5話
目を覚ますと、平さんも、蛙男もいなくなっていた。テーブルに置かれた紙に蛙男の住所と電話番号が書かれていた。あの蛙。住居があるのか。と思わず失笑してしまう。
「一応僕らみたいなのが住む場所や、連絡先を所有するためのパイプはあるんだよ。平安の世から住まう僕らなりのネットワークって言ったところか」
そういえば、寝落ちる前にそういったことを蛙男が言っていたような気がする。確かに書かれている番号は本来の番号では見たことのない滅茶苦茶な番号の順番であった。
「これ、本当にかかるんだろうな?」
自分の携帯で18桁と入力する。自分でもこの番号を入力できるとは思わず、そこからさらに発信する。数回のコールを待っていると、ガチャリと音がする。
「はい。もしもし河津です」
「……すみません。烏丸ですけど」
「あぁ、烏丸さん。起きたのですね。おはようございます。ということは机の上の伝言を見て頂いたと」
「はい。まさか本当につながるとは」
「絶対に誰も間違えて掛けないであろう番号を設定することで我々が使わせてもらっているんですよ」
「えっと、メカニズムは?」
「実は私もそこまでは、烏丸さんも、実は携帯のシステムとか把握していないのでは?」
確かに。と思ってしまってそれ以上追及できなかった。
「では、確認のためのお電話だったのですね」
「はい。特に用事はありません」
「では、電話切らせていただきます。そこに書かれている住所にもし尋ねる際は、近くについたら一度電話をください。お願いします」
「あ、はい」
その後、蛙男は電話を切った。
時計を見る。既に朝になっていた。
俺は目を見開き、額から一気に汗が噴き出す。
アルバイトの時間をとっくに終わっているのだ。夜勤から既に勤務時間も終わっている時間。なんだったらもうすぐ出勤時間だ。
急いで携帯で電話をかける。
「もしもし」
「て、店長! す、すみません俺!」
「あぁ、いいよいいよ。勇仁くん頑張ってくれているし、昨日は運よくそこまで忙しくなかったし、ついでだから今日も休みにしておくよ」
「あっ、いや」
「聞いたよ? 昨日鴨川でがっつり寝ていたんだって? 坂上くんが心配していたよ。溜まりに溜まっている有給を使ういい機会だから、二日ほど、こちらで申請しておくので、ゆっくりしなさい。なんだったらもっと使えば?」
店長は俺に罪悪感を抱かせぬために気楽な笑い声が携帯から聞こえる。
「す、すみません」
「いいよいいよ。むしろ使って欲しかったからね。最近上が五月蠅いんだよ。有給使わせろだの、残業させるなだの。だったらもっとノルマを低くするとか、そっちから従業員寄越せっての。なぁ?」
店長は29才らしく、付き合いの長い俺にはまるで友だちのように愚痴を話す。
「と、とにかく。ありがとうございます。すみませんでした」
「いいっていいって。だから今日もゆっくりしな。あっ、明日も休むなら早めに言ってくれよな。申請はこっちでやっておくから」
「あっ、はい。では、ありがとうございました」
後は適当に話をして、電話を切った。
しかし、改めて休みと言われても、困るのである。借りていた映画を見るとしようか。あまり気分ではないが、いざ見てみれば気分も乗ると言うものだろう。
「じゃ、その前に」
立ち上がると、空腹感に苛まれる。映画を見るためのつまみでもコンビニに買いにいこう。
着替えてコンビニへ向かう。そこでからあげクンとポテトチップス。そしてコカ・コーラの2ℓボトルと、悪魔のおにぎりを二つ購入する。映画を見ながらなのでがっつりと食べることはない。ついでに数が減っていたティッシュ箱も購入して家路へと着く。癖でポストを確認する。結局は近所の弁当屋などの広告が挟まっているだけであったが、今日だけは少し違った。
「大学祭。ねぇ」
思わず声が漏れる。ポストに入れられた来月初めに開催されるらしい近所の大学のお祭りを知らせるちらしであった。この大学のちらしを見たのは七回目である。
なぜかそのちらしだけ、折って、コンビニ袋の中に突っ込んだ。
テレビの前に食べ物を並べ、ソファーに身体を預ける。キンキンに冷やした大きなコップに市販の氷とコーラをなみなみと注ぐ。
ブルーレイをセットして、再生する。選択画面が出るので、そこから本編再生を押す。その後、制作会社のロゴ映像が始まり、俺は生唾を飲み、コーラを一口飲む。
映画本編は、好奇心旺盛な少年が主人公のアニメ映画だ。予告編の段階で水の表現が美しく、これはぜひ見たいと、ブルーレイが出るのを心待ちにしていたのだ。
映画は家で見たい。シアターは固定席で疲れたら寝転がれない。興奮した時に息を荒くしづらい。何より、ポテトチップスが食べられない。どこもかしこもポップコーンが主流だ。映画館で見る映画ももちろん素晴らしいのだが、どうしても、一回に高額払うことと、映画館への移動費や、上映まで待ってる間の時間などを考慮すると、家で見ることを優先してしまう。
映画を見終わる頃には、買ったお菓子も全てなくなっていた。
「いやぁ。充実したな。うん。後は部屋の掃除をして――――」
映画のブルーレイをパッケージに直して、伸びをする。今晩の予定を口に出して整理している時に、何か危機感を覚えて、言葉が詰まる。
時間はもう20時になっていた。今日顔をみたのは、いつも行くコンビニのレジだけだ。それも会話なんてしていない。
『幽界の住人は人の記憶が「命」なんだ』
そんなことを平さんか、蛙男が言っていたような気がする。
その時、自分は友だち100人作ればいい。なんて言ったいたが――
「えっ、これは無理じゃないのか」
思わず身体が震える。今日、自然と過ごした一日。夕方ごろまでごろごろして、起きて、コンビニに飯を買いにいって、一人で映画見て、部屋を掃除して、気づいたら誰とも交流していない。
「坂上は……今勤務中か。だとしたら、蛙男は、意味がないし」
そわそわし始める。いざ始めようとすると、友だち100人作るって無理くさいだろう。
「ど、どうしよう」
色々考えた挙句、今の自分に連絡を入れることの出来る知り合いもおらず。
「店、遊びに行くか」
一呼吸おいて、俺は着替え始める。とりあえず、今は坂上に会いにいこう。河原店長に会いにいこう。別に有給だからって店に言ってはいけないわけではない。
「じゃ、行ってきます」
誰もいない部屋なのだが、幽霊の平さんと出会ってからだと、なんだか見えないだけでいるのではと勘ぐってしまい、言葉を残して俺は扉を閉めた。