10話
平さんがゆらゆらと歩く後ろをついてゆく。といっても、普通の人には俺が普通に歩いているようにしか見えない。
「この辺まで来たらええやろ」
人通りが少なくなってきて、平さんが話しかけてきた。俺も彼の横に移動する。
「そうですね」
「大勢人がおる場所やと、烏丸くん独り言言うてるやばい人になってまうからなぁ」
「そうですね」
俺は思わず微笑んでしまう。この人の雰囲気は不思議なもので、特にこれと言った理由もないのに安心させてくるものがある。
「んでどや。半妖生活は」
「人間の知り合いが出来なくて心配ですけど、酒井さん……酒呑童子さんに狸がやっているラーメン屋を紹介されまして。まぁ、楽しくなりそうだなぁとは思っています」
「そうか。まぁ、無理して友だち作らなくてもええよ。烏丸くんなら職場の人とかで十分生命を保つのに十分やろうしのう。それに、時期が経てば人間に戻してくれるかもしやんしな」
寂しそうにカッカッカと笑っていた。初めて会った時のような雰囲気とはまた違う様子に少々戸惑った。
「でも、いざ友だちを作ろうと思うと、自分の今の友人って本当にバイト先だけなんだなぁって笑っちゃいましたよ」
「あぁーそうだね。私も生前はそうだったよ。仕事先くらいしか知り合いがいないのよなぁ」
「ご家族は?」
「結婚も逃しちまったよ。愛する女房もいないのに戦争に出るってのは辛いもんやで。妻を置いてきたって聞いた奴を守ろうとも思った。けど、実際はわしが生き残ってしまった」
「平さん……」
「その後も結局何もできずに呆然と余生を過ごして綺麗に死んでいったのに、こうして幽霊になってもうて……悪運が強いのかなんなのか」
平さんと俺は近くの公園で足を止めることにした。平さんははしゃぎながらシーソーに向かう。幽霊なので体重がなく、平さんが座った方が上がったままである。僕は逆側に腰かける。
「やっぱり半妖やから実態があるんかね?」
「と、いうと?」
平さんが手まねきをする。
「烏丸くんこっち座ってみ」
平さんが座っていたところから降りて、俺を座らせようとする。従って座るとシーソーはゆっくりではあるけれど、じわじわと下がってゆく。
「うむ。やはり体重はある。半分幽霊やから、体重も多少下がっとるやろうし、こういう体重がものいうやつで怪しまれるわ。気をつけよ」
「はい」
平さんは先輩風を吹かせて語っている。俺もその先輩風が心地よく、後輩らしくはっきりと返事をする。気恥ずかしさでにやける。
その返事で平さんは軽快に笑う。
「ははは、しっかし烏丸くんは世渡り上手やのう」
「そうっすかね?」
「せやせや。返事のええ子は世渡り上手や。現にもう京都の妖怪の頭領酒呑童子と仲良くしてはるやないか」
「頭領? あの人が?」
頭に過ぎる。俺達の店でフラフラとしている。あの飲んでばかりの人が頭領であると言う事実を受け入れることができなかった。
「せやで? あの人、すっごい妖怪や。あまりの知名度に自分でなんもせんでも永遠に生きられるからのう。ああなると妖怪だらけきるもんや」
平さんは溜息を吐きながら答えたが、すぐにあたりを見渡した。
「あの人、聞き耳立てるのだけは上手やからのう。き、聞かれとらんやろか?」
「まぁ、他人の悪口とか気にしなさそうですけどね」
「せやねん。そういう器のデカいところが、ああフラフラしてても妖怪の頭領たる所以やろうな」
平さんはカッカッカと笑う。俺もつられて笑う。
平さんの方へ少し近づく。シーソーの真ん中あたりに腰かけると、平さんが座っているにも関わらず、シーソーは僕を起点に水平になる。その状況を見て、平さんはふふっと笑った。
「あれやの。このどちらにも沈んでないシーソーは今の君や。烏丸くん」
右側から、自分の体重が影響されず、シーソーに浮かされている平さんが真剣な顔をしてこちらを見つめてくる。
「君は今、人間と妖怪。どちらにも傾くことが出来る。僕が座っていない左側。そこに、君はしっかりと愛する人を追いて、人間側に傾いてくれ。きっと神さまも人間に戻る準備してくれとるやろう」
平さんはシーソーから降りる。私も降りる。シーソーがどちらにも傾かないままで、普段見慣れない光景に目を奪われた。
「烏丸くん。君の話をもう少し聞かせてくれや」
「俺の話……ですか」
「せやのう。わざわざ僕なんかに懐いてくれている理由とか」
平さんは意地悪くニヤリと笑いながら、俺の目を見つめる。懐いているのは事実であるが、それを相手に直接言われるとなんとも言えぬ気恥ずかしさがあり、目が泳ぐ。
「ははは。そない動揺せんでも」
「あっ、いえ。すみません。なんですかね……俺、父親と上手くいかなかったと言うか。平さんが父親だったら……なんて考えてしまって」
