幸せの麦(二)
二日後、タマ子がやってきた。
「ヴァンさんが祭りに積極的に参加したいと教えたら、村長は喜んでなあ。ならば、幸せ麦の栽培をお願いしたいそうだあ」
精霊花の一種だな。麦と付くから食べられる穀物タイプか。祭りの日の食材だろうか。
「幸せ麦は難しい精霊花ではねえ。肥料も要らねえ。虫も付きにくいだあ。雑草よりも強いから、草取りの手間もいらねえ」
いいことだらけの作物に聞こえるが、それなら村の特産品になっても良い。でも、村で麦を育てている畑は、あまり見ない。タマ子は芳しくない表情をする。
「ただ、ナシュトルじゃあ受けねえから、作っても安いだ。だども、幸せ麦はヌッコ村の伝統飲料の材料となるだあ。伝統飲料は秋口には、よっく飲まれるだあ」
「人間の村にいた時も、麦酒を作っていたよ。あれと似たような物かな?」
「人間の国の麦酒とは違うだあ。発酵はさせるが、麦酒ほど期間は使わねえ。また、伝統飲料は仄かに甘え。アルコールもほとんど入っていねえから子供でも飲めるだあ」
酒類じゃないから安いのか。村人がやりたがらないのは、わかった。伝統飲料と呼ばれるが村で見ないのも、稼ぎ時の夏にやると収益が下がるからだ。だけど、祭りの時には飲みたいなら、今から植えるしかない。
「やろう、タマ子さん。僕は伝統飲料の準備で、村に貢献するよ」
さっそく、幸せ麦の種を商館に買いに行く。職員は、にこにこして売ってくれた。
「そろそろ祭りの準備に入りますか。楽しみですね」
ヌッコ村以外の人も楽しみにしている祭と知った。
商館を出ようとすると、見知らぬ若者に声を掛けられる。歳はヴァンより若く、顔には少しあどけなさが残る。髪は短い茶色で、目は青い。恰好は百姓がよく着る青い野良着を着ていた。
「ヴァンさんですか? 僕はジョセフです。ちょっとばかり二人で話がしたい」
初めて見るジョセフの目には敵意のようなものが宿っていた。ヴァンはジョセフをライバル視していたが、ジョセフには知られていないはず。どうして、こう敵意のある目をするのか理由がわからない。ヴァンはジョセフに連れられて商館の裏に行く。
ジョセフはヴァンを睨みつけて尋ねる。
「はっきり聞きます。ヴァンさんはライラをどう思っているんですか?」
ピンと来た。ジョセフはライラが好きなのだ。ここで変に答えると面倒な事態になる。
ヴァンは正直に心中を語った。
「ライラは可愛いと思うよ。器量も良い。お世話になっているけど、恋愛対象としては見ていない。ライラとは今後も良い友達でいたい」
ヴァンの答えにジョセフは疑っていたが、喰って掛かってはこない。
気になるので、ヴァンからも訊いた。
「僕は、きちんと答えた。だから、僕からも尋ねる。ジョセフはマリーをどう思っているの?」
「マリーは僕が好きなんだと思います」
ジョセフは、はっきりと認めた。『やはりか』とヴァンは苦く思った。ジョセフは難しい顔をして言葉を続けた。
「マリーを姉のように僕は慕っております。でも、結婚を考える相手ではありません。僕が好きな女性は、ライラです」
頭の中に、図が浮かぶ。ヴァンはマリーが好き。マリーはジョセフが好き。ジョセフはライラが好き。ライラはヴァンが好き。四人が四人とも片思いで向き合っている。
面倒な恋愛に足を突っ込んだ。ジョセフがマリーを好きでないので、ヴァンにまだ入り込む余地がある。だが、それはジョセフも同じ。
ジョセフもヴァンと同じ考えに辿り着いたようだった。
「ヴァンさんの心は、わかりました。このままでは、よろしくありません。村の夏祭までに僕は、ライラに告白します。ヴァンさんもマリーが好きなら告白してください」
なんて積極的な男だとヴァンは驚いた。
「ライラが君の思いに応える自信が、あるのかい?」
「わかりません。でも、このままでは、いけない。ヴァンさんも態度をはっきりさせないと、マリーもライラも困ります」
「皆の関係がギクシャクするかもしれないよ」
偽らざるヴァンの心配事だった。ヴァンをきっと見据えてジョセフは言い放つ。
「だったらなんです? このままの関係を続けるほうが皆を苦しめる」
ジョセフは熱く、さばさばした男だと感じた。好感が持てる。
「わかった、夏祭までに僕も告白する」
勢いで約束したが、事態が動く時とは、こんなものなのかもしれない。
ジョセフは用件が済むと、すたすたと場をあとにした。待たせているタマ子と合流する。
「青春だなあ」とタマ子は、ぼそっと呟く。タマ子さんどこかで隠れて聞いていたのか。でも、することは変わらない。僕は幸せの麦を育て、告白するだけ。
幸せの麦は種蒔きから収穫まで十二日掛かる。収穫は二回分あればよいとのことだった。
一回目の収穫が終わる。ヴァンが収穫した幸せの麦はブリトニーの家で醸造する。
収穫した幸せの麦を運ぶと、ブリトニーが買い取ってくれた。
「ライラは、どうしてますか?」と尋ねる。
「ちょっとね」とブリトニーが穏やかな顔で答えた。
次に幸せの麦を持っていった時もライラが出てこなかった。ジョセフが思ったより早く動いたと感じた。
村の祭りまで、一週間を切ったところで、ヴァンも動いた。閉店間際の客のいない時間を狙ってマリーのいるパン屋に行く。
マリーの顔はちょっぴり困っていた。マリーとライラは仲が良い。きっと、ライラからジョセフの告白を相談された。また、ジョセフから何か言われたのか、ヴァンがマリーの許に来るのもわかっていた。
「マリー、今日は言いたいことがある。大事な話だ」
「店の外で話しましょう。お父さんに聞かれると面倒だわ」
店の外に出てマリーと向き合う。マリーをしっかりと見据えて思いを伝える。
「マリーが好きだ。僕と結婚を見越して付き合ってほしい」
マリーは優しい瞳でヴァンを見る。
「今はまだ、ヴァンの気持ちに答えられない。だって、ヴァンがヌッコ村でやっていけるかどうか、わからないもの」
体よく振られたのだと思うが、マリーは言葉を続ける。
「二年後の村祭りまで待つわ。それまでに結果を出して迎えに来て」
回答は先送りだった、ヴァンを傷付けず、早まらない答えではある。二年はヴァンに与えられた猶予であると同時に、マリーが手にする時間でもある。
もし、マリーがジョセフの心を射止めたなら、マリーはヴァンの元を去るだろう。だが、完全な断りではないので、まだチャンスはある。
二年は長いようで短い。精霊花ならいくつも作れる。遠くで祭りの練習なのか陽気な音楽と歌声が聞こえてきた。ヴァンは成功者ではない。切っ掛けを貰ったに過ぎない。
再来年の夏までヴァンにとってはヌッコ村での戦いになる。叔父のルーカスから貰ったヌッコ村の畑は人生の宝物になった。ヴァンはこの宝物を使い、自分の人生を切り拓こうと決める。幸福はこのヌッコ村にある。祭り囃子を聞きながら決意も新たにした。
【了】
【感謝】これで終わりです。なんだかんだここまで来るのに二年かかりました。辛抱強く待ってくれた方ありがとうございました。




