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コバルトソフィア  作者: SHOW。
第二章
104/156

104 空腹と玄関

 日付が変わって、もうすぐ黎明になる頃合いの四時。

 深夜というには遅く、薄明と呼称するには早い時間帯。


「んん……あれ僕、今何時……どこだ……」


 千尋が起床し、ベッドの感触から自部屋であると察して、すぐに手短にあるはずの時計を探す。

 しかし寝惚けと暗闇のせいで、なかなか手繰れない。

 寮の外からの陽光をあてするにも、そんな明るさも無く、ここがどこか暗所で分からず、まだ室内の灯りが必要だと千尋は思う。


「まず電気か。痛っ……えっと、ここがベッドなら……多分、この辺っと」


 千尋はどこに置いたのかあやふやな時計よりも、固定位置にある点灯スイッチを優先させ、長年の感覚からテーブルや壁に身体をぶつけないようにして、多少手間取りながらも部屋の灯りを点ける。


「うぅ、すごく身体が怠い……一応動けなくはないけど、この筋肉痛に慣れるまで時間が掛かりそう」


 筋肉痛は外腹斜筋から臀部を伝い太腿までが特に酷く、釣られて膝関節を巧く曲げられなくて、両脚が棒状のようになっている。今のところ歩行がやや覚束ないが、全く動かせないほどじゃなくて、時間経過と共に治る痺れであると解る。


「……朝の四時か。んー困った……この時刻じゃ誰も起きてないだろうし、学校に行く準備をするにも早過ぎるし。でも二度寝なんてしたらそのまま、動きたくなくなりそうだからなぁ、どうしたものか……」


 それから千尋は室内で、他にどこか異常がないかと軽く関節を働かせながら、空き時間の潰し方を考える。その途中でボロボロになった制服から着替えていなかったことに気付き、子どもの頃より愛用しているカラーリングの、上下真っ黒のジャージに衣替える。そこに簡易的な寒気対策であるグレーの上着を重ね、日没ゆえの凍てつきをしのぐ。


 脱いだ制服をよくよく注視すると、燃え減った左袖の焦げ跡と、血の跡が付着した左半身部分の印象ばかりが目立つが、右半身箇所やパンツまでもところどころ虫喰いのような小穴が点々とあり、転倒したことによる塵埃や擦り切れが幾つもある。ついでにベルトの留め具も破損していて、ソックスは千尋自身の足爪が突き刺さったのか穴があり、そういえばシューズをどうしたかも定かじゃない。


「この制服は、残念だけどもう使い物になりそうにない……予備があったかな? いやそもそもこれが予備だったんだよね……。せめて靴だけは玄関に置いてあればいいけど……あんまり記憶が無いな。あとで見に行——」


 ぼんやりとそう呟こうとしたとき、ふと千尋は腹部を押さえる。それは内外部からの突然の腹痛じゃなくて、生きた人間の身体なら必然と起こり得る生理現象。窮屈に絞り出したように間抜けた音が鳴る。


「——そっか僕、お腹が空いているんだ。思い返せば昼休みから何も食べてないから、当たり前か……うん」


 なんだな可笑しくなって、千尋は苦笑う。

 どうしてこんな単純なことに気が付かなかったんだと。

 どんなに節々が疲憊を訴えて来ても、お腹は空く。

 更に言えば喉も渇いている。

 食事にしない理由が、どこにも見当たらない。


「そうだね。いつもの朝と同じように支度を始めて、ご飯にしようかな? 晩御飯の残りがあるかどうか確認して、あればそのまま広間で、無ければ僕の部屋の冷蔵庫から適当に拵えて作ろうか。時間が余ったら余ったでまた考えよう……あっ、途中で玄関にも寄って、靴があるかどうか確かめるのもありだ……なんだ、意外とやること山積みじゃないか」


 そうと決まればと千尋は、歯磨きに洗顔に畝る髪を梳くなど、いつものモーニングルーティンを痛みに耐えつつも淡々とこなし、灯りを消してから自部屋を後にして、二階の壁沿いを手触りを頼りに伝う。一階に繋がる階段を見つけて降り、渡り廊下の灯りを点け、寄り道で玄関に千尋のシューズがあるかどうかの確認を行う。


「えっと僕のは……あっ良かった、両方ともあるある。ちょっと汚れちゃってるけど、ソールとかに穴は空いて無さそうだし、磨け洗えばどうにかなりそう……良かった」


 千尋は一通り調べて安堵し、きちんとシューズを並べて男寮の広間に向かおうと踵を返した……そこから一歩、二歩とぎこちなく歩き始めたそのときに唐突に、気泡を弾くように男寮の玄関扉が軋む。


「んっ、あっ、えっ? な、なに……?」


 千尋は再び踵を返す……いや、返さざるを得なくなる。

 その軋みは全くの想定外で、まるで心霊現象のような不気味さを孕んでいたからだ。

 人工島には天候の変化はあるが、暴風や浜風のたぐいはシステムの関係上ほとんど起こらない。なので外的要因として一番に挙げられるのは驟雨もとい豪雨となるが、玄関扉を打ち付けるほどの降雨量なら雨音が聴こえないのは不自然で、もっと寒気に打ちひしがれ、湿気で千尋の髪の毛がより我儘になることだろう。


 しかしそのような様相は皆無。

 まさか本当に心霊関連だとは思っていないが、千尋はしばらく玄関扉を凝視する。あくまで念のため、原因の究明のためだ。

 するとまた、玄関扉が軋む……今度はさっきよりも強烈に、まるでペグをハンマーで打ちつけるかのように。


「ひあっ!? いっ、一体な——」

「——お〜い、誰か居るー? そっちの寮の灯り、付けっ放しだよ〜」

「……ん?」


 得体の知れない警戒心がたちまち解かれていく。

 理由が解れば、恐怖とは幻滅するものだ。


「今の声って——」


 千尋は自身のシューズを履く。

 無理なくゆっくりとその声を信じ、玄関扉に手を掛けて開く。


「——うわっ? ああっ、千尋だっ。おはよっ、何してるの?」

「椎……何してるのさ、こんな早い時間に」


 千尋が玄関扉を開いてすぐの正面。

 そこには色合いは異なるが同じジャージ姿で、汗を流し呼吸がやや早くなっている椎が、示し合わせのない出逢いを喜ぶようにゆらゆらと手を振っていた。

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