父と上手くいかなかったことに大きな理由はない。父が厳格だとか、暴力に訴えるとか、そんなことはない。ただ、父は俺を俺として認識しないというか。どこまで行っても『息子』である事実に囚われているというか。俺が遅い反抗期に突入しただけなのかもしれない。それでも、今のフリーター生活をしている自分は父に合わせる顏がないのも事実であった。
「そうか……そう思ってくれとったんか。なるほどのう」
平さんはまんざらでもなく、照れくさそうに頬を指で掻く。こちらも少し恥ずかしくなるのだが、その後、平さんが悲しそうな趣になった。俺は何か嫌な予感をし、胸が痛くなる。
「烏丸くん。死人に愛情を向けちゃあいけない。死人への執着は身を滅ぼす。本当の父がまだ生きているのであれば、彼と歩む道を探るんや。父をそのシーソーの左側に置くんや」
平さんが背を向けて歩き始めた。俺もそれについてゆく。いつも笑っている平さんが真剣な表情になった後、何も話しかけてこないので、俺はどうして良いかわからず、話しかけることもできず、しばらく彼の後をついて歩く。
30分以上歩いた時だった。平さんが一度足を止める。
「ここは?」
「59段の階段や」
「大学ですか?」
「おう。登るで」
平さんはその人ことだけ言って階段を上る。
俺もそのまま平さんの後について登ってゆく。
「本当に59段なんですか?」
「あの一番前の階段が59段なだけや。累計は僕も数えてないよ」
深夜の大学に忍びこんで階段を上がるのは肝が冷える。
平さんは大丈夫だが、自分は人にも認知される。もし警備員などに見つかればたまったものじゃない。
「静かに登っていればバレへんバレへん」
静かに笑う平さんはその後「次右」と言って、案内する。
階段を上がって数分ほどかかった場所は大きな広場になっていた。
「この大学な。普段なら一般開放もしているから、今後も、定期的に行くとええわ。ここからの景色は朝も夜も結構ええ」
平さんが見せた光景に俺は目を奪われた。決して絶景と呼べるものではない。しかし、自分の過ごしている町を見渡せると言うのは、少し新鮮であった。
大学などが集まる住宅街で、ネオンがぎらつくようなこともない。暗い。ちらりとライトが見える。
「なぜ、ここに?」
「んー、ちょっと前から。最後はここって決めていたんだよね」
平さんは、こちらに振り返ってニッカリと笑った。その笑顔を見て、俺は胸がぐっと苦しくなった。
目に過ぎったのは母さんだった。母さんの
最後に見た笑顔だった。
「悪いな。烏丸くん。ほんまはこんなことをしたくなかったんやけど、さよならや」
ニッコリと笑い、平さんの身体が薄くなる。
「平さん! 平さん!」
叫ぶだけしかできなかった。何が起こっているかを把握するのにも時間がかかった。
「よう見とき、烏丸くん。君が、人と関わらない。孤独になってしまったら、こうなるんだという悪いお手本として、最後に烏丸くんと出会えてよかったよ。私にも、君のような息子がいればどれほど幸せだったろうか―――」
最後に見たのは平さんの笑顔だった。皺だらけのくしゃっとした笑顔が透けて街並みが映る。
何も残らない。灰も、匂いも、何も、何も残っていない。
「平さん? た、平さん? 凄いな。幽霊は浮けるだけじゃなくて、と、透明にもなれるんだ――」
気力を失ってその場で尻もちをつく。不思議と涙は流れなかった。呼吸が少しずつ荒くなる。自分のことなのに、それを止めることができない。自分の呼吸を自分で整えることもできずに、戸惑う。
涙よ。出てくれ。悲しくないみたいじゃないか。
「たった数日の仲でも、失うのは怖い。そういうもんや。少年。そして一番悲しい時でも、涙はでえへんもんや。気にせんでええ」
後ろから声がする。一升瓶を片手に持って酒井さんだった。
俺の母が亡くなった時、俺は、僕は、泣いていただろうか。泣いていなかった気がする。
号泣する父の横で、母が死んだと分かっていながらも、泣かなかった。強がっていたわけじゃない。本当にどうしていいかわからなかったんだ。
「……とりあえず、茨木んとこいこうか」
酒井さんは僕を抱えて、大きくジャンプをした。常人には出来ない跳躍力で、京都の町を闊歩した。本来なら興奮する状況も、女性におんぶされて恥ずかしいと言う感情も湧いてこない。
もう夜も遅い。酒井さんの背中からほのかな酒の匂いがする。この匂いが心地良い。京都の風と酒井さんの匂いにくらくらして、俺はそっと目を閉じ、平さんの言葉を反芻させながら、そっと眠りについた。
この10話で物語の「起」の部分が終わります。
更新が遅れてしまい、申し訳ございませんでしたm(__)m
星屑拾いのコブラ 第四章を執筆するため、更新はしばらく止まります。ご了承ください