4話
鬼。河童。座敷童。一反木綿。化け狸。雪女。この世の中には妖怪がたくさんいる。蛙男が言っていた。
その中でも一番身近な存在。
それが『幽霊』だ。ただのお化け。
テレビとかで良く見る。死に装束を着ているだけの人間。あれである。
生前の時、あまりにも突然の死や、遺恨があったまま命を終えるとその姿に変わってしまうと言う。
妖怪は妖気にあてられて生物が変化したり、神隠しにあった元人間だったり、妖怪同士の子孫だったりする。
つまりは死んでいないのであるが、幽霊は死んでいる。故に姿も妖怪と、霊感が強い人間にしか見えない。
「なるほど、蛙男くんのせいで、死んでしまって妖怪になったと」
「生きています」
「あぁ、そういう細かいことはええねん。この際」
平さんと蛙男と三人で入った喫茶店の席で話をする。なぜか蛙男と俺は向かいに座り、蛙男の隣に平さんが座る。スタッフが水を一つだけ置いたのが気になった。
俺と平さんの分がなくて気になったが、俺はすぐに店員にアイスコーヒーを注文する。店員は少し間を置いてから注文を受けてくれた。これで平さんの分の水を忘れていることに気付いただろうと思ったが、持ってきたのは俺が注文したアイスコーヒーのみだった。
俺は不思議で仕方なく、平さんの前に架空のコップを作り出してそのコップを見つめる。
「聞いている? 烏丸くん」
「あ、あぁ。すみません」
「今のスタッフさんで分かったと思うけれど。平さんは『幽霊』だから。普通の人には見えていない」
「あんたみたいに別人に見えることもない」
「うん。そして君は今、半分がその状態なんだ」
「半分人間で、半分幽霊なんですか」
「あぁ。俺も初めてみたけれど、こういう症状が出るんやね」
平さんは顎を何度も撫でながら、まじまじと俺を見てくる。
「でもええなぁ。人に認知される幽霊ってことやろう?」
「そうですね。まぁ、本来は死んでいなかったので、妥当な待遇かと」
羨ましがる平さんの言葉もよくわからず、俺は頼んだホットコーヒーを飲む。
ふと一息ついた際に、自分の服がまだ微妙に湿気を帯びているのを思い出し、少し尿意を催す。
「すみません。少しお手洗いに」
「しっかり鍵をかけなよ」
トイレに行こうとするとなぜか蛙男がわざわざ忠告をしてきた。
俺はその忠告をする必要性がわからず、蛙男の方を見ながら首を傾げている。
その時だった。トイレから出てきた別のお客さんがよそ見をしている俺とぶつかりそうになる。
「あっ、すみませ――」
謝ろうとした瞬間だった。男はスマホを見ながら歩いていた。恐らくこちらのことなど気づいてもいない。だから驚かずにいられる。俺だけが驚いている。
男は確かに俺の身体を通り抜けて前に歩いていった。
「はっ?」
俺はここで初めて『自分が人間ではなくなった』ということを実感した。
幽霊。死んだ人間がなるという存在で、基本的に普通の人間には見えない存在である。
さて、では半分幽霊である俺はどうなるのであろう。完全に見えないのであれば、AVよろしく女湯に入り放題だが、そうもいかない。しかし、全ての人間に見えるわけではないと言うのは、色々と不便であろう。それに、やはり無視されると言うのはどのような苦行よりも辛い。
「服も濡れているので、家に戻っても良いでしょうか」
俺は動揺からか、寒さからか身体が震えてしまう。
しかし、私は蛙男に対して懸念の眼差しを向けてしまう。
「あぁ、大丈夫。ヌメヌメとかはしな
いはず」
俺の目を察した蛙男はにこやかに笑って答えた。
しかし、俺はその気を使った笑み自体がヌメっとしていて、本当に床が汚れないか心配でならなかった。
「わしなら最悪、浮けるからスペースはなんとかなると思うで。はっはっは!」
蛙男が申し訳なさそうに手をぶんぶんと振っている隣で、がっはっはと笑う平さん。
「じゃあ、すみませんが行きましょう」
会計をして、自宅へ戻る。
俺は簡単に着替えて、蛙男と、平さんにお茶を出した。
「あ、わざわざわしにまで。すまんのう」
「いえいえ」
見えているのに無視するのはあまり気分のいいものではなかった。
「……一人暮らしだそうだが、ご家族は?」
蛙男が部屋をキョロキョロと見た後、問いかけてきた。俺は思わず下唇を噛む。
「蛙くん。部屋に家族の写真もないし、今の勇仁くんの顏。なんか訳ありっぽいから聞くのはやめよう」
「そうだね。済まない烏丸くん」
「いえ、ありがとうございます。平さん。気を回していただいて」
家族とは、就職活動を断念した時に大喧嘩して以降連絡も実家にも帰っていない。思い出すだけで何かがこみ上げてくるので、平さんの言葉がなければ俺はこの蛙男に怒鳴ってしまうところだったかもしれない。
「繊細な質問で申し訳ないが、友だちは多いほうかい?」
蛙男はさらに問いかけてくる。俺は首を傾げてなんとか思い出そうとするが、実家にも帰らなくなり、大学の人ともここ数年話していない。
浮かんだのは坂上くんと河原店長。次におなじ職場の人たちくらいだ。彼らは友ではないが。
「あまりいないですね。友だちと呼べる人は」
「そうか……。なら今から言う言葉は残酷に聞こえるかもしれない」
蛙男は残念そうに憂いのある表情をして、俺を見つめる。平さんは俯いていた。
「幽霊をはじめとした私たち妖怪は現世の人間の記憶こそが『命』なんだ。君のことを君として認識する人間がいなくなれば……。いくら半分生きているとしても」
蛙男はまるで病気を知らせる医者のような鋭く見つめてくる。全て黒目の蛙男の目に見つめられると、思わず身体が固まる。蛙に睨まれた幽霊である。
「だから烏丸勇仁くん。君が生き延びるには、君という存在を色々な人に刻み続けていかないといけないんだ」
蛙男にそう言われても、イマイチ実感がなかった。
「あぁ、わかったよ」
そっけなく返事をする俺に蛙男は不安そうに眉を細める。
「本当に分かっているのかなぁ」
「友だち100人できるかな?ってことでしょう?」
飄々とした態度で冗談半分に答える。思わず茶化してしまうのは、自分の存在が危ぶまれている現実を受け入れるのに手いっぱいだからかもしれない。
「……間違っていないんだけれど、君、そういうこと言う子だったんだ」
少し引き気味の蛙男を見て、俺は少し眉を細める。自分を殺した張本人にそのような顔をされると、こちらも複雑な苛立ちを覚えるのだ。
「まっ、今日は楽しい楽しい仲間が増えたってことでパーッとやりましょうや」
平さんが自分に出された湯飲みを持ち上げてがっはっはと笑う。俺も先ほどまでの苛立ちを沈め、自分のカップを平さんの湯飲みを当てる。
「じゃあ、僕も」
蛙男もコップを俺と平さんのカップと湯飲みに当てて、三人でグビグビと飲む。
その後は三人でくだらない話をした。酒が入っていないのに、奇怪な空間がそうさせたのか。三人とも陽気に語り続け、気が付くころには眠りについていた。