11話
少し色褪せて見える景色は自分の部屋だった。目の前には入れた暖かい煎茶をゆっくりと飲む蛙男。熱かったのか彼の蛙特有の長い舌を出して悲鳴を上げる。それを見て平さんがゲラゲラと笑う。平さんの笑っている声と、長い舌を出しながらヒイヒイ言っている蛙男が間抜け過ぎて俺も爆笑した。
「二人とも酷いですよ。助けてくださいよ」
「待って待って、冷水持ってくるから」
笑いながら水道水を取りにいって、それでもまだ冷えていないから冷蔵庫から氷を入れて蛙男の前に置く。
蛙男は慌ててそれに舌を突っ込む。
「あがっ! 氷が舌に! くっついた!」
「あひゃひゃひゃ!」
俺と平さんはさらに笑った。半妖と幽霊と妖怪が揃っても、話す話題はくだらなく、誰かがやった間抜けを笑い、過去の友人が行った所業に遺憾を唱えたり、美味しい店の話をし、ゲラゲラと笑うことには変わりなかった。
どのような存在でも話をするのは人間も妖怪も同じである。
「しかしあれだな。幽霊と、殺害者と被害者が揃うってこう、事実は小説よりも奇なりって感じだな!」
平さんが自身の膝を叩きながら笑う。
「殺害者は辞めてくださいよ。平さん」
「でも俺はあんたに殺されたんだ」
「ちょっと、烏丸さんも乗っからないでくださいよ。そもそも貴方が蛙の鳴きまねなんてしているからじゃないですか!」
「ゲロゲロ」
「おぉ! 本物と見間違える出来栄えだな」
「俺も蛙男として妖怪人生を歩むのもいいかものう」
俺はわざとらしく仙人風の話し方をして存在しない髭を撫でる。
「確かに、実体のある幽霊と言うことは、いずれ君は何かしらの妖怪になるかもしれないね」
平さんが目を輝かせてこちらを見てくる。蛙男も俺の方を見てくる。
「そうだね。もし君が人間に戻れないなら、いずれは『幽霊人間』という半妖ではなく、何かしらの姿に変容してゆくね。花子さんとかみたいに」
「花子さんって」
「あぁ、トイレの花子さんだよ。君と同じように幽界側に連れてこられてそのまま噂が噂を呼んで変容した子もいる。そもそも確か鬼たちもそうだろう? 確か?」
平さんが首を傾げながら蛙男に問いかける。
「僕も詳しくは……でも、元は人間だったって噂があるね。鬼たちに関しては」
「へぇー」
俺はそれを聞きながら入れた珈琲を飲む。
自分が妖怪になる姿を想像するか、まったく映像としてよぎってこなかった。そもそもまだ妖怪になってしまった自覚もないのだ。妖怪になるとどうなるんだろうか。髪の毛が針のように飛ばすことはできるだろうか。
「烏丸って名前だからカラスになっちゃったりして」
平さんが自分で言ったことでまたゲラゲラと笑う。
「カラス……ですか。天狗にでもなるので?」
「天狗になるには天狗に弟子入りせなあかんやろ」
「平さん、天狗のお知り合いは?」
「おるよ」
俺は思わずぎょっとした顔で平さんを見る。
「か、顏が広いんですね」
「まぁ、もう何十年とこの街をうろついているからねぇ」
「この世界の住人としては私よりも先輩ですよ。彼」
蛙男は平さんの太鼓持ちをする。平さんは恥ずかしそうに顔をニヤケさせながら蛙男を小突く。
「どんと頼ってくれたまえ!」
その後、平さんは自身の腹を鼓としてポンっと叩く。
ニッカリと笑う平さんに俺は不思議と安心感があった。
「じゃあさっそくなんですけど」
「おうおう頼れ頼れ!」
平さんはその後数十年住んでいるからこそのさまざまな妖怪の話。暇を潰せるスポット。撤収されない自転車の置き場所。うまいラーメン屋などなどさまざまなことを教えてくれた。
その全ては、騒ぎまくって寝落ちた日にほとんどを置いてきてしまった。
平さんと別れてから一週間が経った。結局自分は毎日バイトに行って、羅生門に通い、家でDVDを見て過ごす。そんな毎日を繰り返していた。
