7話
二軒目は小さなラーメン屋台だった。いつも鴨川の近くにある。寂れたラーメン屋なのだが、前からどうして残っているんだろうと思っている場所だった。
「くぁ~! やっぱりここのラーメンは美味しいね!」
酒井さんはズルルルッ! と勢いよくラーメンを啜る。俺もそれに倣ってラーメンを啜る。ありきたりな醤油ベースのラーメンであったが、不思議な美味しさがあった。
「ここなら飲めない勇ちゃんでも楽しめるでしょう? んー!」
大袈裟に喜びながらラーメンを食べる酒井さんの角が気になってずっとそこを見つめてしまう。
「ちょっと、勇ちゃん」
「あっ、すみません」
「えっち」
無邪気に笑う酒井さんに俺は直視できずにラーメンを啜る。
「さて、なんで勇ちゃんはあたしの角が見えるのかなぁ?」
わざとらしくセクシーな声色で話す酒井さんは普段とのギャップもあるのだが、どこかAV女優のセリフのようで興奮よりも滑稽さが勝ってしまった。
「た、たぶんなんすけど」
話を始めようとした段階で、このラーメン屋の亭主が気になった。この至近距離で幽霊などの話をしても良いのだろうかと思ったが、店主が狸だった。
「……狸」
「えぇ、ここ、狸がやっているの。だから気にしないで」
「は、はぁ……」
ますます状況についていけず、俺はラーメンを食べる。平凡な醤油ラーメンも、狸が作ったと思えば、少し稀有な味がする。気がする。
「……婆さんの出汁とかじゃないよな」
「勇ちゃん。詳しいんやねぇ。でも残念。それは狸さんに対する侮辱やで。ねぇ?」
店主の狸はなぜか言葉も話さずに怒っている意志を伝えるように仁王立ちで腕を組んで鼻息を荒くする。
「まぁ、美味しいんでいいですが」
俺の「美味しい」という言葉を聞いて、満足げに鼻息を荒くする。
「それで、話の続きなのですが、俺実は……幽霊になってしまったんです」
酒井さんは目を丸くしている。
「えっ、本当に?」
キャラ作りも忘れて、酒井さんは俺のふとももを突然撫でる。
見た目は良い酒井さんに突然股付近を触れられると、思わず身体が硬直してしまう。
「触れるじゃない」
「これまた特別な理由がありまして……」
そこから酒井さんに全てを説明した。聞いている間、酒井さんはずっと笑いながら、ラーメン屋にもおいてある日本酒を飲み続けた。
「ええなぁ。酒の肴にぴったりな間抜け話やわぁ。きゃはは」
「あんまり笑わないでくださいよ」
「いやぁ。無理やわ」
「姉さん。麺が伸びますぜ」
狸が突然声を発するので、思わずビクついてしまう。
「あぁ、悪いな。んじゃ」
そこから酒井さんはラーメンを啜る。一足先に食べ終えたので、何気なく酒井さんを見つめる。ラーメンを啜っているその口、そしてラーメンの湯気を纏った彼女の角は妙に色っぽく、視界が彼女の角に集中する。
「はぁ。勇ちゃんは、妖怪リテラシーを学んだ方がええよ? まぁウチは勇ちゃんが作るタマゴ焼きすきやから、許したるけど」
呆れたような溜息を吐いた後、ニヤニヤと睨んでくる。
「ええか? 鬼にとって、角はデリケートなところなの。そうねぇ。人間の女性で例えると、おっぱいをガン見されているようなもんやからなぁ」
「えっ! そうなんですか!?」
「冗談や」
「ほっ」
「おっぱい見られるより不愉快」
「すみません」
すぐに頭を下げる。酒井さんはケラケラと笑う。
「勇ちゃんはやっぱりからかい甲斐があるわ
」
「あまり茶化さないでください」
照れくさくて、猫背になっている俺を見て酒井さんはまたケラケラと笑う。
「勇ちゃんなら大丈夫やと思うけど、お店には言わんといてな」
「言ったとしても誰も信じへんよ」
「完全に信じなくても、疑うような目ではうちを見てくる。うちら幽界の者が使っているこの認識阻害は案外もろいもんでなぁ。ちょっとでも疑われると霊気が漏れて伝わってまうんや。まあ、分かり易く言うたら、怪しまれたら妖怪やってバレるってことや。妖怪と断定できんでも、恐れられてまう。せやから、お願いやわ。あそこ気に入ってんのよ」
酒井さんの目は少し潤んでいた。過去にも自分の行きつけの店が、自分が妖怪であるが故に通えなくなったことがあるのだろうか。
