の妨げにならず、機能性に特化した優れた逸品だ。一応はユニフォームということで、クラブスポーツチームのようにそれぞれ背番号が記されている。ちなみに番号はみんなの出席番号をそのまま反映させたもので、拓土が12番、椎が3番を付ける。千尋を含め、島民みんなも異なる番号のものを所持している。
「二人はスポーツの話でもしているのかな。遠くからでもにこやかにしてるのが分かるよね、千尋君」
「そうだね。拓土も椎も昔からよくあんな風にやってるし、僕らの中でも、特に心を許し合えるんだろうね」
千尋の右隣から声がする。ひっそりと要領を得た口調だ。
けれど右を向いても、その逆を向いても、振り向いても、誰もどこにもいない。ひとまず返事こそするけど所在がどこか分からない。
「……ボクのことは見えていないかな?」
「うん……いま一人? どこに居るの?」
「うん一人、さっきまで隣に居たよ。今はちょっと離れて小道具の前に移ってるけど……あっ懐かしいなこれ、二年前に使ったやつだったかな?」
「そろそろだよね、今年はどんなことをするんだろう?」
二年前の小道具という情報を頼りに、憶測の場所に千尋は喋り掛ける。祭りで使った道具たちは原則その年度に使用したものごとに分別がなされている。だから年数を把握すれば位置も大体分かるわけだ。再利用した場合は新しい年度の方に移される仕組みで、昨年と一昨年の道具がちょっと判断し難い。あと余分な荷物を千尋たちが増やしたせいもあるが、現状は致し方ない。
「今年はね……それこそ校庭にいる二人が仕切ると思うから体育系がメインになりそうだよ。体育祭? スポーツ祭り? まあそんな感じだと思う」
「ああ、そっか。というかそうなる未来しか見えないけど」
「ははっ言われてみればそうかも。ただもし実現したら、あんまり運動は得意じゃないし、どうしようかな?」
「同感。みんなでなら楽しいとは思うけど、僕らじゃ活躍は出来そうにないよね……拓土や椎がいるなら尚更ね」
話題に挙げた流れで、千尋は再び校庭にいる拓土と椎を覗き見る。現在進行形で双方が本格的で精緻なフォームの右腕が唸り、お互いの胸元に投げ合っている。よくよく耳を澄ませると、キャッチングした際の革の乾いた音色が心地良く鳴る。口元が絶え間なく動いていることから、当然千尋のいる三階にまで届かないけど、なにやら楽しげに会話しているんだなと分かる。
「二人はお互いが関わり合うと生き生きとするよね」
「うん。ただでさえ人工島は他人とのふれあいが少ないから羨ましいね」
「……それ、千尋君が言うんだ?」
「え、どういうこと?」
「あー……いや、多分ボクのは第三者視点だからこそのものだと思うから。当事者には逆に分からないのかもしれない」
「そ、そう——」
千尋は釈然としないと俯いたままでいると、突如として左肩に圧力を感じる。正確なことを示すと、ちょうど手のひらを乗せられたような微かな重み。その比重の違いを感受した瞬間に、千尋の暮らす世界観を狂わすうろんな透明度が錯覚的に帯びる。
「——……何回やっても慣れないね」
「でも面白いでしょ、これ。今この部屋から千尋君の姿を捉えることが可能なのは、ボクだけだよ。しかも千尋君には拒絶反応がないし、心痛くならなくて、行使しやすいんだ」
「んー……触れると僕にも効力を発揮するのって、改めて考えてもどんな理屈なんだろうね」
「さあ。まだボク自身も全容はよく分かってないから」
「というかいつの間にか左側にいたんだね。気配じゃなかなか把握するのが難しい……」
そう呟いて千尋は、キャッチボールをする拓土と椎から視線を外し、手のひらの感触がする左側に彼自身の顔を向ける。すると【無色透明化】の世界の、ある意味で主とも言えなくもない存在と直接対面する。