今日も昼から羅生門に足を運ぶ。
「おっ、今日は早いな烏丸くん」
「えぇ。煎茶一つください」
「あいよ」
茨木さんはカウンター席に座った僕に暖かいお茶を啜る。まだ啜れる。
「お前さん。大丈夫か?」
客は俺しかいなかったからか。茨木さんが珍しく話しかけてきた。ざっくりとした話題の振り方に僕は首を傾げる。
「大丈夫ですよ。確かに、平さんがいなくなってしまったのは悲しいですが、人間って言うのはこういったものを日常化して生きていくのですよ。まぁ、俺は人間じゃないんすけど。ハハ」
煎茶を飲んだ後、ゆっくりと一呼吸入れる。
「どうだい。半妖生活は」
「どうと言っても、対して変わらないですよ。行きつけの店が一つ増えたくらいです」
「そりゃどうも。何か食べるかい?」
「じゃあ、鮭茶漬けで」
「あいよ」
そこから茨木さんは何も言わずに調理を始める。
客も俺しかいない。だからこの店には茨木さんの調理の音だけが響く。それだけでは寂しいと思い、まるで自分がいる証明をするためかのように茶をわざとらしく音を立てて啜る。
まだ午前の八時。この時間に空いている飲食店なんて、チェーン店を除けばこの辺だけである。
「それで? 夜がメインの居酒屋で働いている烏丸くんが、こんな爺さんしか来ないような時間帯にうちの店に来るのはどうしてだい?」
「別にいいじゃないですか」
茨木さんはクスクスと笑いながら、注文した鮭茶漬けを置く。
俺は受け取って暖かい朝食を満喫。茨木さんの質問には答えたくなかった。
「だんだん眠れなくなってんじゃねぇか?」
「…………」
茨木さんの言葉に俺は箸を止めてしまう。
平さんと別れてしまった日から日に日に、夜眠れなくなっている。寝不足になって辛いなどはない。眠る必要がなくなりつつあるのだ。
といっても眠たい時は眠たい。
しかし、三時間も眠ればもうすっきりとしてしまっている。起きても大きな仕事もできず、すぐに会社へ遊びにいくと不信感を与えてしまうので、遊びに行けずこうして羅生門を通う。
「朝は意外と妖怪もいないんですねぇ」
ここ数日、羅生門で朝食を食べる日々を続けていたが、他の客を見ない。
「妖怪も生き物だよ。眠る時は眠る。それに人に化けて働いているやつもいる」
自分の暖かい料理を食べ終えた。
茨木さんは自分に数枚の名刺を差し出す。
「平さんが懇意にしていた妖怪の物だ。よかったら訪ねてみるといい」
「はぁ」
俺は茨木さん受け取った名刺を確認する。
妖怪が名刺とか持つんだ。という疑問を抱かないぐらいにはこの生活に慣れてきていた俺はその名刺を一通り見た後、名刺入れなど持っていないので財布の中に入れた。財布が少し膨らむ。
「中にはお前と同じく人から妖怪になったやつもいる。色々話を聞くといいだろう」
茨木さんなりの気遣いなのはすぐにわかった。このなんとも言えない浮遊感を解決するにはやはり妖怪の話を聞くのが一番である。
「ありがとうございます。茨木さん。では、さっそく行けそうなところに行こうと思います」
「あぁ、今晩は来るのかい?」
「そうですね。仕事終わりにでも、また」
「あぁ、その時はまたよろしくお願いします」
俺は茨木さんに代金を支払って店を出る。
名刺でパンパンに膨らんでしまった財布に平さんがこの京都で過ごしてきた日々の重みな気がした。自分はこんなに名刺を持つことはあるのだろうか。否、自分が持っている名刺なんか片手で数えるほどしかない。
「さて、誰から行こうかな」
外に出てから改めて名刺を確認する。
さまざまな妖怪が書かれているそれは、昔集めたカードゲームのカードを見つめている時のような高揚感があった。