「わかりました。大事な常連様なので、プライバシーは守りますよ」
「ありがとうねぇ。ここのラーメン奢ったるわ」
酒井さんは財布から俺の分も含めたラーメン代をちょうどになるように狸に渡す。
「酒井さんは普段何をしているんですか?」
「ん? プライバシーを守ってくれるんやないの?」
酒井さんはきょとんとした顏で首を傾げる。少し酔っているようだった。
「あっ、いえ。半妖として、どういう日々を送ればよいかと悩んでいまして」
「んー。好きにしたらええけどねぇー」
酒井さんは適当に答えてまた日本酒を飲み干す。
「えっと、勇ちゃんさんでしたっけ?」
酒井さんの答えに迷っていると、狸が突然こちらに声をかけてくる。その芯に響く低い声に思わず驚いてしまう。
「え、えっと。烏丸勇仁です」
「じゃあ。烏丸さん。この方にその質問をしても無駄だよ。幽界の住人として生き方についてだろう? この人はいわば勝ち組だ。人間様で言えば、宝くじで6億当たった無職。みたいなもんさ。この人に生き方を聞いても、まともな答えは返ってこないよ」
「へぇ」
狸さんが呆れたように酒井さんに対して溜息交じりに笑う。
「うるさいで? あんたも喰ったろうか?」
「二度とここのラーメン食べることができないですよ。後継者に困っているんで」
「うぅ……なら見逃してやろう」
気づけば酒井さんの横には空いた日本酒の瓶が三本もあった。
バイト先でもかなりの量飲んでいたのだ。流石の酒井さんといえど、机に突っ伏してまだ酒を飲んでいる。
「うちはね。起きて家にあるお酒飲んで、お酒買いに行って飲んで、そんで、勇ちゃんの店行って酒飲んで、その後はこのラーメン屋か、茨木のところか、鴨川辺りでまったり飲んで、寝るで」
「酒飲みまくりですね」
「ええやろ」
無邪気に笑う酒井さんに思わず見惚れたが、彼女が妖怪であることを思い出して首を大きく横に振るう。
「なんか、幽界の人は、人々の記憶から消えたら死ぬって聞いたのですが、それはどうなんですか?」
「んー、まぁ。うちがその理由で死ぬことはないと思うし、勇ちゃんの店に常連としておるからあの店が壊れん限りはなおのこと大丈夫やわ」
にゃはは。と笑いながら酒を瓶ごと持ってごくりごくりと飲む。まるで、部活中に水筒をガバ飲みする中学生のようである。
「ねぇ? こうだから彼女は頼りにならないよ」
「あ、あの。酒井さんってどんな妖怪なんですか?」
「ん? 酒呑童子やでえ。ほれほれ、酒をつぎなさい」
酒井さんはしっかり出来上がっており、俺に無理やり、瓶を渡してお酌をさせる。
「酒呑童子って、あの!?」
「えぇ。あの、酒呑童子ですよ」
狸が食器を洗いながら呆れたように溜息を吐く。当の酒井さんはヘラヘラと笑って、突然机に突っ伏してニヘニへと声を出すだけで動かなくなった。
「あ、あの良くマンガとかに出てくるやつですよね?」
「えぇ。あの。酒呑童子です。妖怪の中でも上位にいる鬼。その鬼の頭領様でありますよ」
狸は洗い物を終えて、手慣れたように酒井さんの前に徳利を一つ置いた。酒井さんは何も言わずにそれを受け取り、また日本酒を煽る。
「はへぇー」
驚いているのだけど、気持ちはおとなしく小さな声が漏れる。
「代わりにあたしが答えますがね? お化けの烏丸さん。やはり妖怪は恐れられてなんぼですよ? まあ、特定の人間に恐れられて関係を失うのは寂しいですが。安定なのは、ここの酒呑様のように大物妖怪として後世に残ることですがね。コツコツ、子どもなどから脅かし続けてゆくのが良いかと。私もこうしてラーメン屋をやりながら、隙を見てお客さんを少し脅かしてみたりしてなんとか保っている状態です。まぁ、楽しいからってのもありますが」
ぶっきらぼうな狸は照れくさそうに笑う。
「はぁ」
「さぁ、ご覧の通りもう酒呑童子様は酔いつぶれましたので、ここは私に任せて大丈夫ですよ。これからもどうぞご贔屓に」
ラーメンを食べ終えた俺を見て、狸はこちらに来て酒井さんに毛布を掛けた。俺に対して穏やかな笑顔の後、丁寧な一礼をする。
「ごちそうさまです。また来ます」
俺はお礼を言ってその屋台を後にした。