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コバルトソフィア  作者: SHOW。
第二章
103/156

103 左腕に触れて謝る、まだ知らない明日のために眠る

 男寮へと無事に帰宅した千尋、苑士郎はすぐに、トリノの一件で先に早退していた理人と塔矢と出会し、ジオの発現能力についてこっそりと共有したのち、ジオのことを託し、夕餉も後回しにして一旦、それぞれの自部屋へ戻る。


「はぁ………………もう身体動かない。絶対筋肉痛になってるよこれ……拓土と椎が主催のイベントまでに治ればいいんだけどな……多分なんらかのスポーツをやることになるはずだし、なんとかならないかな……」


 制服から着替えることすらなく、幼稚な行為だと憚らず、千尋はベッドに飛び込む。投げ出した身体を全て受け止め、柔毛な布団と低反発の枕が比喩的に迎合してくれる。


 初冬の寒肌が微かに軽減され、猛烈に駆動させた骨肉関節の疲弊を気休めながら(やわ)らげていく。息を大きく吸ってて、心拍数が段々と平常時の刻みに戻って、心ゆくまま全てがベッドと共に沈み込んでいく。


「……そういえば拓土と椎は、水島先生を輸入港まで見送れたのかな? あんまりギクシャクしてないといいな。ジオとトリノはどうなったんだろう? 二人とも体力気力の限界近くまで使っただろうし、他のみんなが支えて……るよね、うん。流石にそこまで薄情なはずないよね」


 心の声がそのまま、言葉として漏れる。

 千尋は疲弊し過ぎてもう、どっちがどっちと判別付いていない。朦朧としていると別途診断を下されたっておかしくないくらいだ。

 部屋の扉をちゃんと閉めたかどうか、そんな日常における細やかな疑問すら考える気分になれないし、仮にどちらであっても余す行動力がどこにもなくて億劫だ。


 現に着ている制服がシワになるとか、一部が燃えて墨になったり、身体に擦り傷があるからベッドが汚れてしまうとか、千尋自身だけの美意識の配慮すらままなっていない。

 辛うじて人工島に住むみんなのことを思い馳せるのみ。

 枕が齎す幻惑に、布団が包む暖かさにあやされる。


「ん………………誰?」


 千尋は双眸を閉ざしたまま呟く。

 それは直感で、あまりに適当な問い掛け。

 足音と判断するものは何もなかった。

 類似した雑音も、近場では皆無。

 だけど千尋を取り囲む空気の触れ方が変わった気がした。

 動かせない身体の代償に鋭敏になった神経。

 もしも気のせいだったとしても、体裁を守るための秘匿すらやる気分になれない。ならば素直に、訊ねてみただけ……それだけだ。


「……誰だと思う?」

「……っ」


 千尋の問い掛けに返事が届く。

 期待もしていなかった返答だ。

 そしてその声を聴いた瞬間、千尋は誰かすぐに解る。

 けれど上手く声帯が機能しなくて、セリフにならない。

 馴染みある名前を呼べない。

 頭に浮かんでいるのに、言葉になってくれない。

 そんな彼を察してか、こっそりと近付く。

 千尋に声を掛けた人物………………小春が、微笑みながら無理しなくて良いよとかぶりを振る。


「かなり疲れてるんだね。そのまま聴けそうならで大丈夫だよ。眠っちゃいたいなら、それでも良いよ」


 小春は千尋が無造作にうつ伏せる真横に両膝を着けて座り、なるべく目線の高さと合わせようと赴く。そして健闘を讃えるかのように、徐に千尋の頭頂部を撫で、彼の微睡んだ世界観の安寧を促進させていく。


「随分と大事(おおごと)みたいだね。また制服もボロボロになっちゃってさ。継実に怒られちゃうよ、きっと。服のことになると毎回厳しいもんね」


 ここにはいない、今日は登校もしていなかった同じ島民の世久見(せくみ) 継実(つぐみ)の名前を挙げつつ、小春なりに千尋のことを案じる。そんな千尋はもう寝息くらいに深々とした呼吸になって、時節膨らむ上半身が、小春には千尋の遭遇した出来事の末端を物語っている気がした。


「……あんまり長居はしない方が良さそうだね。聴いているどうか分からないけどさ千尋、晩御飯は冷蔵庫の中に取り置いてるから、温めて食べてね。ちなみに今日は豚汁だよ、一足先に帰って来た墨花が作ってくれたらしいんだ。もう部屋に居ても寒くなって来たからありがたいよ、本当に」


 そう告げて小春の手が千尋から離れ、別の箇所にまた触れる。

 それからどこか名残惜しそうに、感触を掌握する。

 そこは素肌が剥き出しとなった左腕。同時に擦り傷があると知る。

 数日はアザになりそうな怪我だと、物憂げに思う。

 自責が彼女自身にあるかのように。


「……ごめんね」

「……っ」

「あっそうだ救急箱……私の部屋のどこにあったかな? あっ千尋の部屋にも確か………………あったあった。そこの怪我だけ応急処置を済ませちゃうね。ほら、ベッドに血が付着したら落とすのも面倒でしょ? あと傷口から汚れが入っちゃうかも……千尋は気を付けないとだからさ」


 探し当てた救急箱から取り出した消毒液を垂らす。

 すかさずガーゼを貼り付ける。

 そんな最中、小春はしばらく千尋を凝視する。

 千尋の寝顔を目に焼き付ける。

 それは眠気に忠実な、とてもとても無垢な表情。

 成長してからは、あまりお目になれなかった姿。

 子どもの頃とあんまり変わっていないなと、いつかの記憶を懐かしむように微笑んで、小春は千尋の部屋を後にする。


 こうして千尋の一日はなだらかに過ぎ去る。

 破れた制服、ガーゼに塞がれた擦り傷、頬に付いたままの煤汚れ、目に映るだけでも苦労を垣間見れる。加えて目覚めれば全身の至る箇所が疼痛込みで凝り固まることだろう。


 そんな明日なんて露知らず、千尋は眠る。

 今はもう、休みたいだけだ。

 夢映像が挿入される隙もない、深々とした睡眠。

 その小春の厚意と行為の真相を千尋が知るのは……またいつかだ。

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