2 家族との関係性
輸入港の近くに併設された堅牢な個室には、一人分のアームチェアとワイヤレスディスプレイだけがある。孤島から外部と連絡を取る数少ない手段だ。そこに濃紺を基調としたブレザー制服を着た千尋がアームチェアに座るとすぐに、小慣れた手つきでディスプレイを起動させる。すると映された画面越しに、どことなく千尋と似通った顔つきで、髪の毛を後ろで一結びしている四十代の女性……千尋の母親である望仁 菜津が待ち焦がれているとばかりに手を挙げていて、千尋の姿を見た瞬間に閉ざされた口を開き、その手を左右に大きく振る。
『あっ、ちひろーっ! 見えてるー?』
「……うん、手を振っているのがちゃんと見えてるよ。音声も問題ないみたい。こっちの声は聴こえてるかな?」
『ばっちり。前みたいなぶつ切り声になってないわっ』
「それは良かった。えっと……今日は一人?」
『ううん、そばに居るから呼べばすぐに来るよ。みんなお兄ちゃんに逢いたがってたしね……ほら千砂、千晃、こっち来なさーい』
千尋がこの人工の孤島に移り住んでからもう十五年。
こうして月一ペースで定期的に、本土に住む家族の誰かと連絡を取り合うことがもはや習慣となっている。今日は母親と、千尋にとっての妹弟が来てる。
その証として母親である菜津の両サイドからひょっこりと、千尋の年齢よりも三個下の妹の望仁 千砂と、五個下の弟の望仁 千晃の二人がおずおずとモニターに映る。二人ともが母親似、つまりは千尋とも面影がある。
『……なんか髪の毛跳ねてない?』
「はは……最初のセリフがそれ? んーまあ、ちゃんと直したつもりなんだけど癖毛だからね」
苦笑いをしながら頭部を撫でる。
千砂の指摘通り、盛り上がってる箇所が幾つかある。
『ツンツン。ツンツン!』
「いや、そこまでじゃないと思うけど——」
『——あらっ、千尋も結構身嗜みを気にするようになったのね。確か千砂と同じくらいのときはもっとグネグネして、しかも汗まみれだったのに……大きくなったんだね』
「……そうかな」
『そうよ。ああそうだ千尋、この前お父さんがね——』
千砂と千晃の二人に被さっていて、菜津の姿が千尋からはよく分からないけど、きっと両手を叩いて成長を喜んでくれているんだろうなと口元が綻ぶ。
なんでことのない家族の会話。それはモニターを介しても変わらなくて、些細な日常のワンシーンをお互い、にこやかに伝え合う。ここに来るといつもそうだ。たった数十分程度だけど、置かれた環境のせいもあるけど、大切な時間だと千尋は常に思う。
『——じゃあ、そろそろ時間だから……』
「うん、わざわざありがとう」
『もう……そんなこと言わなくていいわ、親として当然のことだもの』
「……そっか。帰り道に気を付けて、千砂も千晃も」
『はーい!』
溌剌な千晃の返事、千砂がさりげなく手を振り、千尋もそれに応えるように微笑んで頷く。ちょっと通じ難かったかなと感じたけど、二人は満足そうに目元を細めると、最後は母親である菜津に遠慮するように画面からフェードアウトしていく。別に兄妹弟間のルールじゃなく暗黙の了解程度だけど、決まって最後は親子同士の一言二言で終わるようになっているからだ。
『千尋』
「なに」
『どんなに離れていても、千尋はお母さんたちの子どもで、千砂と千晃のお兄ちゃんだからね』
「……うん」
これは面談のたびに必ず、両親のどちらかに伝えられる常套句。言わなくても分かっているって、何度も返そうとしてるけど、千尋はいつも肯定するしかない。だってこの言葉は、物心付いてから一度も直接対面したことがない親と子が、本当の親子で、家族の関係性にあるんだと再確認するための大事な言葉だからだ。どんな形であれ、なおざりにすることなんで出来るわけがない。
『じゃあまた来月……あっ、仕送りの荷物が届くはずだから楽しみにしててね』
「うん、また」
『お友達とも、ずっと仲良くね……』
「……うん」
千尋の返事を聴くと、菜津が元気でねと言いたげに、また手を振っている途中で接続が切れる。賑やかなディスプレイ映像が真っ暗になって、空虚な静寂が訪れる。
「……みんな、元気そうだったね」
そんな雰囲気を紛らわすように千尋は呟く。
席を立つにしても、少し家族の時間が惜しかったから。
家族とはどうあるべきなのか、分からないから。
例えば突然菜津が、実は千尋の本当の母親じゃないと告白されたとしても、簡単に受け入れそうだなんて考えてしまう。逆に血統家系図やDNA鑑定結果を並べられても、親子関係の疑念が晴れないだろう。だって大多数は千砂や千晃みたいに衣食住の生活を共にしながら、親として子として一緒に成長するものなんだと感じる。妹弟二人との距離を、モニター越しにでも眺めていると尚更そんな風に見える。きっと温度差を無意識に理解してしまうんだ。
けれどこんな面倒な連絡手段を、十年近く毎月欠かさずに続けてくれる親身な大人の言葉。それを信じない子どもはいない。だから菜津が千尋のことを自身の子どもと言うなら、内心ではどんなに疑っていても、一度も直接対面した記憶もない人でも、母親にだって、家族にだってなるんだと思う。